一番 不運は幸運と出会うでしょう

チュンチュン…

小鳥のさえずる声が聞こえた。朝である。同時にすこし長めの春休みが終わった瞬間でもあった。なんだか昨日考え事をしていたらあまり眠れなかったのでとてもいい目覚めとは言えなかった。そんな中俺の耳に聞こえてきたのは、生まれた時から聞きなれた声だった。けどちょっと変だった。

「歩夢くぅん、あさだよぉ」

重い瞼を開いたとき映ったのは姉だった。昔からの天然パーマで、髪はふわっとしている。その髪が垂れてチクチクと顔に当たってそれが鬱陶しかったので、文句を言うような形で姉に対して口を開く。

「姉よ、なんでそんなねっとりした口調で起こしてくるのだ。できれば朝はさっぱりと目が覚めたいものだ。」

「弟よ、朝でござるよ。」

「それはさっぱりというよりむしろ刀でザックリいく時代の口調だな。朝から切腹は御免だね。」

「ま、朝ごはん作ったから、食べてってよ、私の弟♪」

「そういうのはやっぱりゾワッとするけど…姉ちゃんの料理はうまいからさすがに食べてくよ。」

姉はいつも通り、機嫌よさげに鼻歌を歌いながら、作った朝ご飯を並べ始めた。

我が家「鬼山家」は父母長女長男からなる四人家族で、それぞれがかなり独立している。両親は二人とも職を愛する仕事人間なので昔から家にはあまりおらず、そこから少し年の離れた世話焼きの姉が家事を覚え始め、通っていた専門学校を卒業した今では家事を全て姉がやっている。本人は楽しそうなのでとりあえずはこれでいいんじゃないかと思っている。周りがそんな感じなので俺もだんだん、自分のやることは自分できちんとやるようになっていった。

「今日から高校生だね歩夢。」

「そうだな。」

「歩夢ももう高校生かあ。私もおばさんになっちゃうなあ」

「まだ二十歳だろ?まだまだでしょ。」

「はたちなんかじゃありませんー!二十一ですー!」

「なんだその気難しいプライドは。」

「アラトゥエみたいなくくりで覚えないで!プチトマト一個没収です!」

「まじか。」

アラトゥエなんて言葉は初めて聞いた。まあアラウンドトゥエルブなんて二度と使うことはないだろう。そういうたわいない会話をしていたら食べ終わっていたので「ごちそうさま」「お粗末様です」と、互いに言い終えたのちに、俺は支度を始めた。


4月2日。寒かった冬の風は消えて、少しずつ暖かくなってくる頃。別れの時期が終わり、新しいことが始まる頃合である。俺は少し早めの時間に家を出て、まだ慣れない道を歩いている最中だ。とはいっても、この時期の朝というのはまだ寒い。シワ一つついていないブレザーを着て少し厚着をし、手を擦りながら歩く。歩む道のりは、今日から通う私立窓宮高校への通学路である。受験時に通った以来だ。そう、今日は一年生初登校日兼入学式なのだ。昨日寝る前に考えていた通り、新たな環境に向かうというのが大変憂鬱だ。中でも人間関係に関してはまるで作る気がなく、俺としては友達はいなくて良いくらいだ。授業中しゃべってくれる人も、準備体操を一緒にやってくれる人も、弁当のおかずを交換する人も、俺にはあまり必要ない。とりあえず勉強ができればいい、と思っている。

だが、さすがに俺も人間なのか、新しい環境に新たな出会いを期待していなくもない。一人でいると寂しいというわけではないのだが、なんというか「飽き」がくる。つまりはまあ退屈なのだ。…だが俺は他人と深く関わるわけにはいかない。関わらないようにしなくてはならない。今日すべきことを考えつつ、俺は学校まで歩いた。

  △三3

 私立高校が故のご立派な正門を抜け、クラス割の書いてある表を確認する。1組だった。靴を履き替え教室に向かう。教室までの長い廊下を歩き、たどり着いた先のドアをするりと開けた。ずいぶん早めについたので、誰もいなかった。一人を除いて。朝日が差し込む窓辺に一人の少女が立っていた。光の中の風に長い黒髪がなびいて、それはとてもきれいな光景だった。今の今まで見とれてしまうほどには。しかしこのままでは何も進まないので、持っていかれた理性を取り戻したのち、黒板に書いてある座席表から自分の名前を探す。出席番号順、というか単純に五十音順であり、幸いなことに窓際の一番後ろの席だった。視力が悪いわけでもないので背後に人を感じない最後列は気楽だ。とりあえず座ろう。そしてもうしばらく眺めていよう、あのを。荷物をかけて、気にかからないよう音を立てずに席に着きたいので椅子の背もたれを持ちそっと引いたときだった。

ガタン

ワックスかけたてなのか、椅子の足が滑り倒れてしまった。

「わあっ!」

黒髪の少女は反射的に振り向く。気づかれてしまったので当然、もう見とれることはできない。黒髪を振りこちらに顔を向けてきた。

「びっくりしたー。って、大丈夫!?」

なぜ心配されているかわからなかったが、少し遅れてわかった。倒れた椅子につられて自分も足を滑らせていた。重心は後ろにいき、つかむものもない。ああ、俺はこのまましりもちをつき、出会って最初のクラスメイトの前でいきなり恥と自分のひとりをの不運をさらすのかと思った。が、

 パシッ

俺は右手からものすごい勢いで引っ張られた。後ろに倒れそうなところを反射的にその少女に止められたのだ。しかしまあ、あまりにもその少女は力強かった。その勢いで俺は前のめりに、少女はしりもちをついた。そしてたまたま、俺の視線の先には、白いパンツがあった。というか、履いてあった。よく見ると、いやよく見たわけではないのだが、見るとひらがなで『かんざき みお』と書いてあった。一体いつから使ってるのかしら。野外活動、あるいは林間学校とかか?でも助けられた中で目線をパンツに向けるのは自分でもいかなるものかと思ったのでさっと上を向く。

「よかった間に合って。ってもしかしてこのクラスの人?」

「ああ、まあそうなるな。」

「なるほどね!だったら…」

かんざきさんは尻もちをついて座り込んでいた俺にそっと、俺を助けた右手を差し伸べて言った。

「このまま、よろしくの握手ね!」

「へ?」

この状態でですか?まあでも、た

「ありがとう、助けてくれて。その…よろしく。」

「うん、よろしくー」

助けてくれた、たくましくも細い手が、俺の手をふわりとやさしく握っていた。

「とりあえず、座ろう。」

「それもそだねー」

早速恥さらしをした自分の情けなさを感じながら、3フレームくらいで助けられた右手を見つつ座った。かんざきさんは、俺の席の一つ前に座った。

「改めてさっきはありがとう。かんざきさん。…あ」

気づいたのは口が動いてからだった。俺とかんざきさんは初対面なのである。パンツに書いてあったなんて、言えるわけがなかった。

「かんざきでいいって。けががなくて何よりだよー。ってあれ、なんであたしの名前知ってるの?」

「え、ああ、それはだな…。」

なにか打開策はないかと、教室を見渡す。いやまて、席順は何で分かったんだ?そこに答えがあった。

「そ、そこに書いてあるじゃないかー。黒板にー。」

そう言って自分の名前の上に、神崎と書いてあることを確認する。

「あ、ほんとだ、私の名前書いてある。あ!これ自分の席書いてあったんだねー。」

適当に座ったのかよ。

「鬼山君っていうのか~。下の名前は?」

「歩夢だ。鬼山歩夢。」

「歩夢君かあ。いいなまえだね!」

「あ、ああ。それより神崎のほうこそ『みお』なんて言い名前じゃないか。」

「でへへ~、照れますなあ。ってあれ?」

「ん、どうかしたか?」

「なんで私の下の名前まで知ってるの?」

「そ…それはだな…。」

「何か隠してるよね!」

「…はい。実はその…カクカクシカジカで…。」

いろいろ言い訳をつらつら並べながら事情を説明すると、神崎は怒るでも恥ずかしがるでもなく、眉をひそめ口を三角にし、露骨にいやそうな顔をしていた。まあ確かに自分でも初対面の人にパンツを見られたらそれなりに嫌である。とりあえず、何か詫びはするといってその場は収めた。そうこうしているうちに教室には三人目、四人目とだんだん人が増えていった。その流れに身を隠し、俺はしばらく窓際の景色を眺めて、そのまま最初のHRまで過ごした。


  △三3


「皆さん、よくぞこの窓宮高校に来てくれました。私がこのクラス担当の、 といいます。担当科目は音楽です。よろしくお願いします。」

担任になったのは、随分と落ち着いた雰囲気の教師だった。彼女はその淡々とした口調で、今日の日程を説明する。

「今日は、このままHRをした後、体育館で入学式を行います。入学式が終わったら本日はその場で解散となります。尚、本日は食堂も利用可能です。三年間昼食をそこでとることになる方も多いと思われるのでぜひ利用してみてくください。日程の説明は以上ですのでここからは自己紹介の時間とします。私の自己紹介は先程させていただいたので、まずは出席番号一番の安達さんからお願いします。」

「え!?あ、はい!えっと…」

なかなか唐突に始まった自己紹介。まあ自己紹介なんて新学期にはよくあるイベントなのだが、正直何も考えていなかった。名前以外何を紹介すればいいのだろうか。これは出席番号が一つ前の神崎を見本にしよう。俺は神崎の自己紹介まで待つことにした。

「それでは次、神崎さん。」

「はい!三年二組十番、神崎です!…ってあれ?あたし一年生じゃん!」

はははははっ、と教室が笑いに包まれた。いやいや、それを真似るのは無理だわ。

「いやあー、うっかりてっきり。改めて、一年一組五番 神崎です!よろしくおねがいします!」

「次、鬼山くん。」

無理だな。間違えましたというくだりをさすがに二度もできない。しかしすっかり神崎頼みにしていたので、何一つ考えてなかった。そして何も思いつかないまま、最低限を口に出す。

「…はい。えーっと、鬼山です。特にいうことはないです。よろしくお願いします。」

教室が静かになった。まあでも別に俺自身笑いを取るようなキャラでもないので良しとしよう。そう自分に言い聞かせ、HRが終わるのを待った。

自己紹介も終え、入学式が始まる。一年生は移動を指示され、一斉に対区間に向かい始める。あまり人込みは好きじゃないので少し遅れ目で移動することにした。

「ずいぶんのんびりだねえオニヤマくん。」

「あえて避けてるんだ。あとキヤマだ。」

「あ、ごめんごめん。同じ中学の友達とかいないの?」

「俺に友達はめったにいない。」

明るくも暗くもない口調で、淡々と俺は言った。運が悪いやつとわざわざ関わろうとするやつなんてきっといないだろう。

「じゃあこの私が友達になってあげよう。」

胸にこぶしをあてフンと鼻息をあげる神崎。でも、そういうわけにもいかない。よ

「悪いが別にいい。ほら、もう体育館つくぞ。」

こいつもきっと、俺が運が悪いということを知ると、離れていくに決まっている。だが別にそれで困ることもない。俺はこのまま、集団にあまり属さず生きていくのだ。そんな運命を感じながら祝福と歓迎の入学式を過ごす。校長代理の教頭、PTA会長、生徒指導部教師ときて、次は生徒会長だった。すると、ずいぶんと小柄な人がマイクを持ち話し始めた。そんな中、隣に座っていた神崎に肩をたたかれた。

「ねえねえ鬼山君。」

『生徒会長の望月楓です!―』

「なんだ、神崎みお。」

『―生徒会長として絶対楽しい学校生活にします!』

「ずっと気になってたんだけどさ。」

『なので皆さんもぜひ―』

「ああ。」

『楽しんでいきましょう!!』

「鬼山君って…あっ!」

「あ?」

生徒会長はこぶしを掲げていた。そのこぶしにはマイクがあった。掲げた勢いでマイクは宙に舞い、その放物線の終着点は間違いなく、

 ゴツン!

俺だった。


▼▼▼


 目を開けると知らない天井があった。そしてかなり目覚めが悪かった。頭がズキズキと痛かった。そんな頭を押さえつつ体制を起こすと何となく状況がつかめてきた。

「お、お目覚めか王子様。」

白衣を着た変なおじさんに話しかけられた。

「怪しい科学実験する場所ならここじゃないですよおじさん。ここは学校の保健室です。」

「手当てをした人にずいぶんと失礼なことをいうガキだな。俺はれっきとした保健室の先生だ。それとお前、時計みてみろ。」

「え、時計って…は?」

唖然とした。分針はほぼ真上だったが時針は真下を指していたのだ。入学式が終わったのは正午だったはずだ。ということは…。

「おまえは六時間近く気絶していた。そしてその六時間の間、ずっと別の新入生がそばでお前を見守ってた。」

「そいつってまさか…。」

「きれいな黒髪の女子生徒だよ。こんな時間だ、ついさっき無理やり帰らせたよ。だが今なら間に合うぞ。」

俺は荷物を持ち、あやしい養護教諭に礼をいった後、全力で走った。新品の校内靴が痛もうと、高校進学を機に新しく買った靴で靴擦れが起きようと、俺は走った。そして、やがて見えてきた背中に叫び、呼び止める。

「おい、神崎ぃ!」

「あ、鬼山くん起きたんだね!良かった~。」

「良かったじゃねえよ!なんであんな真似をしたんだ!」

「え?」

「気絶してた俺をずっと待ってただって?やめてくれよそんなこと!こんなのなあ…こんなの迷惑なんだよ!」

俺は大声で、会ったその日のやつにきつく最低なことを言った。きっと嫌われるだろう。当たり前だ。でもこれでいい。だって俺は…。

「やっぱり、鬼山君は私の思った通りだった♪」

「え?」

「その考え方は好きだけど、でもそのやり方は間違ってるよ。」

「お前は一体…何の話を…」

「だって鬼山君、自分が『不運』だから、人に嫌われるように生きて、人と関わらないようにしてるでしょ。」

「そんなこと…」

まるで図星だった。自分が不運だということに気づいてからは、今までずっとそうやって生きてきた。自分の不運はきっと、他人に悪影響を及ぼす。それにもし何か起きても、自分のせいになる割に責任はとれない。そんな理不尽な人生を今初めて、あって間もない人に見抜かれた。

「ねえ鬼山君。今朝言った『お詫び』思いついたんだけどさ。」

「な、なんだ…?」

「わたしと、ともだちになって。」

今まで嫌われるための生き方をしていた。だから友達なんていなかった。神崎にも今までと同じかかわり方をしたはずだ。なのにこいつはなぜ…。

「神崎…お前は一体…」

「わたしはただの、運がいいだけの女子高生だよっ。」

延々と続く真っ黒な沼をずぶずぶと歩いていた俺に差し伸べられた手。その手をとって初めて、俺は人に救われた気がした。


△▼


 神崎も徒歩だったので、そのまま共に遅めの下校することになった。

「お前、マイク飛んできたとき俺の隣にいたけどケガなかったのか?」

「なんともなかったよ!ほらこの通り。」

神崎は急に華麗なバク転をした。さすがにびっくりして体は反射的にのけぞっていた。

「ま、まあ、なんともないならいいんだ。」

「あと鬼山君、昨日はプリ…ン…?あーっ!!」

「急にでかい声出すな!ホラーゲームかよ。」

「どうしよう…私…朝お母さんとけんかして…。」

「それで?」

「今日は家に帰らないって言ってきちゃった…。」

…なるほど?

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