軍の訓練中の兵士

 まさか、軍の訓練で普通に売っているゲームをすることになるとは思わなかった。


 専用のシミュレータを使ってはいるが、基本的な動きは同じ。


 もともとゲームで戦争に憧れて軍に入ったけど、世界はとても平和だった。局地的な紛争しか起こってないし、核がどうとか条約や弾道ミサイルがどうとか言って、今日も国同士が温い選挙戦を繰り広げている。


 戦争に憧れる自分は異常なのかと思ったこともあったが、軍での座学が全てを解決してくれた。


 人間には、攻撃的な衝動がある。

 他者を打ち倒し、支配したいという本能的な欲求がある。

 それには個人差があり、軍での訓練はそれらの欲求をしっかりと満たす。


 平時の訓練は有事に備えるためであり、同時に攻撃的な衝動をコントロールし社会に対して有益な力へと変貌させるものである。そう言っていた。それを聞いてから、座学も好きになった自分がいる。ゲームよりも面白い世界が、現実に広がっている。


 そして、このゲーム。恐ろしいゲームだった。現実をかなり忠実に再現している。現代戦闘は無人機や電波妨害の打ち合いなので、戦闘不能リスポーン不可になることは少ない。むしろ、どうやってコストを低くしながら目的を達成するかに主眼が置かれる。


 そして、もうひとつ恐ろしい点がある。


 数百メートル先。何か動いた。敵だろうか。いちおう、しゃがんで隠れながら歩く。予想地点にピンを打ち、警戒を伝える。すぐに索敵担当から連絡が来た。該当地点に、敵影1。


「やはり敵か」


 索敵の重要性やゲーム性もそうだが、このゲームをプレイしている相手が、軍人であるとは限らない。どこぞの若者がなんとなくプレイしているのかもしれなかった。


 このゲームについて知悉しているというだけで、軍に所属している自分と同じような思考回路、思考方法を会得できる。そして、戦争や戦闘の本質もそれとなく理解できるようになっていく。平和について考えることができる。


 それがこわい。


 このゲームをプレイしているだけで、有事の際に市民を守りながら撤退したり指示系統を保ちつつ交戦できる人間ができあがる。ゲームそのものが、座学の訓練と同じような効果を持つ。


 ゆっくりと、歩いた。隠れた敵も、そういう有事で使える若者だったりするのだろうか。そういう若者が増えていけば、いずれ、軍というものが必要なくなる時代が来るかもしれない。すべての人間が戦えるようになる時代。はたして、それは平和と呼べるのか。


 敵との距離。詰まってくる。いつ飛び出すか。

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