ウォーゲーム

春嵐

ただゲームしてるだけの若者

「右か、左か」


 位置把握担当。さっきから、連絡がない。レーダーもちらちら見てるけど、反応はない。


「はやく来い、はやく」


 連絡が来てもいいし、相手が来てもいい。反射神経ならそこそこある。なにより、まだ若いから、突発的な戦闘ならまだまだ闘える。


 ゲームのなかでも、結局は才能と年齢がものを言う時代になった。


 一昔前は、ゲームをしてるというだけで怒られたり、引きこもりや犯罪予備軍なんて言われていた時期もあったらしい。ゲームが悪だったというのは、ちょっと信じられない。ゲームに触れてない人間のほうが少ないのに。


「来たな」


 敵が来た。


「まずいっ」


 伏せた。相手も位置取りを確認しに来てた。若くて反射神経がなかったら、伏せボタンを押すのがもう少し遅れてたかもしれない。若さに感謝。


 こちらの位置を確認しながら攻めてきている。相手は、ベテランか。


 ゲームが悪だった時代を生き抜いてきた世代は、とにかく強い。周りの反対を押し退けてゲームするだけの、精神の強さがある。そしてそれは、そのまま画面のなかで才能として発揮されていく。


 このゲームは、ばかでもできるものではなかった。長距離狙撃には位置把握とか距離減衰とかの知識が必要だし、近接戦闘にも細かな設定が必要。爽快感を犠牲にして、重厚感を出すタイプのウォーゲーム。


 ウォーゲームらしく平和と戦争について考えさせられる一人操作キャンペーンストーリーモードがあったりもするが、気に入っている部分はそこではなかった。やはりウォーゲームといえば多人数同時接続対戦。


 ウォーゲームとしては珍しく、というかある意味で致命的なシステムがこのゲームには導入されている。


 戦わないことが、最もコストが良い。それが最高。


 ルールは色々あるけど、直接戦闘で相手を倒すルール以外のルールはすべて、相手と接敵しないことが最適な行動になっていく。戦闘不能リスポーン不可にはならないしコストも必要ないのに、勝敗を判別するどこかの部分で必ず戦わないほうが有利な計算式が導入されている。


 ウォーゲームなので、それでも最後は戦闘になる。その戦闘を、どこで、どういう局面で起こすかが重要だった。戦う瞬間よりも、どうやって戦いに入るかが重視されるゲーム。だから、ばかにはできない。


 いま隠れたのも、不用意な戦闘開始が双方の不利益になる可能性があるから。まず位置情報。次に、味方と敵の数。今回は兵站防衛戦だから、兵站線との距離も常に見ておかなければならない。


 敵との距離。詰まってくる。いつ飛び出すか。

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