物事を語るならまず語り手がしっかりすべき

さて、今回のタイトルは

「物事を語るなら

まず、語り手がしっかりすべき」

ということだが

なぜ私がそう考えたかをぜひ見ていただきたい

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今の世代小さい子供は大人(親)から交通ルールを教えられている子供は多いだろう

私だってその頃のことは少しは覚えている

「赤信号は渡らない」や

「手を挙げて渡る」「右左右を確認する」

こういったものを教えられた人は数多く存在するはずだ

だがここで1度最近このことについて

少し疑問に思うようになってきた

なぜなら「交通ルールを守りましょう」

などをボランティアとして教えてくれている人

そんな方々もいらっしゃるが

その人以外の人達は平気で交通ルールを破っている人が多い。

しかもそういう人に限って

「交通ルールを守れ!!」

とかいう爺婆が多いのが現実であると考えている


そういった者たちの影響で

若者も平気で2人乗りをしたり

信号無視をして事故が多いのではないか?


どれだけボランティアの人が

頑張ってくれていたとしても、

歳が進むにつれ

羞恥心という感情も生まれ、

いずれ、手を挙げずに信号を渡るようになり、

信号を破る大人を見て、自分自身も

信号無視などのマナー違反も犯してしまう


いっそのこと

信号の仕組みを帰るのはどうだろうか

歩行者と車の2種類あって大抵は時間差で

色が変わる仕組みだが

同時にした方が良いのではないだろうか

そうすることによって事故率の低下にも繋がり、

ルール違反なども減ることだろう

語り手がしっかりするべき、というより

語り手達がしっかりするべきなのかもしれない




子供はいつも周りの人の影響で育つのだから

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今を生きる人生の先輩方へ 藍色 @YAZUYUZU

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