第15話 模倣

 お母さんの個展に行ったことは、結果的にわたしにとって一つの転機になった。

 個展のパンフレットをじっくり眺め、今まで見ていなかったお母さんの絵を実物としてたくさん見て、そしてしづかさんと話して改めてわたしの目標を定めることができて。

 わたしは、自分の絵の指針を手に入れた。


 それからは、自分の得意だった水彩ではなく、油彩を多くやるようになった。

 一番の変化は、お母さんの絵の模写を始めたことだ。

 わたしが油彩を始めたのはつい最近で、その知識や技術はお母さんとは比べるべくもない。

 塗り方を多少流用できる部分はあるとはいえ、知識も技術もまだ全然足りないことは明白だった。

 そしてそれを認めたうえで、最良の講師がすぐ側にいることに気付いたのだ。


 夏は終わりに差し掛かっていて、台風や雨の日が増えてきていた。カーテンを開けても打ち付ける雨と分厚い雲が日光を遮る。照明を全て付け、エアコンで湿度を調整した部屋で、わたしはお母さんの油彩をそっくりそのまま再現することに苦心していた。


「うーん」


 感心と困惑が混ざった様な声を、今週だけで何度出したのか覚えてない。

 油彩そのものの、そして夏目こころという天才の筆さばきの奥深さに、わたしは模写を始めてようやく気付いた。最表面の絵の具だけでは判らない部分があるのだ。キャンバスは同じものを使っていると思うんだけど、下塗りの斑だったり、素描に使う焦げ色の絵の具であったり。そしてとにかく絵の具の重なりが多い。

 その重なりがどういう色合いを出すのか。深みと言われる部分はどうするか。調べて判ること以上の何かが、夏目こころの絵には詰まっている。


 油彩は、乾くのに時間がかかり、さらに何度も何度も重ね塗りをするので、模写をしていても「答え合わせ」がすぐできない。模写に向いた教材ではないなと思いながらも、それでもそれをやらなければ得る物はないとも感じていた。

 お母さんのようになりたい。

 その一心で、わたしはいろんなものを取り込んでいった。


「え? 見学?」


 自分で描くだけではなく、お母さんが描いているところを見ることもした。


「いや、そりゃ、いいけど」


 幼い頃から何度も見て来た筆の動きも、今では見るところが変わってきた。絵の具の置き方、重ねる際の力の入れ方払い方、そういう細かいところを追うようにはなったのだけど、それでもやっぱり右手に持った筆が踊っている様はそれを見ているだけで充分楽しかった。

 絵を描いているときのお母さんは、本当にこの世に自分とキャンバスしかいないんじゃないかってくらい嬉しそうにしている。よくお父さんと結婚したなぁとか思わなくもない。


 その笑顔を見て、わたしは絵を描くとき笑っていただろうかと、ふと疑問になった。

 ちょっと、意識してみようと思って自分の口角を指で持ち上げる。柔らかい感覚と、嬉しそうじゃない笑顔ができあがった。


 一日に一つ、理解を進める。それは油彩に対してでもいい、お母さんに対してでもいい。とにかく一歩だけでも前に進んで、何か一つ「判らない」を消していく。

 センスとか、才能とか、そんな曖昧な言葉で納得できるなら、初めから画家なんて目指してない。足りないものが何なのか探して、見つけて。弱点が何なのか探して、克服して。そうやって「ちゃんと」を積み上げていく。そんな気の遠くなるような数の「ちゃんと」を、何度も何日も何年も繰り返した人があそこに立つことができるのだ。


 自分の目的がしっかり定まったからか、それ以降わたしが絵を描いているときに体調を崩すことはかなり減った。

 風がほんの少し涼しくなって、鳴く蝉の種類も変わって、夏が収まってきたってのも一つの要因だったのかもしれない。うだるような暑さの日は少しずつ減っていって、吸い込む空気に嫌な熱さは感じない。


 模写以外でも、油彩を描く機会が一番多くなって、自分の絵にもほんの少し夏目こころっぽさが見えるようになってきた頃。

 全日本絵画大賞への応募作品を描き始めた。


 正直なところを言うなら、わたしの油彩の技術はまだまだ物足りない。それでも、やっぱりこの賞にに挑むには油彩が一番いいと思ったのだ。


 モチーフも決まっている。わたしの一番古い記憶。お母さんに褒められて、わたしが今も絵を描くきっかけになっているそのイメージを、そのまま絵に起こす。

 わたしが絵を描いているのは、あの時お母さんに褒めてもらえて、喜んでもらえたから。

 原動力になっているあの風景こそ、相応しいんじゃないかと、そう思うのだ。


 窓を叩く雨音を聞きながら、静かなイメージを下から順番に積み上げる。速さや勢いは要らず、あるべきものをそこに置いていく。


 もう、気分が悪くなることはなかった。

 燃え上がるような熱を感じることもなく、すっと、何かに収まったまま絵を描けていた。

 熱に頼って描いていたあの時のわたしはもういなくて、そういう風に変わってしまったのを成長と捉えられるのが今のわたしだった。


 油彩はゆっくりだ。

 重ねを前提にしているので、一日で作業が終わることはない。それでも、その絵を描いている間、わたしは他の絵を描くことはしなかった。


 一日の作業を終えて、絵の具が乾くのを待つ。

 早く乾かしたいなら室温を上げたりすればよかった。雨が降って湿度が高い環境は、油絵の効率は落ちる。

 それでも、わたしはその絵が乾くのをじっと待った。その日の塗りが終わってからも、その絵の前に座って絵の具が乾いていくのを眺めた。そのことに意味があったのかは判らない。他の作業を、それこそ模写とかに時間を当てた方が効率がいいのは判る。けどわたしはなんとなくそうした。

 窓を叩く雨がうるさくても、雷が鳴り響いても、部屋の隅でそのキャンバスだけを眺めた。


 そうして、その一枚だけにずっと向き合って。

 夏が終わる前に、それを描き終えた。




「あ、そういえば、二点目はどうする?」

 そういう風にお父さんに聞かれたとき、「二点目?」とオウム返しした。


「うん。絵画大賞展、二点まで送っていいんだよ。だから、もう一個何かあるなら送るけど」


 知らなかった。

 その話をしたのは郵送受付の前日で、もう少し前に言ってくれればと思わなくはなかったけれど、それもまぁわたしが自分で調べなかったのを棚に上げないと言えないことだった。


 もう一つ、何か送るか。


 ここのところ、その一枚以外描いてなかったのもあるし、少し前を含めても油絵はほとんどが模写や模倣ばかりだ。

 あ、と気付いて。ばたばたと作業室を出る。


 暗い保管室の奥。空調が利いてなくて乾燥した絵の具の匂いが満ちるその部屋の棚に、裸のまま置いていた。

 もう一枚何かとするなら多分これしかない。夏休みの間に描き終えたもので、一番印象に残っている海の絵。何度も体調を崩しながら、意地と気合で描き上げた、ちょっと前のわたしの絵。


 ちょっと胸の奥が熱くなった気がした。


 改めて見て、水彩というのもあるけど、今私が描いた絵と比べてもあまり見劣りはしないと思う。わたしだったら新しい方を選ぶだろうけれど、これならもう一点に相応しいだろう。


 作業室でお父さんに額装をしてもらって、二点一緒に送る。

 今年のわたしの夏休み、提出物はこの二つ。

 どちらの方が評価されるだろう。ちょっと楽しみだった。

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