ジャンピング・キャッツ
ここはアリーナの中にあるスケートリンク。今日はフィギュアスケートの世界大会が開かれています。拍手の音が聞こえてくる廊下を、四匹のネコたちが歩いていました。
「とらたん、こっちで本当に合っているの」
「みけやん、声が大きい。見つかっちゃうでしょ。でもとらたん、僕たち本当に平気かな」
「しろっこの言う通りです。もし脱走がバレたら、お店を追い出されちゃうんじゃないかなあ」
前を歩いていたとらたんは、口々に呼びかける三匹を睨みます。
「ちょびくんは心配性だな。聞いてただろ。店長とお姉さんは夕方まで戻らないって」
うなだれる三匹に向かって、とらたんは言い聞かせます。
「大丈夫だよ。お店には戻る。みんなだって言ってたじゃないか。こんな大会より俺たちの方がすごいんだってことを証明したいって」
とらたん、みけやん、しろっこ、それにちょびくん。駅前にあるネコカフェ「キャットランド」の住人である四匹が、フィギュアスケートに出会ったのはちょうど一年前。お店のテレビの中でした。
「跳んだり回ったり。なんだか忙しそうですねえ」
ちょびくんの言葉にみんなでうんうんと頷き合っていたところに、お姉さんと店長のヒソヒソ話が聞こえてきたのです。
「店長。あのコたちテレビに釘付けですよ」
「本当だ。ネコもジャンプが好きだもんなあ」
「選手に対抗しようとしているのかな」
「まさか。いくらウチのかわいいネコたちだって、プロの選手にはかなわないよ」
店長の笑い声を背に、四匹は顔を見合わせます。
「かなわないだって?」
「こんなに高く跳べる俺たちが?」
……あの日の決心を思い出したとらたんは、前足をぎゅっと握りしめました。
「この一年のトレーニングの成果を見せてやるんだ。氷の上でとびきりのジャンプを披露して、みんなを驚かせてやる」
「店長とお姉さんも、この大会を観に来ているはずですもんね」
「とらたん、かっこいい」
「さすが、僕らのリーダーだ」
みんなに褒められたとらたんは、喉をくるくると鳴らしました。と、視界が急に開けます。目指していた会場に、ようやくたどり着いたのです。階段状に連なる観客席の向こうに、スケートリンクが見えました。
「とらたん、あの人。テレビで見た人だ」
「ちょうど彼の出番みたいですね」
静まりかえったリンクの上に、一人の少年が立っていました。
「よーし、まずは敵の観察だ」
とらたんの合図で、めいめいが柱の影に身を潜めます。
音楽と同時に少年の演技が始まりました。リンクの上を滑らかに進んでいく身体。局の動きに合わせてしなやかに動く手先。そしてジャンプのたびに湧き起こる拍手と氷が削れる音。四匹のネコたちは、いつの間にか釘付けになっていました。
「……テレビよりすごいね」
「みけやん、黙って」
「素晴らしいです……」
とらたんは、一度も声を発することなく、目の前の光景を見つめていました。ジャンプの高さだけなら、彼に勝つことだってできるでしょう。でも。
音楽が止みました。演技の終了です。リンクに響き渡る割れんばかりの拍手の嵐。ネコたちは呆然と立ちすくんでいました。
「あれ、誰かがリンクに飛び混んでいる」
みけやんの声で我に返ったとらたんは、周囲を見回します。確かに複数の誰かが次々にリンクへ飛び込んでいるようです。よく見るとそれは、イヌやネコ、ウサギといった動物たちの姿に見えました。
「みんな、お祝いしたくて飛び出してきたのかな」
しろっこの声で、とらたんはハッと我にかえります。
「俺たちも行こう」
「え、まさか、ここで乱入するんですか」
「違うよ、お祝いするんだよ。俺たちのとっておきのジャンプで」
ネコたちはうなずき合うと、一斉に駆けだしていきました。
「あれ、ネコがいる!」
観客の誰かが叫ぶと同時に、とらたんはリンクに飛び込みました。ザラザラとした氷の上に着地すると同時に、とらたんは祝福のジャンプを披露します。
「見事だったよ。すごいんだな」
そんな想いを込めながら。みけやんはとくいの宙返り、しろっこは連続ジャンプ。ちょびくんも懸命に飛び上がります。
しばらく夢中になっていたとらたんたちですが、客席の視線が自分たちに集まっていることに気がつきました。指さしたり叫んだり、かなりの数のカメラもこちらを向いています。主役であるはずの選手も、口を開けてぽかんとしているのでした。
「とらたん。こ、これ。全部ぬいぐるみです」
リンクの上に飛び込んでいたように見えた動物たち。それらは全て、観客が投げ込んだぬいぐるみ達だったのです。
「大変、僕たちあれに捕まっちゃうよ」
しろっこの声がする方を見ると、網を持った人間たちがリンクの上に乗り込んでくるところでした。もう、お祝いどころではありません。四匹は一目散に逃げ出します。人間とネコたちの追いかけっこが始まりました。手すりの上を高速で走るちょびくん、客席の間をすり抜けていくみけやん、しろっこは連続ジャンプで警備員の目をかく乱します。
「とらたん、何してるの。捕まっちゃうよ」
ただ一匹、リンクの上に残っていたとらたんは、ようやくゆっくりと歩き出しました。目指すのはリンクの外―でも、その前に。目をキョロキョロさせて周りを見回している選手に、とらたんは向き合いました。選手の目がとらたんを捉えます。
「いい物を見せてもらったよ」
彼の前で一度だけ飛び上がったとらたんは、喉をゴロゴロと鳴らし、それから走り去っていきました。
「やっぱりウチのコたちに似てましたよ」
「そんなはずないよ。全員お店の中にいるはずだもの。ほら、入って」
ネコカフェ「キャットランド」に、お姉さんと店長が入ってきました。
「ほらね、全員いるじゃないか」
「ほんとだ。でも、やっぱり似てたんですよ」
四匹のネコたちは、お店のハンモックの中で身体を寄せ合い眠っています。
「ウチのコたちだったら、一躍有名人だったのになあ」
「『オリンピック選手と張り合ったネコ』ってね。確かに繁盛しそうだ」
お姉さんと店長は、お店の掃除を始めます。薄目を開けたとらたんは、しっぽをパタパタと振り回しました。
ほのぼの童話 りっこ @riccoricco
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