スマホ
最悪だ。
スマホを失くした。
昨日の夜友達と飲んだ帰りにタクシーでいじっていたところまでは憶えているが、そのあとが思い出せない。
大分酔っぱらっていたようだ。
最近流行りの映画が頭を過る。
主人公がスマホを失くしたことから、個人情報が流出し大変な目に合う映画だ。
実際そこまではいかないだろうが、怖いのですぐに携帯会社に連絡して回線を止めてもらおうと思ったがスマホがないので電話ができない。
すぐにパソコンを開きWEBページから回線を止める手続きをした、ついでにGPSでスマホを探す機能を使ってみたが、最後に通信が途絶えたエリアは全く心当たりがないところで、すぐにタクシーの中だとピンときたので、タクシー会社に電話をしようとしてみたがスマホがない。
馬鹿か私は。
困った、これは本当に困ったことになった。
たかがスマホがないだけと最初は思ったが、スマホがないということは現代の日本においてはかなり重大な事件だということに、私は徐々に気付き始める。
すぐにでも携帯ショップに駆け込んでスマホを復活させたい気持ちでいっぱいだったが今日は仕事の日だ。
1日くらいなんとかするしかないと思い、ひとまず支度をして家を飛び出す。
いつもはスマホで音楽を聴きながら歩き去る駅までの道のりが長く感じる。
そして道端に捨ててある吸い殻やお菓子の袋などがやたら目に付く、不快だ。
あれ、何時に家を出たっけ?
バッグに手を伸ばしガサゴソと奥まで探るがスマホはない。
電車の時間があるので、時間を確認したかったが腕時計を持っていない私には駅に着くまで時間を確認する術がなかった。
駅に着くとちょうどいつも乗っている時間の電車が来たので、そのまま乗り込む。
グッドタイミング。
勤め先の駅まではこの電車に30分ほど乗っていなければいけないので、その間にスマホを失くしたことをみんなに報告しておこうとバッグの中を探るが……ってもういいよ。
ちょっとだけため息をついて、電車の進行方向と逆を向いて立ちながら座席の端っこに寄りかかる。
この時間帯の電車は満員というわけではないが、座席はなかなか空かない。
視界の両側に流れていく景色をなんとなく感じながら、止まっている車内を見渡す。
全員だ。
ここにいる私以外の全員がスマホに目を落とし、下を向いている。
普段はわたしもその一員なのであろう、気にも留めていなかったが、改めて外側から見るととても異様な光景に見えた。
スマホがないとやることがない、やることがないと自然といろいろなことを考えてしまう。
いつもは一瞬で過ぎる朝の電車の中の時間は私の頭を錯綜する大量の考え事に比べて、まだ1駅進んだだけというスローペースで進んでいく。
昨日は仲のいい女友達4人で集まった。
皆学生時代からの親友だ、社会人になってからも関係は途絶えず、1人1人とも時間が合えば遊びにいくほど仲がいい。
普段はLINEでやり取りをしていて、いつでも連絡がとれたし会うのも容易かった。
しかし今の状況になってしまってはもう連絡を取ることもできない。
電話番号もメールアドレスもスマホの中。
彼女たちの家の最寄り駅は知っていても住んでいる建物までは把握していない、職場がどこにあるかくらいの話はしたことはあると思うが正確な場所までは憶えていない。
そもそもスマホがあればLINEで聞けばすぐにわかるので憶えておく必要がなかった。
今私が本気で彼女たちに会おうと思ったら、彼女たちの住まいの最寄り駅で何時間も改札の前に立ち、大量の人の流れの中からいつ来るかもわからない友人達を探し続けるしかない。
私の人生で一番の親友たちとの関係はたったスマホがないだけで、もはや二度と会うことはできないような細い糸で繋がっていたということに少し悲しくなる。
と同時にそこまでして会いにいくほどではないかもと少し思ってしまった。
ここで私の頭の中に変な思考が生まれる。
まず過ったのが【必需品】というワード。
ここから必需品の対義語になりそうなものをはるか記憶から頭の中に呼び起こす。
合っているかはわからないが、【不用品】、【嗜好品】または【贅沢品】としようか。
さて、それでは。
【友達とは人間が生きていくうえで必需品と呼べるものなのか?】
ちょっとドライな発想になってはしまうが、考え始めてしまったらもう止められない。
そもそも人に対し必需品という言葉は的確な表現ではないのかもしれないが、それ以外の言葉は私の頭の中には浮かんでこないので、このまま続ける。
人生を豊かにという観点から言えば友達は絶対に必要だ、今までの私の浅い人生の歴史からいっても間違いなく友達と過ごした時間の密度、経験は一人では決して生み出せない。
しかし、残念ながら友達は【贅沢品】に当てはまってしまう。
私の考えの中では結構早めに【必需品】ではなかった。
もし友達が1人もいなかったとしても、人間の生命維持活動にはなんの支障もきたさない。
とても悲しいけれども、生きるということをするにあたっては特に必要はないのだ。
ここから私の暮らしに欠かせなかったモノたちの脳内仕分け大会が始まった。
電車の扉がよーいドンっと勢いよく開く。
会社に着いて制服に着替えながら、この衣服という当たり前に皆が纏うことを義務付けられている布、これも贅沢品コーナーに投げ入れた。
基本的に人間以外は服なんて着ない。
そう思うと急にこの布を纏っていることが窮屈に感じる。
始業まで少し時間があったので、マイカップにインスタントコーヒーを作り、なんとも言えない香ばしい苦みを噛み締めながら、休憩室で気持ちを切り替える。
大いに気持ちはリラックスできたが、まぁこれに関しても必需品ではない。
これは嗜好品コーナーだ。
仕事が始まり、パソコンの帳票を確認しながら、問い合わせのメールに対応していく、現代を生きていくためにはお金が必要だ、お金は何にでも変えられるし、無ければ何も手に入れることはできない現代の仕組みを考えると必需品といっても過言ではない。
しかしそれ自体が生命維持活動に必要かというと、そうではない。
ただの硬貨や紙切れでは人間は生きていけない。
これに関してはかなり悩んだが、今回は世界にたった一人だけと仮定して考えることにした。
本日初の【不用品コーナー】だ、お金など誰かが付けた付加価値がなければ、ただのオブジェかゴミだ。
いつもの調子で仕事をこなしながら、脳内仕分けは続く。
財布、バッグ、靴、ピアス、親、兄弟、仕事、上司、世間体、プライド、髪の毛、etc、生命維持の1点においては正直どれも必要ないことが判明した。
彼氏のマー君を贅沢品コーナーに押し入れて昼休憩に入ったとき、私は素っ裸で水を飲みながら、お昼に食べようと持ってきていたおにぎりを握り締めていた。
なるほど、水と食料、これに関しては生きていくために欠かせないがその他の品は基本的には贅沢品だったというわけだ。
うむ、今日はなかなか頭を使う。
こんな日がたまにあってもいいなとスマホがないことにも少し慣れ始めた。
スマホがないことは仕事には特に支障をきたさなかった。
仕事はいつも通り定時で上がり、帰りの電車に乗り込み自宅の最寄り駅を過ぎ、私はあるところに向かっている。
いつもは連絡を入れてから向かうのだが、本日はスマホを持っていないので、サプライズで訪問をしようと思う。
驚くかな?マー君。
身近な誰かにスマホを失くした今の状況を伝えられるということがとても私の心を軽くする。
しかも明日は休みだ、もしかしたらそのままお泊りなんてこともムフフ。
マー君の住むマンションに着いて、エレベーターで3階まで上がる。
玄関のドアの前まで来たときにちょうどドアが開いた、中から出てきたのはマー君。
私は顔を赤らめながら、定番のあの言葉を発しようとするが、瞬時に言葉を止める。
マー君の身体に女が纏わりついている、この女は誰だ?
よく見るとマー君の顔も引き攣っている。
『どなたですか?』とやさしく問いかけてみる。
『友達』とマー君即答。
『えー、彼女じゃーん。』と言った馬鹿みたいな女の手を振りほどいてマー君が私に触れようとしてきた。
この時点で全てを悟った私はマー君の手を躱して、身体を反転させ逃げるようにマンションを出た。
最低だ、くそ野郎。
正直すっごいへこむ。
スマホを失くしていなかったら一体いつまで気付かなかったんだろう。
歩きながら熱くなった頭を整理する。
そしてマー君を贅沢品コーナーから引っ張り出して、不用品コーナーに蹴り入れた。
蹴り入れた衝撃か、駅に向かう途中でパンプスのヒールが折れた。
自然と涙が込み上げてくる。
もう最悪だ。
なんであんな奴のために私が泣かなければいけないのだろう、いつもならSNSに即投稿して、すぐにいろんな人に慰めてもらえるのだが、今日はそうもいかない。
今夜は誰かに話を聞いてもらいたい気分だが、連絡を取る手段がないので、ひとまず一人で消化しようと、コンビニでお酒なんかを買い、朝も通った家までの帰り道を足早に歩く。
ヒールが折れているので、前に体重を掛けながらトコトコ歩くのが歩きづらい。
もう、いい、家はすぐそこなので、靴を脱いで指に引っ掛ける。
裸足で降り立ったアスファルトは想像以上に固く、素っ裸の人類が現代までいかに快適に生きていくために模索し続けたのかを思い知る。
まぁでももういい、私の足なんてボロボロになってしまえ、しかしすぐに耐え切れず家の近くの公園のベンチに座りこみ、なんとなく空を見上げた。
そういえば星って肉眼で見えるんだな、なんとなく見上げた月が新鮮で、少しの間、東京の夜空に釘付けになった、視界の端に映りこむ外灯の光が強すぎてすぐに我に返ったが、空を見上げたのはいつ以来だろう。
我に返ったついでに手に持ったお酒を飲み干す。
今度は逆に下を向いてみる、いつも見ているスマホまでの距離のその先の景色をまじまじと見つめる。
風に砂ぼこりが揺れて、蟻がせっせと残業していた。
足元に転がっていた空き缶とお菓子の袋が目に入ったので、私の缶と一緒に捨ててあげようと思い、手に取って立ち上がる。
ぷらぷらのヒールを引きちぎって缶と一緒にゴミ箱に捨て、高さの不揃いな靴を履き歩き出す。
明日はスマホを買いに行こう。
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