1day
湊 陽愛
今日
おはようございます。
誰にいうわけでもないが、一人で借りているマンションの1室で声に出して今日にあいさつしてみる、毎日こんなことをしているわけではないが今日は晴れているらしく、窓からの光がとても気持ちいい、エアコンのタイマーを設定していたので、ガラス越しに燦燦と降り注ぐ夏の日差しはもはや窓の外の別世界の話だ。
冷房の風が肌を撫で、僕はこのままもう一回眠りにつこうかと葛藤する。
当たり前の話をするが、僕は昨日の夜寝た、23時過ぎくらいだろうか、もう今日になってしまえば昨日が本当にあったのかどうかさえ定かではないが、今は今日という日が来てからちょうど7時間、いつもと同じ時間に掛けたアラームの音で静かに目覚めた。
身体が重い。
僕の身体はまだ起きて活動をすることを望んでいない。
よし、今日こそは自分に正直に生きよう。
そしてもう一度眠りにつく、寝たいだけ寝て、お昼前くらいに自然に目が覚め、遅めの朝食に昨日買っておいたヨーグルトと時間があるので冷蔵庫に保管してある、ソーセージなんかも焼いてみようか。
サッとシャワーを浴びて、歯を磨いて、いつもよりラフに髪をセットしたら、お気に入りのシャツに袖を通し、どのスニーカーで出掛けようか悩みつつ、お昼の番組なんかをテレビから垂れ流しながら支度を進める。
海に似合いそうな真っ白なスニーカーを選び、いつもの道をフラッと散歩がてら駅まで歩いて、いつも通勤で使っている電車に乗り、会社の駅を通りすぎて、終点まで行ってみよう。
朝は満員のこの電車もこの時間帯は人もまばらで座席が空いている。
終点の片瀬江ノ島駅に着くと、海までは歩いて2~3分ほどだ、新江の島水族館に行きたいので、水族館側の海岸を目指して歩く。
磯の香りがする、普段は纏わりつくような暑さと湿気にすごく不快な気分になりながら日中を過ごすのだが、海からの風というだけで不快感は全くなく、むしろちょっとエモい。
先に進みたがる心と身体に置いて行かれないように、足を交互に動かす。
おしゃれなレストランの横を抜けると目の前には求めていた景色が広がった。
日の照り返す砂浜と広大な海、砂浜に打ち付ける波の音が1/fのゆらぎを生み出している。
何故こんなにも波の音って落ち着くのだろう。
しばらく海を眺めながら、海沿いを歩いて時間を気にしなくていいという幸せを噛み締める、たくさんの人たちがこの炎天下のもと、頑張って仕事をしているであろう。
しかし今日だけは今日に限っては僕はその社会の循環からはずれ、ただの一人の僕として僕の人生を過ごしている。
『最高だー!』と叫びだしそうになる心をグッと抑えて、いよいよ水族館に向かう。
新江の島水族館は昔からよく来る、特に夏の水族館は外との温度差もありとても得をしている気分になれる。
夏の暑さを全く感じずに冷房の効いた室内で海の中の世界を体感できるなんてとても贅沢だ。
平日なのでチケット売り場も混んでいない。
チケットを買って、入場ゲートの従業員さんに半券をもらい、中に入るとそこはもう外とは別世界だ。
僕は海の生物というよりは水槽に囲まれたこの空間自体が好きだ
普段水中をこれだけクリアに真横から眺めることなんてないでしょう?
唯一そんなことができる涼しげな空間に僕はとても心を弾ませる。
子供っぽいと思われるかもしれないが、正直子供でも大人でも水族館は楽しいと思う。
海の生物には詳しくないが、昔からとても見入ってしまう生き物がいる。
水族館の中ほどに差し掛かるとそいつの水槽が出てきた。
【タカアシガニ】
なんだカニかと思われるかもしれないが、そんな程度のカニならば僕だって見向きはしない。
こいつは別格なんだ、多分もともとは地球を侵略しに来た地球外生命体だったのではないかと思う。
見た目はとにかく気持ち悪い。
名前の通り足が長いのだが、長いというか長すぎる、長さ、幅30~35㎝ほどの胴体から細長い足が10本生えている、鋏を含む足の1本1本が生き物を殺傷できそうなほど鋭く尖っていて、なんとこいつらの体長は3~4メートルほどにもなる。
デカすぎるだろう。
しかも足10本って、戦闘する以外にこの本数いらないよね。
きっとたくさんの生物を殺傷するためなんだろうね。
見れば見るほど不格好な得体のしれない生物が何匹も水の中をゆらゆらと揺れている様はとても不気味で、ガラス越しに安全を確保されているこの状況だからこそ、まじまじと怖いもの見たさで凝視できるが、海の中でこいつと出くわしたら、多分もうジ・エンドだ。
僕は一目散に逃げることだけを考えて身体を動かすだろう。
一説によると100年くらい生きる上に、横歩きではなく360度好きな方向に動けるカニ離れしたスペック、切り落とした足も再生できるらしい。
こいつらがその気になれば地球の覇権はきっとタカアシガニに握られてしまうに違いない。
ちょっと興奮してしまった。
やっぱり街でタカアシガニに遭遇した場合の対策だけは考えておこうなんて思いながら、気を取り直して先に進むことにする。
しばらく進むとクラゲのコーナーに差し掛かる、少し前に江の島水族館とクラゲを題材にした月9のドラマがあって僕はとてもそれが好きだった。
ロケ地巡りも兼ねて、クラゲコーナーで足を止める。
クラゲには脳がないらしい、調べると目もなければ、心臓もないらしい。
ただ、海中を漂うだけ、もはや生き物というよりは草花に近いのかもしれない。
プランクトンを神経だけで捕食しながら、ただただ何も考えずにずーっと死ぬまで海中を漂い続ける。
こいつらはなんのために生まれてきたのだろう。
すべての生物には子孫を残す機能が備わっているが、子孫を繁栄させる目的ってそもそも何なのだろう。
タカアシガニは地球を侵略するために、クラゲだって本当はなにか目的があって生きているに違いない。
じゃあ僕は僕の最後の日までに何がしたくて生きているのだろうか。
なんて哲学的なことを考える時間があるのも水族館のいいところだ。
最後にペンギンを見てすっごいキュンキュンした。
あいつら人間が思う、かわいい歩き方とか、仕草とかを熟知してやがる。
そろそろ終盤、ゲームコーナーやちょっとしたフードコート、奥にはイルカショーのコーナーがあるがそういうのには興味がないので、この後はどうしようかなどと考えながら出口へと歩く。
館内を出ると、むわっとした夏の暑さが僕を海中から真夏の現実世界に連れ戻す。
そろそろ小腹が空いてきたので、遅めの昼食をとろうかな。
まだまだ今日は時間がある。
グゥーっと伸びをして島の方へ歩きながらをご飯処を探す。
せっかくだから海の幸を食べたいな、海鮮丼とか名物はしらす丼か、お刺身なんかも食べたいと思いながら、島へつづく橋を渡ると、島の入り口付近で元気のいいおばちゃんの店員さんに声を掛けられたので、そのお店に決めた。
2階の座敷に案内され、冷たいお絞りとお冷がテーブルに置かれた。
おっさんくさいと思いながらも、炎天下のもとを少々歩いてきた僕は、耐え切れずに冷たいお絞りで顔を拭く。
最高に気持ちいい瞬間だ。
束の間の快楽を楽しんだ僕はお冷には手を付けずに、メニュー表を開く、やはり生しらす丼を注文することにした。
一緒にサザエと刺身の盛り合わせを頼み、そして声高らかに『瓶ビールを1本!』。
お冷をステイさせた理由はこれだ、昼間からビール。
社会人であれば誰もが憧れる、このシチュエーションは今日だからこそできる至極の贅沢。
昼間といってももうおやつの時間くらいにはなっているのだが、普段はこの時間は仕事中ですから、ビールなんて絶対に飲めませんから。
店員さんがまずはビールを配膳する。
まずはキンキンに冷えたビールを一口。
『クァーッ!』と思わず声が出てしまう。
それを待ってましたと言わんばかりにしらす丼がテーブルに置かれる。
続いてお刺身やサザエなんかもセットアップ。
早々に生しらす丼を平らげて、お刺身とビールを交互に口に運びながら生を実感する。
なんて日だ!!
ビールが半分くらいなくなったところで、サザエがいい感じだ。
割り箸を入れ込み、貝を回しながら引くと、ニュルンっと美味しそうな中身が飛び出してきた。
これはこれは、ゴクッと喉を鳴らし、自然と少し笑みがこぼれる。
そしてアツアツの身におしりから齧り付く、磯の風味、まるでその身に海を詰め込んでいたかのように口の中に広がる肉汁。
しっかりと味わって飲み込む。
そしてこの時を待っていたと言わんばかりにすかさずビールを一口。
後に残る絶妙な苦さがビールと大変マッチする。
最高だ!
残りの部分とお刺身で瓶ビールを綺麗に1本空け、大満足で僕は店を出る。
さぁて、だいぶ江の島を堪能したな。
ここで帰ったとしても今日のこの一日は最高だったと自負できるが、せっかく島まで来たので、神社にお参りしていくことにする。
島の階段のほうへ商店街の坂道を上っていくと鳥居のちょっと手前でたこせんべいのお店を見つけた。
たこせんべいはこれもまた江の島の名物のひとつで、タコを丸々その姿のまま鉄板のプレス機で押し焼く。
いつもは大行列で並ぶ気にもなれないのだが、さすが平日、5人くらいしか並んでいなかったので、僕はすかさず6人目の参列者になった。
順番が来てお金を払い、いよいよタコがプレスされる。
高温の鉄板で水分を含んだタコが瞬時にプレスされるので、タコの断末魔のような『キューッ』という音が響き渡る。
そんな表現をしたら少し食欲が失せたが、出来上がった大きなせんべいを渡されたらそんなことは気にならなくなった。
たこせんを手で割って頬張りつつ、神社への階段を上っていく途中、昔誰かから聞いた話を思い出す。
江の島神社の神様は弁天様、弁天様は女の神様だから片思いは成就するように応援してくれるのだが、恋人同士で行くと嫉妬して別れさせてしまうらしい。
本当かね。
まぁ僕は一人で来ているし、二人でくるって女性もいないから関係ないけどもね、ふと思い浮かんでしまったんだからしょうがないでしょう。
誰だこれを僕に言ったやつは、なんて思いながら、大分階段を登ってきた。
目の前に手水舎が見えてくる。
手水舎とはちょうずや、ちょうずしゃなどと呼ばれる。
神社でお参りをする前に手と口を清めるためのあの柄杓の置いてある水の溜まった部分のことだ。
作法が書いてあったのでその通りにやってみる。
まずは柄杓を右手に持ち、左手を洗う、次に柄杓を持ち替えて右手も洗う、左手に水を受けて口を漱ぐ。
柄杓って使いずらいな。
先ほど口を漱いだ左手をまた洗い清めます。
最後に柄杓を立てて柄を洗い、柄杓をもとあったところに戻したら、お清め完了です。
いよいよ最後の階段を上ると本殿が見えてきた。
なんかいっぱい階段を登ったので達成感がすごい。
しかもなんか神聖っぽい水で清めたので、とても気持ちがすっきりしている。
そういえば何を願うかを考えていなかった。
と思ったが、すぐに決まった。
お参りの作法もしっかりとまずは1礼、ちょっと奮発して500円玉を投げ入れ鈴を鳴らして、二礼二拍手そのまま手を合わせて願う。
【今日のような一日がずっと続きますように。】
最後にしっかりと一礼。
よし、帰ろう。
ポケットから携帯を取り出すと会社から何十件もの着信履歴と上司からの怒りのLINEが入っていたが、明日対応しよう。
今日は素敵な一日だったな。
………………
そんなことを考えながら足を交互に何度も組みなおし、ゴロゴロとベッドの上を往復する。
時刻は7時10分
…
冷房って快適だわ。
よし、今日こそは自分に正直に生きよう。
んなことをもう一回やってる時間はない。
仕事に行く支度をしなければ。
もう30分後には支度を済ませ家を出て、炎天下のもと駅まで歩き、行きたくもない会社へいつもの通勤電車に揺られて向かうことになる。
もちろん現実世界の僕は会社の駅を通りすぎる勇気も、上司の連絡を無視するような楽観的思考も持ち合わせていない。
嫌すぎて、全然起きられない。
一日は24時間らしい。
誰が決めたかはわからないが、24時間で0に戻り、また24時間を繰り返す。
前の24時間を昨日と呼び、その前の24時間を一昨日と呼び、24時間後の世界を明日と呼んでいる。
たまにふと思うが、一日ごとに僕は死んでいるんじゃないだろうか、死というものを体験したことはないが、話に聞いている無の世界は寝ているときの感覚ととても似ているんじゃないかと思う。
こんな哲学的なことを考えられるのも、逃れることのできない、仕事前のこの緊張感のおかげだ。
顔を洗い、歯を磨いて、きっちりと髪の毛をジェルで固める。
いつものワイシャツに袖を通し、朝のニュースをテレビから垂れ流しながら、昨日買っておいたヨーグルトを5秒くらいで飲みこむ。
ネクタイを締めて、カバンを持ち、履きなれた革靴で駅まで歩きだす。
真夏の暑さと湿気が身体に纏わりついてきて、汗が噴き出る。
とても気持ち悪い。
目の前に蜃気楼が見える、駅までの道のりが地獄のようだ、駅には僕と同じ、これから仕事にいくのであろう下を向いた人々の群れ。
僕も群れに合流して、ギュウギュウの電車に乗り込む。
汗をかいた身体に冷たいワイシャツが張り付いてとても不快だ。
会社の最寄り駅に着き、僕は電車から押し出されるように外へ出る。
よし、今日も頑張ろう…。
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