第16話


 振り返ったベルデが目にしたのは、大壁のごとくそびえ立ちながらこちらを見下ろす黒焔巨人の姿だった。

「嘘、だよね……」

 オンサも釣蔦を切る手を止め、宙吊りのまま目を剥き啞然とする。

 そこへ目を覚ましたボカと、粘着泥から逃れたハグワール、レオパルドが合流し、ハグワールは釣蔦を切った。

「どうする……」

 あっけらかんと巨人を見つめるオンサは、既に臨戦態勢に入っていた二人に緊迫した面持ちで問う。

「どうするも何も、戦うしかねぇだろ。そのために騎士になったんだからよ」

 レオパルドはいつも通り威勢のいい言葉を吐くが、言葉尻にはいつもの力強さはなかった。

 ハグワールは弱点眼で頭からつま先まで巨人を見るが、一つも弱点が見当たらないことに顔を歪ませる。

「弱点が一つもないなんて……」

 三人は難攻不落の相手を前に思考を凝らしていると、騒ぎを聞きつけた三人の騎士が校舎の方からやって来るのが見えた。

「お前たちは下がってろ!」

 二本の角が生え、茶色の短い獣毛に身を包んだ男が、オンサたちの前に立ち、その吊り上がった目で巨人を睨む。男性の平均的な身長に比べやや矮躯ではあるものの、その背中からは、幾度となる戦闘で染みついた、強かさが滲んでいた。

<ゲイル=ガゼル 男 麞(ガゼル)族 速騎士団副団長 風属性 共鳴四層>

「副団長……」

 オンサが緊迫した状況下で束の間の安堵の声を漏らす。

「ここは私たちにまかせて、全員水晶甲虫を使って校舎へ戻りなさい!」

 シェルバは立ち竦む騎士たちに向かって声高に呼び掛けると、ほんの少し前まで敵同士だった騎士たちは急いでベルデの元に集り、蔓玉に手を翳した。

「ボカちゃんも早く!」

「……僕は、戦えるヒポ」

 ベルデたちを横切ったボカは、恐々と体を震わせながら、副団長たちの隣に並ぶ。

 ボカは生真面目であり、同時に不器用でもあった。それ故、三か月間の特訓ではどれも皆に遅れをとっていたが、その分人の倍以上の特訓を重ね、最後には必ず試験を突破して見せた。

「騎士としての役割を全うしたいのは分かるが、今回ばかりは話が違う。君も皆と一緒に戻りなさい」

 そんなボカの性格を誰よりも知っていたアルゼは、ボカの両眼を見つめ、真摯に訴えかける。

<アルゼ=エルク 男 箆鹿(ヘラジカ)族 力騎士団副団長 地属性 共鳴四層>

「そうよボカちゃん。残念だけど、まだ私たちの敵う相手じゃない。ここは副団長たちに任せよう」

「ヒ、ヒポ……」

 ボカは自分の意思に分別をつけられず躊躇っていると──突如巨人の口から凄まじい量の黒焔が放射された。

「エフハリスト!」

 アルゼは咄嗟にマスクをつけ、頭上に巨大な箆の形をした角を生やすと、『箆角反射(ホーンリフレクション)』でそれを四方へ拡散させる。

「さぁ、僕が防いでいる内に早く!」

 その苛烈な黒焔を見て己の未熟さを痛感させられたボカは、悔しさを断ち切るように皆の上に手を翳した。

「いくよっ!」

 最後にベルデが手を乗せ、水晶甲虫と繋がった蔓を力強く握り──六人は忽然と姿を消した。

「……くっ、黒焔をどうにかしてくれ!」

「任せろっ! ダンケ!」

 黒焔の苛烈さが徐々に勢いを増し、アルゼが押し負け始めると、ゲイルは両掌から頭上に生えた角と同じものを二本生成し、短剣のようにして両手に握った。

「シェルバ、あれをくれ!」

「了解! シュクラン!」

 次いでマスクをつけたシェルバは、何本にも枝分かれした巨大な枝角を生やし──その一本から、拳の形をした『鼓舞(こぶ)の実(み)』を実らせ、ゲイルに投げ渡す。

 受け取ったゲイルは大口を開け一口かぶりついた途端、全身に風の鎧を纏わせる。

「ウォォォォォ──! 麞式・防風刃(ぼうふうば)ッ!」

 短剣を目の前でクロスに重ねアルゼの代りに黒焔を受け止め──否、それどころか短剣から猛烈な突風を発生させると、徐々に黒焔を押し返していく。

「グオオオォ⁉」

 風刃が何重にも重なり形成されたそれは、黒焔はみるみるうちに巨人の口元まで押し戻され、後退っていく。

 その隙を見逃さんとばかりに、大木の葉陰から飛び上がった一人の騎士は、巨人の身長よりも高く舞うと、左手に雷で生成された一本の牙を巨人の脳天目掛け、疾風のごとく投げ落とした。

「雷狼牙(らいろうが)!」

 その電撃は瞬く間に巨人の全身に流れ、即座に胸で眠っていたカイザーまで届き──衝撃で薄っすらと気を取り戻したカイザーは、朦朧とする意識の中、巨人の目を通しその騎士を目視した。

 そのとき、唐突に言葉が脳裏にフラッシュバックする。

『……だが何があっても見捨てる気はない。黒焔を取り除く解決策がある限りはな』

「グ、グオオオォォ……」

 その言葉は瞬く間に巨人の体内を駆け巡り、あれだけ獰猛だった巨人は低い呻き声を上げながら頭を抱えうずくまった。同時に体表を覆っていた黒焔は鎮火していき、やがて露わになったカイザーは巨人の背中からするりと抜け落ちると、すかさずその騎士が受け止め、そのまま森の奥へと走り去って行った。そして主を失い完全な屍となった巨人は、森に傷ましい痕だけを残し、やがて完全に消え失せた。

 

「ハァ、ハァ……」

 ヴォルクスは数キロ先にある人目の少ない場所でカイザーを下ろし、大木の幹に座り息を整える。他の三人に知られれば、学長へ情報が漏れるリスクも高くなることから、その前にカイザーを救出しできる限り遠ざける必要があった。

「なぜそこまでしてこの子を助けるの?」

「……。」

 しかし、幹の裏からそろりと現れたシェルバがその思惑をことごとく粉砕すると、大きくため息を吐いた。

「もしかして、まだロッハーのこと根に持ってるんじゃない?」

 その名前を聞く度蘇るロッハーとの記憶は、いつもヴォルクスを辟易させる。

「あのとき、俺はあいつを引き止められなかった。だが今は違う。こいつの面倒はちゃんと責任を持って俺がみる。だから、このことは学長に黙っててくれ」

 いつにもなく真剣な眼差しで見つめてくるヴォルクスに、並々ならぬ誠意を感じたシェルバはゆっくりと背を向けた。

「……何言ってるの。私は何も見ていない。現れた巨人も、森を荒し正体は不明のまま自滅。今後、周囲に残った黒焔を調べ原因解明に努める。それだけよ」

「助かる……」

 ヴォルクスはそうとだけ言い残し、まだ上がった息のまま再びカイザーを背負うと、再び森の奥へと走り去った。

「ほんと、馬鹿……」


 巨人が消えても尚、レイブンは興奮冷めやらぬ様子で谷底から地上を見上げ続けていた。

「レイブン様、無事ですか?」

 退避していたピエロがレイブンの元へ向かう。巨人が暴れたせいで、集会場を囲っていた木は根こそぎ折れ、抉り落としていった岩石が辺一面に散らばっていた。

「あぁ……」

 ピエロはその中に混ざり込んでいたシルバのマスクを拾い上げる。

「しかし、このマスクはどこで手に入れたのですか?」

 その問いにレイブンはニヤリと笑い、ピエロの目を見つめた。

 底が見えないほど闇が渦巻いた希望に満ち溢れた目で。

「我々と同じ、巨人復活を望む者だ」


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