第13話
「俺たちの恨みを……、⁉」
「──うわぁぁぁぁぁ」
ウノの爪先が今にもレオンの首に刺さろうとしていたそのとき、突如空から女の声が響き、ウノは咄嗟に木陰に身を隠した。
「ぐへっ……いててっ……。って、え⁉ レオン⁉ どうしちゃったの⁉」
メルが水晶甲虫でワープした先は、奇跡的にレオンとピトフーイたちの戦場でった。
「ねぇ! 返事してよ⁉」
メル必死に肩を揺らし語りかけるも、レオンの口からは虫の息が漏れ出すだけだった。
(……ねぇ……、返事……、して……、よ……)
深い意思の中で一筋の光と共に薄っすらと響いたメルの声が、もう一人の自分と合わさろうとしていた左手を止める。
(……ごめん。どうやら助けが来たみたいだ)
(今更何言ってやがる! 絶対に後悔するぞ。こんな大人数、女一人で相手できるわけねぇだろ⁉)
(……かもな。でも信じずに死ぬより、信じて死ぬ方が後悔はしない。だから)
射した光がレオンを包み込むと、その体はつま先から砂のように崩し去っていく。
(俺は信じたい方を信じるよ)
レオンは薄っすらと目を開け、振り絞った残りの体力を声に代える。
「木の上……敵……毒……」
『ヒュッ!』
しかしその声は、メルの耳に届くまえにウノの指笛に掻き消される。
マスクをつけ音に反応し咄嗟に身構えたメルであったが、レオンのときと同じく、左右から猛烈な速さで迫りくるドスとトレスに反応できず──無情にも刃のその二つの羽はメルの体を痛々しく切り裂いた。
「きゃぁっ!」
「仲間が何人来ようが関係ない。俺たちの毒でねじ伏せてやる!」
『ヒュッ!』
矢継ぎ早に声帯麻痺毒を持つクアトロと嗅覚麻痺毒を持つシンコがメルを切る。
「……くっ!」
しかし、何度切り付けられようとも、メルは不屈の精神でレオンを庇うように立ち続ける。その様子は、いつもの陽気な姿からは想像もできないほど静謐で、威風ある姿であった。
「全ての毒が回り動けなくなるのも時間の問題。そうなれば、まずお前から俺の毒を見舞ってやる」
ウノの言う通り、短時間の内に四種類もの毒を受けたメルはいつ倒れてもおかしくなかった。
「……なぜ倒れない」
毒の摂取量も、回る時間も十二分に経過し、常人であれば既に立ってはいられないはずの状態。
が、メルは少し息を上げるだけで、一向に倒れる気配を見せない。
その場景に、ある思考と一抹の不安が過る。
「まさか……」
その不安を払拭するようにウノは指笛を鳴らし、もう一度ドスと盲目毒を持つセイスを向かわせる。同時にメルは精悍になった顔を上げると、相手の攻撃のタイミングと合わせ、鋭く尖った両手の爪で空を薙ぎ──初動を察知したドスは直ちに軌道を修正し、間一髪攻撃を免れるも、遅れたセイスは攻撃をもろに食らい地面へ勢いよく墜落した。
「「「「──⁉」」」」
『ヒュッ────!』
その瞬間、サイレンのような長い高音が響くと、大木から飛び出した五人はメルへ向かい一斉に突撃する。
「よくも俺の妹をッ!」
勃然と湧き上がらせ、怒りを胸に突撃してくるピトフーイたち──対し、冷淡な怒りを胸中に渦巻かせるメルは、両手に生え揃った鋭利な鉤爪に電気を纏わせ、ふわりと宙に舞い。
「蜜(みつ)熊(ぐま)・雷爪舞(らいそうぶ)ッ‼」
爪を薙ぐように高速で一回転すると、技の猛々しさを物語るような雷痕と共に、炸裂させた電撃が五人を一網打尽にした。
「……危ないじゃない。あともう少しで、あいつが出てきちゃうところだったよ」
「なぜ、毒が効かない……」
ウノの嫌な予感は的中していた。そして誤った選択で兄妹を傷つけてしまったという後悔と共に、体中を駆け巡る電撃の痛みに顔を歪ませる。
「まさかあなた達だったとはね……」
ウノは自分を見下げるメルのマスクが目に入り──全てを理解したように鼻から息をこぼした。
「……なるほどな。恩は仇では返せないってことか……」
蜜熊(ラーテル)族はあらゆる毒に対し強い耐性を持ち合わせている数少ない一族であった。故に、昔から差別を受けてきたピトフーイたちを擁護してきた一族であり、その考えはメルの代でも受け継がれていた。
メルは蜜木(みつぼく)から蜜を吸い出すために常備していた吸根(きゅうこん)を懐から取り出し、尖った根の部分を頸動脈に刺した。するとレオンの体内にあった毒がみるみるうちに吸い上げられていくとともに、それを栄養として吸根が芽生え、紫色の毒々しい一輪の花が咲いた。
「これでよし」
呼吸に深さが戻り、徐々に血色を取り戻すレオンを確認すると、地面に倒れ込むピトフーイたちに再び視線を落とした。
「……また森に戻って来なよ。今度こそ私が学長を説得してみせるからさ」
「……そんなできもしないこと、軽々しく口にするな! お前になんかわかるわけがない! どうあがいても、変えることができない不運な運命を背負った人間の気持ちをな!」
ウノの心の叫びに、他の五人も悲哀の表情を浮かべ始める。
「そんなことない。変えられない運命なんて」
「そんな綺麗ごとはもう聞き飽きた! これまで散々と適当な言葉で片付けられて、一族がどれだけ苦しんできたことかっ!」
差し迫る表情から矢継ぎ早に繰り出される怨嗟の激声。メルはそれらを全てを包み込むような暖かい声で言葉を綴った。
「……確かに、これまで差別を受けてこなかった私にはわからないかもね。だけどそんな私にもね、苦しみに慣れちゃいけないってことだけはわかるんだ。苦しみって不思議でね、浸り続けて苦しんでる自分に慣れちゃうと、それが傍にない自分に物足りなさを感じちゃうようになるの。それで色々な方法で自分を傷つけて、また苦しくなって。最後には他人のせいにしちゃう……」
メルが苦しみに対し人一倍の想いを馳せている理由。それはイタチ科の蜜熊(ラーテル)族と屈狸(クズリ)族の特殊能力と関係していた。
両族は先祖代々、イタチ科の中で最も恐れられていた種族であった。それは、動物側が強い苦しみや怒りを感じることで、二重人格のように凶暴な人格へ豹変してしまう特殊能力『凶暴性(フェロウシャス)』を持ち合わせていたからであり、変貌を遂げてしまえば最後、自我を失い、心身のあらゆるリミッターが外れ、自身を制御できなくなってしまうほどの凶暴性を持った狂人へと変化してしまうのであった。
そこで、怒りが一族の中で伝染し、内紛に発展することで一族が崩壊してしまうことを恐れた両族は、自身で怒りや苦しみをコントロールする術を身に着ける訓練を行ってきた。
そうして習得した術として、メルは笑顔を絶やさず、元気で明るく振舞い続けることでメルはそれらを自身から遠ざけ、フェロズは常に苛々とし、それをコントロールすることで凶暴性を制していた。
しかし、コントロールできるようになるまでの道のりは決して簡単なものではなかった。二人は初めて相棒と契りを交わした直後、言われるがままオウルが作った専用の蔓牢に閉じ込められ、拷問のように無数の蔓で刺激を与えられ続けた。そうして人格を強制的に入れ替え、自分の意思でそれを閉じ込めるという荒療治を幾度となく繰り返し、心身を摩耗させながらも、何とか二人はやりきったのであった。
「苦しみの渦から抜け出す一歩を踏み出さなくちゃ。その一歩目が、変われるって信じることなんだよ」
その言葉通り、メルは苦痛の中でひたすらに自分を信じた。どれだけ痛くて苦しくて辛くても、蜜熊族に生まれてきたことを恨むこともなく、目の前の現実だけを見続けた。
必ず変われると信じて。
これまでの苦難が滲んだ言葉は、ピトフーイたちの胸を打ち、自分たちの思考を改める起爆剤となった。
ただ一人を除いて。
「……ふざけるなっ!」
レオンを担いだメルは徐に声の方を振り返る。そこにはわずかな気力と体力を振り絞り、低空飛行で突撃してくるドスの姿があった。
「ドス! やめろっ!」
ドスは兄妹の中で最も仲間想いで忠誠心が強く一途な所があった。故にメルの説法が鼻につき──気付けばこれまでの報われてこなかった自分を肯定するようにメルに襲い掛かっていた。
「俺たちの、俺たちの絆の邪魔をするな────ッ!」
メルは咄嗟に脳をフル回転させ自分とレオンが助かる方法を考える。が、既にマスクを外しており、ドスの速度と距離からどう計算しても間に合わないと察したメルは、レオンを庇うように前で抱き、ドスの突撃を背中でもろに受けた。
強い衝撃とともに二人の体は宙へ舞い──背後で大きな口を開けていた深淵の谷の暗闇へ、吸い込まれるように落ちていった。
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