第12話

 目は開いているはずなのに、ずっと瞼の裏を見ているような。そんな暗闇にカイザーはいた。

「あの女……」

 気がつけば右手に収まっていた水晶甲虫は消え、共にワープしたはずのメルの気配もなかった。

(……珍しく一本取られたな。で、ここはどこだ?)

 氷床出身であったカイザーは、森での生活で一度も寒さというものを感じたことがなかったが、この場所は肌寒さを感じるほど温度が低く、漂う空気は湿っぽかった。

 カイザーはマスクをつけ、徐に両掌を左右に広げる。

「鯱鳴(しゃちめい)・超音波(ウルトラサウンド)」

 シルバが亀島大会で放ったものと同様のそれは、掌から発せられるクリック音を共鳴状態の相手に向けて放つことで、三半規管を麻痺させ鼓動を乱すことができる技であった。

 カイザーはその音の反響を空間把握に応用し、それを頼りに暗闇を歩いた。そうして数十分ほど歩みを進めると、数メートル先に小さな光が灯り、誰かの声がした。

「誰かいるの?」

 メルではない、大人びたおとなしそうな女性の声だった。カイザーはその希望の光を見失わないように急ぎ足で進み、光に近づいて行く。

「諸事情があって迷い込んだ。助けが欲しい」

「素直な人」

 遠くから見るとぼんやりと灯る光にしか見えなかったそれは、よく見ると目の形をしており──突如その目から光線が放たれると、カイザーの周囲をなぞるように照らしていく。

 すると、光が当たった場所からは火の灯った松明が現れ、数十メートルの高さがある断崖絶壁の岩壁を照らした。

 松明の灯りで露わになった女性は黒く艶やかな獣毛に覆われており、口元の黒色のマスクには猫の口が描かれていた。

「こんなところに迷い込むなんてありえないと思うけど?」

 慧眼のごとく赤と青のオッドアイがカイザーを捉え、額にあった三つ目の目がすっと閉じられていく。

<ピエロ=ネラガト 女 黒猫族 共鳴三層>

「自らの意思で来たわけじゃない。ちょっとした事故が起きた」

「そう。それは災難だったわね」

 ピエロは子供を相手するようにように冷たくあしらいながらも、興味深そうにカイザーのマスクに顔を近づける。

「あなた、もしかしてシルバの息子?」

「それが出口に案内してもらう事と何か関係があるか?」

「ふふっ……。その口調、やっぱりそうなのね」

 どこか懐かしむようにピエロはそっと微笑む。

「父の何を知っているかは知らないが、こっちは時間がない。案内する気がないのであれば、もうお前に用はない」

 諦めをつけるようにピエロを横切ろうとしたとき、ピエロの手がカイザーの肩にかかった。

「いくら出口を探したって無駄よ。ここは地上から二十メートルも下にある『深淵の谷』の底。地上に戻るには鳥類の一族に上げてもらうしかないわ」

「なら自力で登ってやる」

 そう意気込みながら周囲を囲んでいた松明の一本に手を掛ける。が、何故か雲を掴むようにそれに触れることができず、その滑稽な姿を見たピエロの口からは、控えめな笑みがこぼれる。

「よくできた偽物(フェイク)でしょ? 一つ約束をしてくれるのなら、この谷に住む唯一の鳥類ところへ案内してもいいわ」

「……約束?」

 カイザーが問うと、ピエロは徐に襟を下げ、鎖骨に入った黒いクリスタルの刺青を露にした。

「その場所にいる黒焔教の仲間に危害を加えないってね」

 

 二つ返事で了承したカイザーは、ピエロに連れられるまま歩みを進めた。意図的に誰かが木を植え作ったような不自然な森の入り口が唐突に現れた。森を照らす光茸や七点光虫を横目に更に奥へ進み、やがて最深部に到達すると、人為的に木が伐採され作られた集会場のような場所に案内された。

「……これはこれは、珍客がいらしたもんだ」

 いかにも狡猾そうな声と共に、尾大蛍(おだいほたる)の光が蔓で出来た玉座とその周囲をスポットライトのように照らす。

「こちらから会いに行こうと思っていたんだけどね。手間が省けてよかった。ピエロもご苦労だったね」

 足を組みそこに座っていたのは、漆黒の翼を生やし、烏の嘴が描かれたマスクをした、黒髪のオールバックの男だった。

「いえ。お役に立てて光栄です」

 ピエロは首を垂れ、カイザーの一歩後ろへと下がる。数多に繰り返されてきたであろう振舞いの滑らかさからも、相当な主従関係が見て取れた。

「お前たちに聞きたいことは山ほどあるが、生憎そんなも時間ない。外道にこんなことを頼むのは癪ではあるが、早く地上へ上げてくれ」

「外道に頼みごとをする気高き一族の末裔か。非常に面白い」

 周囲の物陰から、クスクスと複数人の笑い声が漏れる。

「まず自己紹介させてくれ。私の名前レイブン。黒焔教の団長を務めさせてもらっている。以後お見知りおきを」

<レイブン=クロー 男 烏族 共鳴四層>

「実はね、少しだけ君のお父さんのことで話したいことがあるんだよ」

「俺の話は聞いていなかったのか? さっさとここから」

「お父さんの遺体は見つかったかい?」

「⁉」

 レイブンの被さったその言葉に、思わず口を噤む。

「なぜそれを」

「ハハッ、何故かって? 君を愛しているからだよ。カイザー君」

 不気味に笑うレイブンに続くように、再び周囲からクスクスと笑い声漏れる。

「……まさか、お前たちが父さんをッ!」

「ノンノンノン……。そこは勘違いされちゃ困る。だけど私は知っている。遺体は絶対に見つからない。なぜなら君のお父さんはまだ死んでないんだから」

「どういうことだ⁉」

 はやる気持ちをぐっと堪え、レイブンを睨みつける。

「生源の海の底にある冥界の穴は知っているだろう? 彼は今もそこに閉じ込められ、この世とあの世の境を彷徨い続けているんだよ」

「何を言うかと思えば、馬鹿馬鹿しい。そもそも誰が何のために父をそんな場所に閉じ込めたというんだ?」

「心当たりがあるはずだ。自分の名誉と立場を守るために、君の父さんを煙たく思う人物が一人いるだろう?」

 半信半疑のままカイザーは真実の滝で見た記憶を遡っていくと、ある人物が脳に浮かび上がった。

「ゴルド=レオーネ……」

「……ビンゴ。君の父さんとゴルドは領域屈指の戦闘力を誇る騎士であり、百獣の王の称号を手に入れたゴルドが、その地位を脅かす唯一の存在を排除したいと思うのは当然のこと。そして大厄災という絶好の機会にそれを実行した。それも、痕跡すら残らない確実な方法でね」

 レイブンの緩急をつけた巧みな話術で紡がれる言葉が、カイザーの耳になだれ込んでいく。

(騙されるなカイザー! こんなもの、何の根拠もない作り話だ!)

「……。」

「ゴルドはフォースクリスタルと融合し巨人を倒した後、君の父さんを海へと引きずりおろし、フォースクリスタルの力で開けた冥界の穴へ閉じ込めた。だが、私利私欲にまみれたクリスタルの使い方をしたゴルドに巨人の体が爆散し、各領域に襲い掛かるという罰が下った。そこでゴルドは領域と皆を守るべく、フォースクリスタルと共に自らの体を分散させ、命を絶ったという訳さ」

 半信半疑だったカイザーの心は、まるで洗脳されるようにレイブンの言葉に蝕まれていく。いつもの冷静沈着のカイザーであれば、これほどまでに易々と他人の言葉など信じるはずもなかった。

「そしてその穴を開く方法はただ一つ……」

 しかし、それが尊敬する自分の父親のこととなると話は別であった。

「各領域に散らばったフォースフラグメントを一つに結集させ、再びクリスタルを生成すること」

 オセロの駒が白から黒にひっくり返るように、信じられないと思っていた気持ちが、信じたいという気持ちに変わっていく。

(目を覚ませカイザー! 相手は黒焔教だぞ!)

 最後の一駒だけが辛うじてオーカの言葉によって守られる。

「……。」

 かつて経験したことのない葛藤がカイザーの心身を消耗させ、無意識に涙を溢れさせる。

 レイブンは最後の追い打ちをかけんとばかりに、徐に玉座から立ち上がり──翼を羽ばたかせ、項垂れるカイザーの眼前へ舞い降りる。

「辛い気持ちはよくわかる。私の両親も、あの男に殺されたからね。ほら、これで涙でも拭きなさい」

 レイブンが懐からそれを取り出したとき、二人は思わず絶句し、カイザーは崩れるように地面に両膝をつけた。

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