第10話
ドンっ。
「いててっ……」
不意のテレポートに尻餅すら着けず、顔面から不時着したレオンは、不気味な空気が肌に刺さり、徐に辺りを見回す。
そこは先程までいた森とは百八十度雰囲気が違う、暗く湿っぽい森の中。射しこんでくるはずの日光も、一帯を覆う大木がそれを遮り、走る風が鳴らす葉擦れとその風の冷たさが、漂う不気味さをより一層際立たせていた。
「どこだ、ここ……」
(おいレオン、あれ見ろ)
数秒間に起きたことを整理しながら、リエフの言葉の先に目をやると、そこには陰湿な場景に似つかわしくない水晶甲虫が、大木に止まり翅を休めていた。
レオンは気味の悪い森を脱出しようと、ワームに忍び足で近づき、捕獲を試みる。そして眼前にまで捉えたそのとき、『ヒューヒュッ…………』と突如どこかから指笛がこだますると、その音に反応したワームは咄嗟に飛び上がり、ワープを使いどこかへ消え去ってしまった。
「ああっ……」
(なんだ今の音……)
辺りを見回しても、音の発生源になりそうな物や動物は一切見当たらない。
『ヒューヒュッ……』
再び鳴る。心なしか、先程よりも少し大きくなったように聞こえた。
『ヒューヒュッ……』『ヒューヒュッ』
「くるっ……!」
明らかにこちらに向かってくるそれに、恐怖を感じマスクをつけ身構える。
『ヒューヒュッ!』
そして五度目の音が頭上で鳴ると、黒く短い翼を携えた少年がレオンの前に降り立った。
「森の騎士がここに何の用だ……」
紫色の嘴が描かれた黒いマスクをつけた少年は、レオンの左手甲の爪痕を見て泰然と問う。目の下には、黒い六芒星のマークが一つ、刺青のように彫られており、甲には二本の爪痕が刻まれている。
「いろいろ事情があって、迷い込んじゃったんだ。出口はどっちかな?」
「とぼけやがって。滑稽な言い訳だ。ここの入り口は大厄災直後に封鎖されているというのに」
「封鎖……」
レオンの頭の片隅にあった記憶に光が当たる。
大厄災で巨人が自爆し、放散された黒焔の一部が落ちた場所に、大きな谷が生まれたというのを聞いたことがあった。『深淵の谷』と名付けられたその谷の底では今も尚黒焔が燃え盛っており、谷はもちろん、その周辺一帯が立ち入り禁止区域となっていた。
「本当はならず者の我々を駆逐しにきたのだろう?」
「違う! そんなこと……」
気迫に押され一歩後退ったとき、全方位の大木から多数の視線を感じその足を止まる。
(囲まれた。敵は一人じゃねぇ)
「……。」
「お前たち騎士団はいつもそうだっ。俺たちを無視し続け。挙句の果てに今度は、存在すらなかったことにしようって算段なんだろう⁉」
「そんなの勘違いだ! 君たちに何があったか知らないけど、僕はただ」
「黙れっ! 俺たちにだって、平等に生きる権利はあるんだ!」
少年はレオンの話を聞く耳一つ持たず、颯爽と大木の生い茂る葉へ飛び上がり消え──『ヒューヒュッ!』同時に指笛がこだますると、右方の大木から、少年と同じ黒く短い羽が生えた少年が、猛烈な速さでレオンに向かう。口元には先程の少年と同じマスクをつけ、目の下には二つの六芒星の刺青が入っている。
「……ッ!」
不意打ちに近い攻撃だったが、間一髪地面に伏せるようにして衝突を避けると、二つ星の少年は勢いそのままに、対面の大木に生い茂る葉の中に突っ込んだ。
『ヒューヒュッ!』
間髪入れず再び音が鳴る。すると、二つ星の少年が入ったはずの大木から、三つ星の刺青が入った少女が超低空飛行で伏せるレオンに突撃する。
レオンはすかさず宙を舞い避けると、同じ要領で対面の大木に身を隠した。
『ヒューヒュッ!』
次いで後方から四つ星の少年。『ヒューヒュッ!』斜め右後ろから五つ星の少年、六つ星の少女と、かわりがわりに突撃し、避ける度に対面の大木に身を隠す。
「……ハァ、ハァ」
絶え間ない連携攻撃に自然とレオンの息を上げる。
(なんで反撃しねぇんだ⁉ このままだと一方的にやられるだけだぞ!)
敵の動きは速かった。だが攻撃は単調で、行動パターンも対面にしか飛ばないという規則をもっており、反撃の機会も数多くあった。
だがレオンは、頑なにそれをしようとはしなかった。
「なんでここまで騎士を恨んでるかわからないけど。ここで手を出したら、もっと彼らの反感を買うことになる……」
三角錐の一件で肯定することの重要性を心の底から理解したレオンは、相手の気持ちを慮ることが多くなっていた。それ故、この少年少女たちが抱えている闇の根の部分を引き出し、根本から解決してあげたいという慈愛の心を強く持ち合わせていた。
(じゃぁ、どうすんだ? 話し合おうたって、聞く耳すら持たねぇのによ⁉)
リエフの言う通りだった。そしてレオンの頭の中にも、解決策は浮かんでいなかった。
「……とにかく場所を変える。ここじゃ不利だ」
両手を地面に着け四足になり、あてもなくただ薄暗い森を疾走した。そのすぐ後ろを大木の間を縫うように飛行する六人が追いかける。その間も、絶えず羽の生えた少年少女たちはレオンを襲い続けた。
『ヒューヒュッ!』
「俺たちの『六芒星(エクサグラマ)』から逃げれると思うな!」
「ちょっとでもいいから話し合わない⁉」
「話合う、だと……」
良かれと思いしたレオンの提案が少年の癇に障ると同時に、思い出さないように脳の奥に閉じ込めていた、忌々しい記憶が呼び起こされた。
「納得いきません! なぜ僕たちだけ選別して頂けないのですか⁉」
学長室へ抗議に訪れたピトフーイ六兄妹の長男ウノは、オウルに向かい激声を放つ。
「わしも心苦しい。だがの、一族の体質は己が一番わかっとるじゃろう」
鴆(ピトフーイ)一族は先祖代々、様々な種類の猛毒を体内に宿す一族であった。ゆえに毒に耐性のない他の一族からは遠ざけられる存在であり、どの騎士団にも属すことができずにいた。
「だからって、こんな扱い酷過ぎます! 僕たちだって、立派な騎士になってこの領域の役に立ちたいんです!」
「もちろんそれはわかっとる。じゃからお前さんたちには、両親と同じ特殊部隊に……」
「ふざけるなっ! 何が特殊部隊だ! そんな都合のいいこと言って、結局両親は一度も表に出ることはなかったじゃないか!」
目頭に涙を浮かべたウノはオウルに詰め寄ろうとするも、既にその行動は読まれており、両足に蔓が絡みつき動きを封じられる。
「……今は耐えるのじゃ。きっと、お前さんたちの力が必要になるときがくる」
「……クッ!」
何も言葉が出ないまま、目頭から溢れ出した一滴の涙は六芒星の刺青を濡らし、そっと床に落ちた。
「どうだった⁉」
学長室の外では五人がウノを期待の面持ちで出迎えたが、項垂れながら首を横に振るウノを見て、各々の表情は一気に曇った。
「クソッ! なんで、俺らだけこんな目に……」
二つ星の次男ドスは壁を叩き、悔しさを露にする。
「これからどうするの……?」
三つ星の長女トレスは高ぶる気持ちを抑えウノに問う。
「……俺はこの森を出る。お前たちは残ればいい」
「ウノ兄を置いて、そんなことできるかよ!」四つ星の三男クアトロが唾をまき散らせ、「その通り。俺たちもついて行くよ、兄さん」と、五つ星四男シンコが次ぐ。
「そうそう。これまでも六つ子で仲良くやってきたじゃない」六つ星の次女セイスが、無理矢理笑顔を作り微笑みかけた。
ウノはそっと顔を上げると、初めて自分を見る皆の憂いに満ちた眼差しを知った。
「お前ら……」
自分を思ってくれる人がこんなにもいる。それはウノの冷え切った心を奥からじんと暖め──同時に一人で生きていくなどと言ってしまった、己の軽率な言動に申し訳ない気持ちでいっぱいになり。
やがて決意する。
自分を拒むものに対し、受け入れてもらうための努力を続けるよりも、今目の前にある自分を受け入れてくれるものを、大切にする気持ちを持ち続けようと。
「……騎士になれないと決まった今、もうこの森に用はない。俺たちだけで住める場所を探そう」
「……ッ!」
レオンは森を疾走しながら何度も身を翻し、突撃を避け続ける。
「俺たちの六芒星は絆の証! 何があっても崩れることはない!」
その言葉通り、並飛する六人はウノの指笛による指示のまま、綺麗な六芒星を描きながら突撃し、常にその中心にレオンを捉えていた。レオンは苛烈な連続攻撃にただ体力を消耗し続け、顔を歪ませながらも解決策を練っていると、突然心の内でリエフが叫ぶ。
(レオン、止まれっ!)
反射的に爪を地面に突き刺し体を急停止させる。レオンの眼前には道はなく、代りにぼっかりと横長に開いた穴が何百メートルと続き、底が見えないほど深い谷が形成されていた。
森の薄暗さと戦闘に気を取られていたせいで気づかず、リエフの一声がなければ、確実に谷へ真っ逆さまに落ちていた。
「……ハァ、ハァ……」
排水の陣と化した戦況に置かれたレオン。そこで己の中で行われていた葛藤に仕方なく終止符を打つ。
(深傷は負わせない。みぞおちを狙う)
(……たくっ。手加減は苦手なんだよ)
荒れる呼吸を落ち着け、出ていた爪をしまい拳を作る。
「チッ、舐めやがってッ!」
その行動が更にピトフーイたちの闘争心を煽ると、指を咥えたウノは『ヒュッ!』とこれまでとは違う短い音を鳴らした。
すると、先程とは比べ物にならないほど数段とスピードを上げたドスとトレスが同時に、レオンを左右から挟むようにして大木から飛び出す。
「え」
想定外の攻撃と電光石火のスピードに、寸分も反応できなかったレオンは、二人の羽にクロスの形に切り裂かれ、そのまま地面に突っ伏すようにして倒れた。
「……。」
切られた部分から血が滲み、立ち上がろうとするが、なぜか体が鉛のように重く、一向に起き上がれない。
それを見たウノは、レオンの元へ舞い降り、もがき苦しむレオンの頭を力強く踏みつける。
「どうだ? ドスの『体重毒』の効果は? 全然動けないだろう?」
これほどまでに屈辱的な仕打ちを受けてもなお、心とは裏腹に、体は怒りで震えることすらもできない。
「まぁこの声も、トレスの『聴覚麻痺毒』で聞こえてないだろうけどな」
ウノは勝ち誇ったような目でレオンを蔑み、左手の人差し指を鼻の前で立てる。すると爪が急激に成長し、その先端を舌先でゆっくりと舐めた。
「安心しろ。俺の『脳死毒』ですぐに楽にさせてやる」
ウノの毒は他の五人とは違い、額を貫き血管に直接毒を注入することでしか、効果を発揮させることができなかった。が、一族の中で命を奪える唯一の毒でもあった。
毒のメスと化した爪が、レオンの喉元にゆっくりと近づいていく。
レオンは意識が朦朧とする中、全てを諦めるように目を閉じた。
(だからお前は弱いんだ)
暗闇の中から、尖り切った辛辣な言葉が、弾丸のようにレオンの心の殻を簡単に射抜く。
(……うるさいっ。 俺はただ、自分を信じただけだ……)
(じゃぁなぜ今お前は怒ってる? その信念を貫き通せていれば、怒りなんて湧いてこないはずだ)
もう一人の自分の言葉には、一言一句の間違などなかった。
こちら側から心を開き、全てを受け入れる誠意を相手に見せれば、それに応えてくれると漠然とした期待を抱いた分、それが失敗に終わった反動に耐えられず、その隙間から怒りが顔を出した。
レオンは知らなかった。期待と怒りは表裏一体なんだということに。
(いいか? お前の親切心なんか誰も求めてやしないんだ。いい加減気づけ、自分が間違ってることにな)
言葉の弾丸は、殻の内側にあった信じると決めていた思想に穴を開け続ける。そして暗闇の中から現れた偽レオンは、あのときのように左手を掲げた。
(こいつの爪が刺さる前に、早く俺を受け入れろ。このぐらいの毒なら、俺の力でどうにでもしてやる)
やがて思想の穴の周辺にはヒビが入り、端の方からぼろぼろと崩れ落ちていく。
(……くっ)
(死にてぇのか! 早く手を合わせろ!)
レオンは溢れそうになる涙を堪え、そっと左手を上げていく。
ウノの爪先はもう寸前まで近づいていた。
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