第8話

翌日。

 屋敷に集まった生徒たちは、昨日の悲惨な記憶を見たことで受けた心傷を引きずっていた。

「……お前たちだけが辛いと思うな。誰だって、大切な人間と別れるのは辛い。だが、この苦しみさえも受け入れなければ、共鳴三層への到達は不可能だ。そうなれば、これまでの訓練も全て水の泡になる。正直、ここまでは俺が予想していた以上の出来だ。だが、ここからが本当の正念場だということを忘れてはならない。これからお前たちは、過去を受け入れるための答えを見つけ出さなければならない。それは努力に比例し結果が伴うこれまでの訓練とは違い、際限ない暗闇を手探りで潜り続けるようなもの。手段は問わない。残りの期間は全てそれに費やし、答えを見つけ出すんだ。そうして共鳴三層に到達した者には騎士団へ入団資格が与えられ、入団した者にだけ『創果苗』が授与される」

 ヴォルクスは珍しく飴と鞭を巧みに使いながら言葉を並び終えた。卒業、騎士団、創果苗。生徒たちは憧れが少しずつ現実に近づいていることを実感すると、曇った顔に少しだけ光が射した。

 説明を受けた生徒たちは各々に、まだ見ぬ己の騎士像想いを馳せ去っていく中、ヴォルクスは最後に残ったカイザーを呼び止めた。

「昨日の記憶に何か手掛かりは?」

 カイザーは目を合わせるでもなく、ただ無愛想に首を横に振る。

 その返答にヴォルクスは表情一つ変えずに口を開く。

「脅すつもりはないが、この噂が出回ればお前はこの領域で住めなくなる。そしてもし学長の耳に入れば、即刻処分される可能性だって否定できない。だからこの件は一切口外しないでやる。フォースに誓ったっていい。だがお前も一つ約束しろ。これから何か異変や分かったことがあればいの一番に俺に報告しろ」

 ヴォルクスの熱意の籠った言葉は、カイザーとの間にあった壁に小さな亀裂を入れる。

「正直言って、俺はお前の鼻につく態度が気に食わねぇ。だが、何があっても見捨てる気はない。黒焔を取り除く解決策がある限りはな。ただ勘違いするな。別にお前を特別視するわけじゃない。白龍様の望み通り生きるだけだ。もしお前が黒焔に飲み込まれ、巨人になったそのときは、俺が責任を持って殺してやる」

 ヴォルクスは嘘偽りない言葉と、じっとりとした余韻を残し屋敷を出た。

 その後ろ姿を眼に映したカイザーは、視線を切るようにしてぐっと眼を閉じた。


「……。」

(駄目だ、共鳴が少しずつ乱れてきてる。今日はもう終わりだ)

 レオンはつぶっていた目を開けながら、座禅の姿勢を解き大きく溜息をついた。

 フェンサーの家の近くに、人通りが少なく、集中できる草原があるということで、泊まり込み修行を開始し、早二ヶ月。未だ三層に到達できていない状況に、次第に焦燥感と苛立ちが込み上がってくるようになった。

 それは同じく隣で腰を下ろし、共鳴していたフェンサーも同様であり、両親の死という暗闇に包まれた過去の中で、もがき続けながらも必死に己と向き合い、答えを探していた。

 そんなある日、いつものように修行していると、学長の相棒ウルラが二人の元を訪れた。

「オウルが呼んでいる。今すぐ『契りの三角錐』まで来るようにと」

「学長が? 何のために……」

 フェンサーが訝し気な表情を浮かべる。

「それはお前たちが会って直接確認するんだ」

 そうとだけ言い残し、颯爽と飛び去るウルラ。

「……行こう。何か助けになってくれるかもしれない」

 と言い終える前にレオンは草原を駆け出す。

「ああ、ちょっと!」

 フェンサーが後を追い、二人は離れていくウルラについていくように走った。

 一時間程森を走ると、やがて蔓が編み込まれ形成された、巨大な三角錐が姿を見せた。

(懐かしいな、レオン……)

(あぁ……)

 その名も、契りの三角錐。文字通りこの領域の人間が初めて動物と契りを交わす場所であり、現在、最も先祖と近く強い血が流れているオウルが、祈禱師として契りの儀式を取り仕切り、人間と動物の心を繋ぎ合わせている。

 人間が初めて契りを交わせるのは、マスク化に耐えうるための心身が発達するとされている十八歳になってからで、契りを交わせるのはマスク化の適合性上、先祖代々共存してきた種族の動物のみとなる。そして、契りを交わしたその日から、自分と相棒の名前を繋げた新しい名前になる。また原則として、契りを交わした者の一方が命尽きるまで、その相棒と共存することとなり、相棒を失った者は再び後継者が現れるまで、契りを交わすことはできない。

「おお。よぉ来てくれてたの」

 オウルは二人を見るや否や、顔中に皺を寄せ笑みを浮かべる。

「どうじゃ訓練の調子は……。と、聞かぬとも、お前さんたちの修行風景は盗み見させてもらっとったから、大体わかっとるわい。ここに呼び出したのも何か力になりたくての。まぁ、単なる老婆心ってわけじゃ」

 想像以上に落ち込んでいた二人に対し、オウルはいつも以上に声に丸みを帯びさせる。

「まぁ、安心せぃ。何も心配する必要なんてない。立ち止まっとるのはお前さんたちだけじゃないからの」

「ソラやティグリスたちも……?」

「そうじゃ。全以外の生徒たちも皆苦難しとる。それほど過去を受け入れることは、容易いことではない。あんな悲惨なことがあれば尚更の……」

「しかし学長、この特訓と契りの三角錐に何の関係が?」

「いい質問じゃフェンサー。お前さんたちが過去を受け入れるのに苦難している理由。それは偏に、過去を恐れているからじゃ。自分自身、どれだけ意思が固いと思っておっても、心の奥底に眠っている潜在意識が、それを見ることで生まれる苦しみや恐怖から無意識に逃げようとしておるのじゃ。じゃがそれも当然。人間の脳はそのように自己防衛本能が働くようになっておるからの。だがもし、その脳がない状態で、過去に向き合えるとなればどうかの……」

 フェンサーの頭の中で点と点が勢いよく繋がる。

「まさか、契りの儀式を……」

「そのまさかじゃ。儀式にある人間と動物の『魂』を取り出して繋げる工程。それを利用し、取り出した魂と体を繋ぎ合わせている霊子線を切るのじゃ。そうすれば、その間だけは脳を介さず、魂の中だけで過去の記憶へ接触することができる。お前さんたちが恐れとるものへ、より直接的に接触することができるというわけじゃ」

「しかし、そんなことすればもう二度と体に戻れなくなり、体はただの屍に……」

「その通り。しかし、一つだけ霊子線を再生する方法があっての。それは自らの力で魂をコントロールすること。そしてその力を手に入れる方法もまた、過去を完全に受け入れること。現状、お前さんたちの魂は過去の中に潜む何かに支配されておる状態。それを受け入れ、己に取り込むことで、真の魂を得ることができるのじゃ」

「しかし、それはあまりにもリスクが……」

 フェンサーは声を震わし、俯いた。

 魂を抜き、霊子線を切れば後戻りはできない危険な一本道。その条件を受け入れるには、文字通り命を懸けるほどの相当な覚悟が必要だった。

「無理を言っていることは百も承知じゃ。だがまたいつ巨人が現れるかわからん現状の中で、今の騎士の数では太刀打ちできんのが現状。領域とフラグメントを守るためリスクを犯してでも騎士を育てたいのが騎士団の本音じゃ。このまま普通に修行を続けても、三層に辿り着くのは限りなく低いと見ていいじゃろう」

 オウルは二人に背を向け、三角錐の頂上を見上げる。そこには、蔓で編みこまれ作られた白龍が鎮座している。

「もちろん己の命にかかわることじゃ、無理強いはせん。こんなリスクを背負ってまで、騎士に……」

「やります。いや、やらせてください!」

 レオンの声が遮るように響き、決然たる両眼がオウルの背中を凝視する。

「待ってレオン! 本当に死んじゃうかもしれないんだよ⁉」

「……かもな。でもどっちみち、今のままの俺たちだったら、巨人が来たら死ぬのに変わりない」

「だけど……」

「だったら今、目の前に転がってる強くなれるチャンスに命を懸けた方がいいだろ?」

「……」

 自分にはない意思の強さをまじまじと見せつけられたフェンサーは、ぐうの音も出ないまま黙り込んだ。

「リエフ、アウト……」

 レオンは左手の甲からリエフを出し、何かを訴えかけるように一瞥し──颯爽と三角錐へ向かった。

「絶対に、生きて戻って来いよ……」

「任せろっ」

 後ろから受けた声援に背を押されるようにして三角錐の中に入る。

「本当にいいんじゃな?」

「はい。もう二度と、あんな悪夢は蘇らせない。父さんと母さんの死を無駄にしたくないんです」

 その眼に宿った並々ならぬ決意を見受けたオウルは、マスクをつけ、両手を組み合わせる。すると、入り口の蔓は絡まり合うようにして閉まった。

「あと一つ言い忘れとったが、これは魂がこの世に存在できる時間は三分じゃ。一秒でも過ぎれば、魂は重力に耐えきれず崩壊し、即あの世行きじゃ。それまでにかたをつけてくるのじゃ」

「はい!」

 高鳴る鼓動を抑えるように深呼吸をしながら、こくりと頷き、目を閉じる。

 体の先から絡みついていった蔓はやがて全身を覆い、最後に手の形をした蔓が口の中へゆったりと入っていく。

「ん、ヴ、ヴォ……ッ……」

 生々しい嗚咽が沈むように止むと、中から出てきた蔓の手には、丸く冷気のようなものを纏った白色の魂が掴まれており、魂の先から体内へは、一本の白い臍の緒のような線で繋がっていた。

 オウルは三角錐に両掌を押し当て、その手蔓を操作し、魂から出たその霊子線を勢いよく千切る。

 すると、レオンは電池が切れたロボットのように、ぐったりと項垂れた。

「二人とも、後は頼んだぞい……」


「うわぁぁぁ────!」

 レオンは魂の中で真っ暗闇の中へ落ちていく感覚に襲われると、やがて見えない地面に尻を着いた。

「痛てて……」

 尻を摩りながら立ち上がり、ふと辺りを見回す。すると、さっきまで暗闇だった辺りは何故か四角木牢へと様変わりしていた。

「ここって……うッ」

 その光景に突如真実の滝で見た記憶が蘇り、酷い頭痛がレオンを襲う。

「……レオン、大丈夫?」

 だがすぐして、耳元で囁かれた暖かみに満ち溢れた声がそれを掻き消した。

「……母さん?」

 目の前に立っていたのは、慈愛に満ちた表情のマロネであった。

「団栗のネックレスはどうしたの?」

 その細く綺麗な手がそっとレオンの首元へ伸びる。

「……あぁ、聞いてよ母さん、試練の崖で色々あってさ……。え」

 その手に触れようとしたとき、透明人間のようにスッと手がすり抜けると、マロネは忽然とレオンの眼前から姿を消した。

「ここはお前の中にある恐怖が具現化して作り出された世界。そして俺は、お前が最も恐れる対象が具現化された存在だ」

 刺々しい口調で話す自分の声が聞こえ徐に振り向く。そこに立っていたのはもう一人の自分であった。

「なんで……」

「こうして目の前に現れているということは」

 言葉の途中でノイズが入ると同時に、全身に切れ目が入りブロック状になり、それらが一欠けらずつ上下左右ランダムに反転していくと、やがて偽レオンはゴルドへと変身を遂げた。

「何らかの恐怖を俺たちに感じているってことだ、レオン」

「父さん……」

 自然と前へ動き出そうとする体を制止し、呼吸を落ち着ける。

「何を恐れている……」

 またもノイズが入り、ゴルドはレオーネへと変身を遂げる。

「ゴルドのガキよ」

「恐れている……」

 胸に手を当て、自らに問いかけるように呟く。

「俺にはわかるぜ。お前が何に恐れてるか」

 いつの間にか真横にいた偽レオンが、レオンの耳にゼロ距離で言葉をねじ込む。

「お前は三層の到達なんて望んじゃいない。なぜなら、到達すれば、巨人と戦わなくていい理由がなくなっちまうからなァ」

「何を言って……」

「そのために、できない理由を無意識に積み上げてる。あんな巨人に勝てるわけなんかない。だって、あの百獣の王だった父さんが負けたんだから。母さんのように命を投げ捨てるほど守りてぇものがないから、ってなァ」

「そんなわけ……」

 無意識に握っていた両拳が震える。

「俺は二人を超えられない。なぜなら俺は弱いから。だったら、いっそのこと弱い自分であり続けたい。巨人となんて戦いたくないって、お前は潜在意識の中でずっと思い続けてる。全ては死という恐怖から逃れるために」

「違うッ! 現に、今もこうして命を懸けてここに……」

「いいや、そんな覚悟ただの上辺だけのものに過ぎない。何かあれば、学長が助けてくれる。潜在意識では常にそう思ってる。試練の崖でフェンサーを助けたときもそうだ。何かあれば、ヴォルクス先生が助けてくれる。きっと誰かが、きっと誰かが……。結局、お前の覚悟って奴は、誰か他人の助けがあると信じたところにしか成り立たない。薄っぺらいものなんだよ」

「違うッ! そんなのじゃッ──!」

 怒りに任せ右拳をもう一人の自分へ薙ぐも、当然のごとくすり抜け──その反動で心の底に沈殿していた黒い何かが舞い上がるのを感じた。


「学長、魂が……」

 蔓手に掴まれた魂は、徐々に黒く染まり初めていた。

「恐怖に飲み込まれそうになっとる……。耐えるんじゃ、レオン……」


「いいや、そうさ。なんせ俺はお前の心の鏡。誰よりもお前を知ってるんだからよ」

「嘘だっ……!」

 首を横に振り、目一杯否定の声を張り上げ続け全力で否定するも──心のどこかに突っかかりを感じ、完全に否定できていない自分がいることにも気づいていた。

 そんな自分に対し嫌悪感が積もっていき、やがて、溢れかえったそれは一滴の涙に変わり、頬を濡らす。

「不思議で仕方ないんだろう? 死ぬことがわかっていて、なぜ皆命を懸けて巨人と戦ったのか。領域なんて守らず、自分の命を優先して逃げれば良かったのにってな」

 もう一人の自分が言い放っていく言葉一つ一つは、リエフの記憶を見てからの数ヶ月の間に、無意識に蓋をするようにしてきた言葉や思考ばかりだった。

「……」

 それらを一遍に突き付けられたレオンは心の中でもがき苦しみ──あらゆる感情がないまぜになった混沌へと足を踏み入れ──やがてその果てを見る。

 そして。

「──」

 天啓に打たれたように気づく。

 本当は死ぬことを恐れていたのではなく、確定したわけではない死を恐れ、それを理由に成長することを放棄した弱い自分を認めることへの恐れだということに。

「レオン、俺を受け入れて楽になれ。そうすれば息を吹き返して、もう一度領域に戻れる。お前はもう騎士なんかにならなくていいんだ。命を懸けて巨人と戦う必要もない。どうせ誰も巨人には勝てずに皆死ぬんだからよ。だからこんなくだらねぇ特訓は早く終わりにして、学校もやめて、のんびり気ままに俺と暮らそうぜ」

 滝で記憶を見たあの日から、あの言葉の意味をひたすら考えていた。だが考える度、その言葉とは程遠い弱い自分に落胆し、拒み、やがて恐れるようになった。弱さを感じることが弱さの証明になると、そう思い込んでいた。だが結局、弱さからは逃げることはできない。そう悟ったとき、レオンに残された選択肢はもう一つしかなかった。

「確かに、そうだな……」

 これまで拒み続けてきた弱さを受け入れ、意味と希望を見出すということ。それは同時に、自分の中で信じてきた強さを根底から否定することでもあった。

「さぁ、今なら俺に触れられる。早く掌を合わせろ」

 頬を伝った涙を拭い、万感の思いと共に掌を掲げられた左掌へ近づいていく。

 そして、一つになるようにして重なったその瞬間、四角木牢だった辺りが一変し、幼少期のゴルドが正拳突きの特訓に励んでいる映像の中に変わった。

「……?」

 合わせていた掌が徐々に大きくなると、偽レオンは突如ゴルドへと変身する。

「弱さを受け入れる覚悟が出来たんだな、レオン……」

 ゴルドが当時の教官であったオウルの前で絶硬果に拳を振りかざし──だがびくともせず、他の生徒に笑われ、赤面している様子の映像が映し出される。

「見ての通り、俺は誰よりも弱かった。俺の父親も立派な騎士で、それに近づこうと必死で努力を続けた。まるで弱い自分から逃げるようにな……」

 映像が変わると、癒水の源泉に浸かりながら、人知れず涙を流すゴルドの姿が映る。

「ただ、そうしているといつしか壁にぶち当たるときが来る。今のお前のように。そして気づく、弱さは逃げるものじゃなく、肯定するものだってことにな」

 次いで絶硬果を真っ二つに割ったゴルドの姿が映ったそのとき、ノイズが入ったように映像が乱れ、辺りは再び四角木牢の場景に戻った。

「……邪魔だッ! 消えろッ、消えろッ!」

 同時に偽レオンの合わさっていた掌が偽レオンのものに戻る。そして、自身の一部となっていたゴルドを追い出すように、必死で顔を掻きむしった。

「おいレオン! こんな奴らの言うこと聞くんじゃ……くそっ……」

 言葉が途切れ、合わせていた掌が少し小さくなると、今度はマロネへと変身した。

「弱いことは悪いことじゃない。弱さを感じられるのは強くなりたいと思っている証。今のままでいいって思っている人は、弱さを感じることなんてできないんだから」

 辺りは、先程のゴルドを笑っている生徒たちの映像に変わる。その中で一人、ゴルドを心配そうに見つめているマロネの姿をレオンが捉える。

「その弱さを一つずつ肯定していくことが、本当に強くなるということなのよ」

「……黙れッ、黙れッ‼」

 マロネの顔の半分が浸食されるように偽レオンの顔へ変わっていく。しかし、そこにゴルドの顔が覆い被さっていくと、偽レオンの顔はゴルドとマロネの半々になった。

「ただ、弱さに全てを任せてはならない。弱さの果てにあるのは、強者に対する無条件の服従。それは自由を許されているのにも関わらず、そう生きることを放棄した人間のあってはならない姿。だから、どれだけ巨大な弱さに襲われたとしても、決して揺らぐことがない強さを持ち合わせておかなければならない」

 重なる二人の声は、まっさらな水面に起こる一波の波紋のようにレオンの心に広がっていく。

「その強さの源は何なのか、今のレオンならきっとわかるはずだ」

「源……」

 心の中で広がる二人の声とレオンの心の声が交わった刹那、レオンはそれ理解した。

 誰に教わるでもなく、はたまた新たに作り出すものでもない。自分という人間の全て、本能的に備わったそれを。

 一切の迷いが消えたレオンを見た二人は、安堵の表情を浮かべ映像と共に消えていく。それと同時に、憤怒の表情を浮かべた、偽レオンへと変顔する。

「何吹きこまれたか知らねぇが、絶対逃がさねぇぞ、レオン……」

 合わせていた手の全ての指を、レオンの指の間に折るようにして潜り込ませる。

「……大丈夫。お前を受け入れる覚悟はできている。だけど、全部は無理だ」

 偽レオンは眉間にシワを寄せ、掴む力をより一層強くした。

「俺は弱い。それがずっと悪いことだと思っていた。強くなるってことは、その弱さを忘れるぐらい、他の何かを伸ばすことだと思っていた。だけど、間違ってた。自分の様々な弱さを認めて、肯定して、克服した結果の集合体が、本当の強さなんだ」

「そんな強さ、巨人の圧倒的な力の前では全て無に等しい。まだわからないのかレオン。諦めるしかないんだ、俺たちは!」

 偽レオンの掴む手が怒りで震える。

「いいや、諦められないんだ。諦められないから、弱さを感じて、どんなに苦しくても強くなりたいと思い続けるんだ」

「どうしてそこまでして強くなる必要がある⁉ 何が人間をそこまでして突き動かすんだッ⁉」

「『愛』だよ」

 呆気にとられたように、もう一人のレオンの手がスッとすり抜けた。

「先人たちは皆、愛の大切さを心の底から理解していた。だからこそ、それを絶やさないために、命懸けで全てを守ったんだ」

「ふざけるなッ! そんな影も形もないものをなぜ信じるんだ⁉」

「それはわからない。だけど、前人類がそれを信じることをやめたから、地球は一度崩壊した。そして俺たち人間は、白龍様からもう一度それを信じるチャンスを貰ったんだ」

「なんだよ、それ……、そんなもので俺を拒みやがって……」

 震えた言葉が偽レオンの口からぽろぽろと落ち、沸々と湧き出る怒りが体を駆け巡っていく。

「じゃぁ見せてみろよ……、その愛ってやつをッ!」

 偽レオンは怒りを爆発させるように声を張り上げ、ほむらを滾らせた両眼をレオンへ向ける。

 途端、胸元に黒い穴が空くと、そこから噴き出した黒焔が全身を覆う。体が徐々に巨大化していき、四角木牢の屋根をぶち破ると、やがて黒焔巨人へと姿を変えた。

「──⁉」

 レオンは初めて対面する巨人の圧倒的な迫力に怯みそうになりながらも、咄嗟に飛び退り距離を取る。

「生きて帰れると思うなよッ────!」

 憤怒の雄叫びを上げた巨人が徐に拳を上げ、巨大隕石のように振りかざす。

 その強襲に、逃げ場などどこにも存在しないレオンは、無謀にもそれを迎え撃つように、生身の拳を突き付ける。その構図はまさに蟻と象のようで、勝敗は火を見るよりも明らかで。

 がしかし、その大小二つの拳が交わろうとしたその瞬間、爆風とともに中央のフォースクリスタルが突如として光り出すと、眩い閃光がレオンを包み込んだ。

「……ンッ⁉」

 簡単に打ち抜けるはずの拳がピタリと止まり──巨人は訝し気に、閃光の中に視線を注ぐ。

 やがて薄っすらと見えたその光景に、巨人は再び憤怒の雄叫びを上げた。

「お前らッ────‼」


 一方、レオンの黒く染まっていた魂の色は、黒と白の半々でせめぎ合っていた。

「学長、残り時間は……?」

「後、三十秒……。勝つんじゃ、レオン……!」

「レオン……」

 そのとき、二人の隣で冷静を装っていたリエフが初めて言葉を漏らす。胸中で蠢く嫌な予感を吐き出すように。


 巨人が閃光の中でで目にしたのは、フォースクリスタルの光を授かったレオン一家の三つの拳だった。

「父さん……、母さん……」

「気を緩めるな、レオン!」

「そうよ。ここで負ければ、もう戻れなくなる」

「……うんっ、わかった!」

 二人の戒めの言葉がレオンの表情を、一層精悍ものへと変える。

「ならば全員まとめて叩き潰してやるッ!」

 互いのぶつかり合った拳は、激しい光の火花を散らせ拮抗する。

「醜いんだよ、お前たちの希望を持った目が! そんなものに頼ろうとする根性が! 全力でねじ伏せてやる! 力こそが全てなんだッ!」

 風船のように膨らむ怒りに比例し、拳の威力が強くなると、三つの拳はじりじりと押し負け始める。

「くっ……」

 レオンたちの眼前を埋め尽くす黒焔に包まれた巨大な拳は、全てを無に帰すような、無限の暗闇が備わっており──それが近づいてくる度、あれほど硬い決心を誓ったはずのレオンの心は少しずつ揺らぎ始め、やがてレオンの心の中に一筋の亀裂が入る。

「……信じるのよ、レオン」

 マロネはすかさずその亀裂に言葉を流し込むと、フォースクリスタルに駆け寄り、ゴルドの両手を支えたときのマロネの断片的な記憶が、レオンの脳に流れ込んでくる。

「私たちは命を懸けてまでフォースクリスタルの力を信じた。そしてクリスタルは信じた分だけ、私たちに力を与えてくれた。私たちの信じる力が、巨人の悪を信じる力を上回ったのよ」

「信じる力……」

 吐く息くようにこぼれたその言葉は、亀裂が入った心の傷跡を綺麗に消し去り──寸前まで迫っていた巨人の拳を、レオンたちの光が徐々に押し返し始める。

「なにッ……⁉」

「負けねぇぞ……ッ!」

 レオンの心身に再び生気が漲ると、共鳴するかのようにフォースクリスタルから眩い閃光が放たれる。

 それは三人の光に加勢し、巨人の拳を押し上げていく。


「もう、だめだっ……」

 フェンサーは目頭に涙を浮かべ、三角錐から目を逸らした。

「まだじゃ……、十秒もある……」

「でもっ!」

 そのわめき声で胸の高鳴りが最高潮に達したリエフは理性を失い、本能に身を任せ、鋭い爪を立てながら三角錐に飛びかかった。

 しかし、蔓に組み込まれていた防衛反応が働き、反射的に伸びた数本の蔓が、鞭のように撓り、リエフの体を簡単に跳ね返した。

「……クソッ!」

 リエフの顔や体の数か所に切り傷がつき、そこからじわりと血が滲む。

「やめんかリエフっ! 相棒が必死に戦っとるんじゃ! ただ信じるのじゃ、こやつの強さをッ……!」


「さっさと潰れろ、虫けらがぁぁぁッ────!」

 負けじと巨人も全身全霊の力で拳を押し返そうとするも──天啓を得たレオンの力には敵わず、やがて光が眼前まで迫った。

 そしてレオンの左右にいた両親二人は、突き出していない方の手をレオンの肩に乗せ目配せを送り──それに応えるようにして、レオンは最後の力を振り絞った。

「いけぇぇぇぇ────ッ‼」

 最後の一押しで激烈さを増した光の拳は巨人の拳を貫き、そのままの勢いで顔面をも貫く。

「クソォォォォ────ッ‼」

 その一撃で息絶えた巨人は、轟音と立てながら崩壊するように倒れると、その巨体から黒焔が塵のように剥がれ落ちていく。やがて精根尽き果てたように横たわる偽レオンの姿が露わになった。

 一方、レオンも苛烈な戦いで相当な負担がかかり、立っているのがやっとの状態であった。

 しかし、本来の目標を果たすべく、満身創痍の体に鞭を打ち、覚束ない足取りでもう一人のレオンの場所へ向かう。

 気が付くと両親二人は消え、四角木牢の内部だった辺りの場景が、割れた鏡が剥がれていくようにして、最初の暗闇に戻っていく。

 そしてもう一人の自分の元へ着いたレオンは、膝から崩れ落ち──体一つ分の距離を空け、向かい合うようにしてもう一人のレオンの前に横たわった。

「……言ってたよな。影も形もないものをなぜ信じるんだって。わかったよ、その答えが……」

 偽レオンは敗北しても尚、眉間にシワを寄せ、目元だけで怒りを露にし続ける。

「それには無限の力が宿ってるんだ。求めれば求めるだけ力を手にできる。それが大きくなればなるほど、辛い思いもいっぱいする。だけど、最後には必ず応えてくれる。きっと、その正体が『愛』なんだ」

 その言葉を耳にしたもう一人のレオンの顔からはシワが消え、少しの間、茫然とした。

「……ふんっ」

 が、再び斜に構えたような顔に戻り、くだらねぇと言わんばかりに鼻で笑い飛ばす。

「俺はお前を信じて受け入れる。もっと強くなるためにお前が必要だ。だからお前も、俺を受け入れてくれ」

 最後の力を振り絞り、ゆっくりと左掌を差し出し、目を閉じる。

「……いつか絶対、そんなもんを信じてた自分を後悔させてやる。覚悟しとけ」

 口角を緩ませ、偽レオンはそっと掌を重ねる。

 その傷だらけの手は、ほんのりと暖かかった。


「……いちっ」

 オウルの口から最後のカウントダウンが告げられたその瞬間、黒く濁っていた魂の色が透明に一変すると、同時にレオンの魂から生えた霊子線はレオンの口から体内へと繋がり、レオンの中へ戻った。

「…………ん、ごほッ!」

 間一髪、一命をとりとめたレオンはむせるように息を吹き返すと、体に絡まりついていた蔓が解けていく。

「レオンっ!」

 オウルが入り口を開くや、フェンサーが一目散に駆け寄り、憔悴したレオンの上半身を抱えるようにして持ち上げた。

「レオン、大丈夫⁉」

「……ぁぁ」

 今にも消えてしまいそうな弱弱しい声とは反対に、その瞳には強かな生命力が漂っていた。

「よかった、本当に……」

 目頭に溜まっていた涙がついに溢れかえり、その涙がぽつぽつとレオンの頬に落ちる。

「よくやりきったの、レオン。どうじゃ今の気持ちは」

「不思議と、心が軽くなった感じがします……」

「抱えていたいくつもの過去や感情が一つになった証拠じゃ。後はその心で相棒と共鳴し、共鳴三層へゆくのみじゃ」

 オウルが後ろに振り向きながらそう言うと、俯き加減のリエフがのそのそと近づいてくる。

「待たせたな、リエフ……。って、どうしたんだその傷?」

「……ちょっと転んだだけだ」

「転んだって、俺が命懸けで頑張ってる間に何してたんだよ……」

「うるせーっ。……ったく、心配かけさせやがって」

 照れを隠すように、顔を明後日の方向へ向ける。が、尻尾は感情を隠せずピンと立ち上がっていた。

「……それはごめん。でも、もう大丈夫だ。これでまた一歩、父さんに近づいた」

「……ふんっ。だな」

「それはそうとフェンサーよ、お前さんはどうするんじゃ」

 オウルの問いかけに悠然と立ち上がったフェンサーは、頬の涙を拭い、その問いかけにひと時も逡巡することなく答える。

「やります」

「フェンサー……」

「……本当はものすごく怖い。でも、レオンが命懸けて頑張ってる姿を見て勇気をもらったんだ。僕も負けてられないって、そう思わされたんだ」

 その決意表明に、レオンは口元を綻ばせ。

「フェンサーならきっとやれる、そう信じてる」

 本当の強さを知った左拳をフェンサーに突きだす。

「ありがとう。生きて帰ってくるよ。必ず」

 そこに、まだ何も知らない左掌がコツンと音を立てぶつかった。

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