第7話

ドサッ!

「よし、今度は……」

「先生、またレオン君が!」

 ヴォルクスはデジャヴのようにメルの声の先に視線を向けると、滝つぼに入った一本の蔓を捉え──が、その瞬間。水面からぷくぷくと泡が噴き出すと、レオンが釣り上げられた魚のように、勢いよくせりあがり、無事に地上に戻った。

「プハァッ! だ、大丈夫です」

 全身ずぶ濡れで照れくさそうに笑うレオンの手には、乱雑に千切られた蔓が握られていた。

「大丈夫です、じゃねぇだろ……」

 ヴォルクスは額に手を当て大きく呆れる反面、ちょっとやそっとのことでは千切れないように、学長が特別な補強を施した蔦を、力ずくで引きちぎったレオンの成長を垣間見た。

「昨日も説明した通り、これから一人ずつあの滝の前に立ち、お前たちの相棒がこれまで見た全てを見てもらう。誰からでもいい。順番はお前たちで決めろ」

 その指令に、生徒たちは憂わしげな表情を浮かべながら互いの顔を見合わす中、微塵として不安を感じさせない面持ちで先陣を切ったカイザーは、滝まで繋がっている一本道を黙々と歩んだ。


「単刀直入に言う。お前の相棒の中に黒焔が宿っている」

 昨日、カイザーはヴォルクスの口から唐突に告げられた言葉の意味を理解できなかった。

「意識を失う前の記憶は?」

「……ない。最後に覚えているのは、あんたに攻撃されて、仰向けになったとこまでだ」

 思い出した途端、あのときの悔しさが込み上げ、眉間に皺が寄る。

「今すぐ相棒に聞くのじゃ。なにか黒焔について心当たりがないかをの」

 いつもは穏やかなパボの語気が鋭く尖る。

「……なぜそんなこと。そもそもそんな証拠どこにも」

「証拠ならあるわい」

 パボは着物の袖から、レンズのように丸い両眼をした見(けん)映(えい)虫(ちゅう)を取り出し、部屋の明かりを消す。

 すると、その虫の両眼から、カイザーが記憶をなくした直後の映像が壁に映し出される。

「……」

「わしもあのとき、お前さんからただならぬ闇を感じた。初めて巨人を見たときのようなの」

「不可解な点はそれだけじゃない。正拳突きの型は『礼節』を理解しなければ完成しないはずだが、今のお前にはそれが微塵も感じられない。だが事実、絶硬果を割ってみせた。それも誰よりも早く。お前には他の生徒たちとは違い、類まれなる能力がある。そしてその後ろ盾となっているのが、紛れもない黒焔の力だ」

 二人の完璧な理攻めに圧倒されたカイザーは、左手の甲を耳に当て、オーカの声を聞く。

「本当にわからないと言っている。フォースに誓ってもいい、と」

「そうか。だが、黒煙の力が宿っていることには変わりない。数十年も前に死んだ巨人の黒焔が宿っているのか、この領域を守る騎士として知る必要がある。そこで明日、真実の滝で知った相棒の過去全てを報告してもらう。これは守護者学校の教諭としての命令ではない。全の副団長としての命令だ」


 滝の正面に着いたカイザーは、昨日の記憶を振り払うように深呼吸し、心の準備を終えると、左手を口元に当てた。

「グラッチェ……」

 黒く染まった自分の顔が、透き通った滝の表面に映し出される。

 わざとそれに触れるよう左掌をかざし、目を閉じた。

 

(オーカ、ここは……?)

 次に目を開けると、そこは灯りなど一つもない真っ暗闇の中だった。

(俺の記憶の中だ。そして今は、俺が母の腹の中にいるときの記憶だ……)

 カイザーは頭上から聞こえた声の方を向くと、遥か遠くに灯った小さな光が段々と近づいてくるのがわかった。

 やがてその光がカイザーの体を飲み込み──水中の中で二匹の鯱がこちらを愛おしいそうに眺めている記憶がカイザーの目に映った。

『オーカの両親?』

(あぁ。父のグラムパスと母のオルカだ)

 表情こそ読み取れなかったものの、カイザーを見つめる二人から醸し出される慈愛に満ちた空気からは、人間と同じ愛が感じられた。

 暫くすると、氷床から一人の人間が海へ潜ってくるのが見えた。

『この人が……』

 それが誰なのかを直感的に理解したとき、自ずと息が詰まった。

(お前の父、シルバだ)

 髪を水中に漂わせながらオーカを抱きかかえ、ゆっくりと口元を少し緩ませる。

(いつも強面なシルバが、こんな表情見せてたなんてな……)

 オーカが鼻で笑うと、再び辺りが真っ暗闇に染まり──次に見えたのは、マスクをつけたシルバが、藻に囲まれた水中闘技場で他の騎士たちと組手をしている様子だった。

(シルバは毎日ここでトレーニングしてた。口癖のように強くなると呟き続けながらな……)

 先ほどの表情とは打って変わり、漲る闘争心と慧眼を携えたシルバは、向かってくる騎士たちを二人、三人となぎ倒していく。

 そして藻の隙間から見ていたオーカに気づくと、鋭い眼光で、その両眼を捉えた。

 まるで、今後この記憶を見るであろうカイザーに何かを訴えかけるように。

 次に見えたのは、部屋のベッドに腰かけオルカと話す妊婦姿のカノンだった。

 二人の故郷、氷床の孤島は一枚の分厚い氷床の上に、かまくらに似た氷で形成された家が立ち並び、皆そこを住居として生活していた。そしてほとんどの住宅では相棒と共に暮らせるよう、室内の氷床の一部をそぎ落とし、池のような場所を設ける設計になっていた。

「グラムパスの晴れ舞台なのに、一緒にいさせてごめんね……」

「いいのよ。私たちの夫なんだから、きっと勝って帰ってくるわよ。それより、名前はもう決めたの?」

「えぇ。女の子だったらミルナで、男の子だったら……、んっ……!」

 カノンの言葉が途絶えたかと思えば、お腹を抱えながら唐突に悶えだす。

「来たわね……。すぐに医者呼んでくるから待ってて!」とオルカは、オーカを残し水中へ潜った。

『母さん……』

 その苦しそうな姿を見たカイザーからは思わず悲嘆の声が漏れる。

「うっ……ううっ……」

 額に珠の汗を浮かばせ、腹を抑えながらも、池から心配そうに覗いているオーカに向かい、無理矢理口角を上げる。

「まっててね……、あともう少しで……、相棒がっ……んっっ────!」

 天井に突き刺ささりそうになるほど高い喘ぎ声が、白い息とともに室内に響くと同時に、入り口のドアが勢いよく開いた。


「んっぎゃ────! んっぎゃ────!」

「カノンさん、おめでとう。立派な男の子ですよ」

 助産師の女性が、狐の亡骸で作られた毛布に包まれたカイザーを手渡すと、出産で疲労漂う顔に笑顔が灯る。

「カノン、私にも見せて」

「ええ」

 そうオルカに近づけようとした刹那。

 ドンッ──‼

「「⁉」」

 森がある方角から、猛々しい雄叫びが鳴り響くとともに、氷床が激しい横揺れに襲われると、カノンは我が子を両腕で守るように抱き寄せた。

「何があった⁉」

 急いで医師と助産師が立ち上がり玄関のドアを開ける。

『あれが、黒焔巨人……』

 ドアの隙間から見えたそれにただならぬ恐怖を覚えたオーカは、オルカの体に縋るように近づく。

「白龍様、どうか私たちにクリスタルの加護を……」

 カノンは生まれたてのカイザーを胸に寄せ、唱えるように切望の念を口にした。そのとき。

 キュイ────ン。

 突如、耳をつんざくような轟音が鳴り響き──地開のサバンナにあったクリスタルは煌々と輝きを放ち舞い上がると、流星の如くに巨人の胸を貫き、そのまま海へ突き刺さった。

「白龍様……」

 が喜びも束の間、巨人が倒れた衝撃で生まれた大波が、猛烈な速さで氷床へ向かってくる。

 運悪くその日は亀島大会があり、ほとんどの騎士たちは亀島へ行っていたため、騎士は数人ほどしか残っておらず、その数少ない騎士たちは、マスクをつけ大急ぎで表に出る。

「全員で氷壁(アイスウォール)を張るぞっ!」

「私もっ……」

「駄目よ、カノン!」

 起き上がろうとするカノンをオルカの声が制止する。

「出産で体力を消耗してる。こんな状態じゃ共鳴しても……」

「駄目だっ、氷壁が足りない! 誰かいないのかっ!」

 外から悲痛な叫び、カノンを起き上がらせ──抱えていたカイザーをそっとベッドの上に置いた。

「でも、やるしかない……。この島のためにも、この子たちのためにも……!」

 波の勢いは衰えることを知らず、氷床へと突き進む。

「……グラッチェ」

 そこへマスクをつけたカノンは、白い息を空に昇らせながら氷床の縁に立ち、両掌を氷床に強く押し当て。

「鯱(しゃち)鰭(ひれ)氷壁(ひょうへき)ッ!」

 その名の通り、尾鰭の形をした氷壁は、他の騎士とは比べ物にならないほど分厚く広範囲に広がる。

「これが、鯱族の氷壁……」

 ドザァァァァ────ン。

 そうしてけたたましい音を立てながら氷壁にぶち当たった大波を見事防ぐことに成功した。

(早く戻りましょう……)

「ハァ、ハァ……、そうね……」

 カノンは溶けていく氷壁を背に自宅へ戻ろうとした。

「何だあれは……」

 一人の騎士が上げた訝し気な声にカノンはふと振り返る。

 その声の先に目をやると、一閃の光を先頭に、いくつもの黒い暗黒物質のような隕石が、高速で向かってきているのを捉えた。

 その得体の知れない落下物に、ただならぬ危険を察知したカノンは、満身創痍の体に鞭を打ち、急いで自宅へ戻る。

 すぐして、氷床の中央に黄金に光ったそれが落ちると、氷床の全体を囲うように光の膜が生成され、それに触れた暗黒物質は、次々と微塵になっていく。

「白龍様……」

 がしかし、僅かの差で光膜の逃れた一つの暗黒物質が、あろうことかカノンの家に目掛け落下する。

 

『……』

 開いた玄関からその光景を見たオーカは、咄嗟に池から飛び出し、ベッドの上にいたカイザーを口の中に含み、池から逃げようとするが、暗黒物質の落下速度が速く、間に合わないことを悟った。

 そのとき。

 カノンは玄関を塞ぐようにして立ち、両腕を氷の結晶に包む。

『……いやだっ』

「……その子の名前はカイザー。後は頼んだよ、オーカ……」

 憂いで溢れた表情を浮かべ、オーカを一瞥した頃、カノンは顔以外の全てが氷の結晶に包まれていた。

『駄目だ……母さん……、やめて……』

「──鯱命・絶対零度(しゃちめい・アブソリュートゼロ)ッ‼」

 掲げた左掌が暗黒物質に触れると、カノンと共に、一瞬で凍りついたそれは、家の寸前で制止した。

(母さん────ッ‼)


「ハァッ、ハァッ……」

 滝から掌が離れ、記憶から断絶されたカイザーは、ひどく息を乱しながら地にひざをついた。

「カイザー!」

 その様子を背後から見ていたレオンは、駆けつけようとするも、すぐにヴォルクスの手が肩にかかる。

「今、お前が行って何ができる」

「でもっ……」

「そう感情的になるな。帰ってきたら、次はお前の番だ。あぁならないように、心の準備をしておけ」

「……はい」

 滝つぼで助けてもらった恩を返そうと気持ちだけが先走っていたレオンであったが、ヴォルクスの言う通り、駆け寄ったところで、カイザーを立ち直させるような気の利いた言葉を掛けれる自信がなかったレオンは、その気持ちをぐっと拳に込めて堪えた。

 カイザーが顔を俯かせながら戻ってくると、次いで入れ替わるように、レオンは一本道を渡り、滝の表面に辿り着いた。

「グラシアス」

(大丈夫か?)

「うん……」

 レオンの心は揺れていた。正直、気持ちの準備も万全ではなかった。

 しかし、滝に掌を当てるその動作に迷いはなかった。

 ただ、両親に会いたい。その気持ちだけがレオンを突き動かした。

 

 カイザー同様、暗闇から降ってくる光が全身を包むと、次に映し出されたのはオレンジ色の髪を生やした喜色満面の男の姿だった。

『父さん……?』

「ちっちぇー! というか改めて見ると、やっぱ俺に似てんなぁー!」

 まるで新しい玩具を買ってもらった子供のように、生まれたてのレオンを天に向けて抱え上げる。

「ちょっとゴルド! 落としたらどうするつもり⁉」

 隣にいたマロネが即座に一喝を入れる。

「俺の息子なら、こんな高さから落ちても死にはしねーよ」

 更に高く掲げると、にしし、と口角から悪戯な笑い声を漏らし、少し怯え気味のレオンの顔を見続けた。

(どうだ、自分の父親を初めて見た感想は)

『んー、なんというか、思ってたより、子供……』

(かかかっ。お前も十分その遺伝子引き継いでるぜ……)

『うるせっ』

 その後も、貯めていた肉茸をこっそり食べたのが見つかり妻のマロネに怒られる姿や、寝坊して団長会議に遅れ、他の団長から咎められる姿など、想像とは全く違った情けない父親の姿を見続けたレオンは、あっけらかんとし続けた。

 そして次に映ったのは、亀島大会の映像であった。

『この戦いって……』

(あぁ。ゴルドが百獣の王になった日の戦いだ)

「「「ゴルドッ、ゴルドッ、ゴルドッ────‼」」」

 会場に巻き起こるゴルドコールに、レオンの乾いていた目が輝きを取り戻していく。

(ゴルドは不器用で、戦い以外のことはまるで駄目だった。だがな、その度に周りの皆に支えられて、助けられていた。だからその分、領域を守るために、必死に努力して強くなったんだ)

「「「一、二、三、ウォ────ッ‼‼」」」

 レオンは響き渡る歓声に背を預けるように倒れるゴルドを見て、目の輝きはそのままに、ごくり、と固唾を飲んだ。

 次に映ったのは、その夜の記憶だった。

「おめでと~っ!」

 サバンナにある自宅には、霜降茸やバルーンミートなど、様々な高級食材が並び、各領域から観戦に来ていた多くの騎士がゴルドの優勝を祝っていた。

「いやぁ、最後の私の喝が効いたね~」

 マロネは背に抱いたレオンをあやすようにして皮肉な表情を浮かべる。

「べ、別に、なくても勝てたけどなっ……」

「もっと素直になりなさいよっ。ま、何はともあれ勝ててよかったわね」

「しかしゴルド、これからまた忙しくなるぞ~。もう寝坊はせんようにな、はっはっはっ!」

 頬を赤くしたファンテは瞬酔(しゅんすい)酒(しゅ)を片手に、ゴルドの肩をバンバンと叩く。

「この子のためにも、立派な大人になってもらわんとっ!」

「はいはい、わかったよ……」

 集まった騎士たちは各々談笑に花を咲かせる中、腹いっぱい飯を食った幼きリエフは寝床へ着くため外へ出た──そのとき、海から響く鳴動とともに、そいつは現れた。

『あれが……』

 レオンは当時のリエフのように絶句する。

 その轟音を聞いた騎士たちは、次々と外へ出て──そして、黒焔巨人を目にした騎士たちの双眸には、もう先程の賑やかさなどの類は一切として存在していなかった。

「……。」

 ゴルドは呼吸を忘れ、啞然としながら怯えるマロネの肩を抱く。

「皆、一列に並べ! 絶対にここを通すんじゃないぞ!」

 ファンテの野太い声が響くと、巨人の前を阻むようにして数十人の騎士が一斉に横一列に並び、地に両掌をつけた。

 そして瞬く間に、風、水、火、氷、土、各属性の壁を出現させると、巨人は徐に歩みを止めた。

「やったか……?」

 一瞬、奇妙な静寂が騎士たちを包み──が、それも束の間。まるでそこに何も存在していなかったかの如く歩みを進め、簡単に壁を崩壊させた。

「「「「「……⁉」」」」」

 日々、過酷な訓練を積み成熟した騎士たちが生成したそれさえも、一瞬で無に帰る圧倒的破壊力と推進力。まさに蟻と象ほどの力量差を見せつけられた騎士たちは、無意識の内にたじろぐ。

「引くなっ! 壁を作れ! クリスタルだけは何があっても死守するぞッ──‼」

 その皆の背を支えるように、ファンテは鼓舞する激声を飛ばし──折れかけた気持ちを戻した騎士たちは、ぐっと足に力を入れ、応えるように再び壁を生成していく。

 一方、巨人は止まることなく、クリスタルが保管されている四角木牢目掛け歩いていく。歩いた後には黒焔が炎々と燃え盛り、瞬く間に木々を灰にしていく。

 騎士たちは巨人が到達するまでの全ての時間を使い、森とサバンナ境目に何重にも重ねた強固な壁を張り巡らせる。

 そうしていよいよ地開のサバンナへ足を踏み入れた巨人は、眼前に捉えた巨人は黒焔に包まれた巨大な腕を、ブン、と横に薙ぎ──まるで蜘蛛の巣を払うかの如く、何重にもなった壁を簡単に崩壊させた。

「……そんな」

「全員下がれッ────!」

 各人が全力を尽くし作り上げたこの上ない鉄壁。そこに見出した自信と希望。それらを根っこから打ち砕かれ呆然とするファンテに代わり、ゴルドは声をまき散らすように叫んだ。

 騎士たちは慌てて後退し──そこへ追い打ちをかけるように、巨人は口から大量の黒煙を放射する。

「うわぁぁぁぁぁぁぁ──」

 逃げ遅れた騎士たちの悲痛な叫びがあちこちで響き渡る。餌食になった一人が、リエフたちの目の前に転がってきた。

 マロネは咄嗟にリエフの目を遮るように前に立ち、腰にぶら下げていた竹水筒を開け、入っていた癒水を急いでかける。だが。

「なんで……」

 治癒能力があるはずの癒水でも一向に消える気配はなく──思わずおののいたマロネは、その場に尻餅を着いた。

「嫌だ、死にたく……、あ、ああっ────ッ!」

 もがき苦しむ騎士の意思とは裏腹に、黒焔は無慈悲に燃え盛り、体の全てを焼き尽くすまで消えることがなかった。

「早く森の方へ逃げろっ! ここは俺たちでなんとかする」

 駆け付けたゴルドは、座り込んだマロネの肩を揺らしながら訴えるように言う。何とか正気を取り戻したマロネは、抱き寄せるようにしてゴルドの首に手を回した。

「絶対に生きて会いに来てっ……」

 切実な眼でそう呟くと、マロネはマスクをつけ、リエフと共に森へと逃げた。

 幼きレオンを背に一心不乱に逃げている途中、展望の丘を下り、援護にやって来た何人もの騎士たちとすれ違う。

 しかし、その数秒後にはその騎士たちから悲鳴が上がり──その度に後ろ髪を引かれ、徐々に走るスピードを緩まったマロネは、やがて後ろを振り返る。

 依然として猛威を振るう巨人に、次々となぎ倒されていく騎士たち。その光景に、ふとゴルドの姿が照らし合わされ。

「うぎゃーっ!」

 レオンの泣き声で我に返ると、再び前を向き再び走り出した。

「グォォォォォォ────‼」

 その刹那。地を裂くような咆哮とともに発射された黒焔の光線が、凄烈なスピードでマロネの後ろをついていたリエフを襲う。

「危ないっ────!」

 マロネは激声を上げながらリエフの体に覆いかぶさり、間一髪光線を躱す。

「ゴホッ、ゴホッ……」

 爆風で舞い上がった土煙と焦げた匂いが鼻に入り、むせながら体を起こす。そのときには既に巨人の口に二発目の光線の準備が始まっていた。

 マロネは急いでリエフの体を咥えると、進路を百八十度変え、一直線に四角木牢へ駆け込んだ。

「ハァ、ハァ……。なんで私たちばかり……」

 間一髪、発射前に木牢へと逃げ込むことに成功したマロネたちは、緊張の糸が切れ、体を預けるようにして壁にもたれかかりながら腰を下ろす。マロネはレオンを背負っていたレオンを前に抱き替え、飾り気のない牢内の中心で、悠然と浮遊するフォースクリスタルを憮然たる面持ちで見つめる。

「んぎゃー! んぎゃー!」

 腕の中で泣き出すレオンの声で我に返る。すぐに母親の表情に戻り、あやしながらそっと額同士を合わせた。

「レオン……、ごめんね……」

 そう呟くと同時に、ぴたりと泣き声が止んだレオンを床に置くと、憂いを帯びた表情のシシを一瞥した。

「本当にやる気……?」

「……これ以外、あいつを倒す方法なんてないわ」

「でも、この子たちはどうするの?」

「大丈夫。私とゴルドの子よ。私たちがいなくても、きっと強く生きていける」

 マロネは我が子を愛おしそうに見つめていたそのままの眼でリエフを一瞥すると、リエフはぐっすりと眠るレオンに近づき、そっと体を寄せた。言葉ではなく、行動で覚悟を示すことが、マロネへ対する最大限の応え方であると考えた末の行動であった。

「……やるからには後戻りはできないわよ」

「わかってる」

 その表情から一転。決然たる瞳と口調でそう呟いたマロネは、細かく震える左手をもう一方の手で抑え、クリスタルに手を伸ばす。

 距離が近づいていく度、クリスタルは何本もの細かい稲妻を放ちそれを拒絶したが、マロネは屈せずに手を近づけ続け。

「うっ、ううっ……」

 やがて後数センチの所まで迫ったとき、一本の獣毛が生えた太い腕が手首を強く掴み、その手を下ろした。

「それは俺の役目だ、マロネ……」

 目を向けずとも、その声の主が誰なのかはすぐにわかった。

「何言ってるの……。百獣の王のあなたがいないと騎士たちはが……」

「俺がいなくても、代りはなんていくらでもいる。でも、マロネの代りはいない。レオンの母親はマロネだけだ」

「何言ってんのよ、馬鹿っ。そんなのあなたも一緒じゃない……」

 一滴の涙が緩んだ口角を伝い、床に落ちる。

「確かにそうだな……。でも、レオンは俺に似ている気がするんだ。だからわかる。レオンには絶対にマロネが必要だ」

 徐々に大きくなっていく巨人の足音が、マロネの判断を迫る。

「……っ」

 ゴルドは俯き涙を流し続けるマロネを強く抱き寄せる目を閉じ──最後の抱擁を終えると、覚悟を決めた形相で、クリスタルに両手を伸ばした。

「……っ、ウォォォ────ッ」

 ゴルドの悲痛な叫びが室内に響き──その瞬間、四角木牢の屋根が凄まじい炸裂音を立て、巨人に取り壊されていく。

「レオーネッ、耐えろ────ッ!」

 クリスタルが放つ眩い光と稲妻は、皮膚に纏わりつくようにしてゴルドの全身を覆っていく。

「アッ、ッアアアッ────」

 クリスタルの反発は強く、ゴルドの意識は徐々に薄れ、手が離れかけた。

 ──スッ。

 そのとき、もう二本の細い手がゴルドの両手を包むように支える。

「先祖様、私たちに力を……」

 マロネの団栗のネックレスが解け、自分の意思を持ったかのようにリエフの首に結び付く。

「グルルルルルルラララアアアアァァァァ──」

 全壊した天井から巨人の手がクリスタルに伸び──その刹那、クリスタルが放っていた眩い光が膨張するように広がり、その中から重なり合った二人の声がレオンの鼓膜に響いた。

「「強く、生きて……」」

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