第6話

「……大丈夫、後、もう少し……」

 レオンは夢の中で崖の淵に最後の一手を掛け────


「はぁっ!」

 崖から落ちていく浮力を感じると同時に、勢いよくベッドから体を起こし、目を覚ました。

「夢か……」

 そう呟くや、レオンは何かを思い出すように辺りを見回す。そこは丸太が何本も重なってできた小屋の中であった。

「はぁ……。よかった……」

 そして、隣のベッドで健やかに眠っていたフェンサーを確認した途端、安堵の溜息を漏らし、ふと窓の外に目をやった。

 外は薄っすらと雲に似た煙に包まれており、巨大な木々が等間隔で生え揃っていた。

 最奥には、蔦に覆われ聖杯の形をした泉から大量の癒水が溢れ続け、それが一本の川となり、崖の淵から地上へと落ちていた。

 そしてその片隅で、マスクをつけた皆が一列に並び、絶硬果に向かって左右の拳を交互に振りかざし特訓している姿を捉えたとき、レオンの頭に疑問符が浮かんだ。

 なぜ、自分はこんなところで眠っているのか、と。

「起きたかいのぉ」

 そのとき、穏和で包容力のある声に顔を向けると、緑色の癒水が入ったコップが載ったお盆を持ち、腰が曲げゆっくりと歩いてくる老婆の姿があった。身に着けた着物は鮮やかな青と緑で彩られている。

「あ、あの僕、いつからここで眠ってましたか。何かここに来たときの記憶があまりないみたいで……」

「ん~、だいたい三日ぐらいかのぉ。登り切った直後は既に意識を失っておったわい」

 そこで初めて抜けていた記憶の欠片がはまった。

「三日も……、早く修行に戻らないと……うッ」

 ベッドから下りようした瞬間、体の節々に激痛が走る。

「無理しちゃいけんよ。まだ体は完治しておらん。特に指は酷く損傷しとる。あと一歩治療が遅れとったら、使い物にならんとこじゃった。ほい、飲みなさい」

 老婆はレオンへコップを手渡し、本来の血色を完全に失った指に、血豆(けっとう)をすり潰して作られた軟膏を揉みこむように塗る。

「ありがとうございます……。ゴホッ!ゴホッ! に、苦い……」

「ほほほっ、そりゃ当たり前じゃ。いつもの倍の苦(く)苦(く)草(ぐさ)を使っておるからの。良薬口に苦しじゃよ」

 レオンは顔を歪ませながらも、息を止め、何とか全て飲み切る。

「……おばあさんはずっとここに?」

「そうよ。もう何十年もここに住んどる。癒水の源泉を守るためにのぉ」

「守るって……」

 大厄災以後、森の最奥にあった源泉は何とか被害を受けることはなかった。が、またいつ起こるかわからないと万が一の事態に備え、源泉を護衛する専属の騎士を配備した。

 その話はレオンも聞いたことがあったが、それがこんなにも年老いた老婆だということは知らなかった。

「お婆さんが、何十年も一人で……?」

「いいや、こやつと二人じゃ」

 左手に入った五本の爪痕に目線を落とした。その爪痕は真ん中の内の一本が異様に長く、アンバランスだった。

「あと数日は休養が必要じゃ。焦る気持ちもわからんでもないが、今はしっかりと体を治すことに専念しなさい」

 レオンは言われるままに布団に潜り込もうとしたとき、大切な事を聞き忘れていたのを思い出し、体を起こす。

「あ、お婆さん名前は……?」

「わたしゃ、パボじゃ。相棒はピーコック。まぁ、パボ婆とでも呼んどくれ」

<パボ=ピーコック 女 孔雀族 共鳴五層 属性不明>

 目を細め、にたりと笑い立ち去っていくその背中からは、その表情に似つかわしくない、途轍もない威風の片鱗が見え隠れしていた。

 三日後。パボ婆の治療のおかげもあり、二人の指は、登る前と遜色ない程に回復し、訓練に合流した。

「レオン、本当に君のおかげで……」

「気にすんなっ! そんなこより早く先生のとこいくぞ!」

 ぽんとレオンの手がフェンサーの肩に載り、完治した五本の指が肩を掴む。何気ない、いつものボディーランゲージだったが、フェンサーはその指の力を感じたとき、胸の奥でずっとつかえていたものが消えていくのをひしひしと感じた。


「てっきり滝つぼに落ちて溺れ死んだかと思ったが」

 想定外のヴォルクスの第一声に、二人は開いた口が塞がらない。

「ふんっ、冗談だ」

「あの先生、実は……」

 フェンサーは頭を落とし、申し訳なさそうに口を開く。

「あぁ、だいたいの話は聞いている。しかしどんな方法であれ、お前は今ここにいる。ここまでどう来ようが関係ねぇ。今回の目標はあくまでも共鳴二層に到達するため心臓を鍛え、併せて正拳突きを体得すること。それが達成されれば何の文句もねぇ。それよりも今はただ、遅れを取り戻すことだけに集中しろ」とくフェンサーを一瞥した後、レオンに視線を移す。

「で、レオン」

「はい」

「お前、学長特製マスクはどこにやった?」

「え、あ、それは……」

 咄嗟に目を逸らし、慌てふためくレオンの顔は急激に赤くなっていく。到底、そんな状態ではヴォルクスを納得させる言い訳も出てくるはずもなかった。

「それは僕が、んぐぐぐぐ……」

 ヴォルクスは慌ててフォローに入るフェンサーの口を強く塞ぎ、レオンの口元に予備の蔦マスクを押し当てながら、耳元に口を近づけ。

「次なくしたら……殺す」

「はっ、はいいいいっ……」

 心臓を素手で掴まれるような殺気に満ちた囁きに、レオンの顔は真っ青になった。

「よし、じゃぁ早速、訓練の説明に入る。まずはお前らが習得する正拳突きについてだ。これはかつての存在した日本という国に古くから伝わっていた伝統武術、『空手』が元になっている。本来は全身を武器化することで敵から身を守る護身術だったが、空手が武術として掲げる理念が領域の白龍三言と類似していたため、多くの騎士の間で採用されることになった。それは『礼節』を尊ぶこということ。それこそが空手における技術習得の前提であり、全ての始まりだとされている。そして正拳突きには、正しく出すための『型』が存在する。まずは小指から人差し指までを順に指を折り、その折った人差し指と中指の上に親指を添え、拳を作る。その後、脇を締め、力が逃げないように両拳を構える。そして腰をしっかりと落とし、全身を一本の大木のように固く保ち、短く息を吐きながら、標的の中心を刺し砕くように最短距離で拳を打つッ!」

 言葉通りに形成された型から放たれた拳は、鋭い音と鳴らしながら空を裂き、真っすぐに飛ぶ。

「そして当たる瞬間に拳をひねる。同時にもう一方の手を腰の位置まで素早く引く。それに一寸力(チンクチ)を加えることで……」

「ちんちきって言った……?」

 レオンは耳打ちするようにフェンサーに問う。

「多分、ちくいちって……」

「どっちも違う! チ・ン・ク・チだ! 打つ瞬間に、筋肉と関節を固く引き締める動作のことだ。そうすることで、頭から爪先までが一本の大木のようになり、全体重が拳に集めやすくなることで破壊力の増大に繋がる。以上全ての動作を覚え、尚且つそれを一発の拳に全てを込めたものが、正真正銘の『正拳突き』だ」

「奥が深い……」

 フェンサーは頷きながら、持参していた葉紙のメモ帳にさっと要点を書き留める。

「……な、なるほど」

 一方、レオンは真摯な表情一つ崩さず話を聞いていたが、膨大な情報量が一気に流れ込み、処理できずにいた頭の中はパンク寸前だった。

「先に訓練を始めた奴らは、既に型を自分のものにしている。そいつらに追いつくためにも、死ぬ気で訓練に取り組め」

「「はいっ!」」

 そうして数日の遅れを背負った二人は、やっと他の五人と合流した。

「グラシアス!」「ダンケ!」

 レオンに続いてフェンサーも薄茶色のマスクをつける。

 すると、つま先が蹄に変形し、細長い両足と顔の左半分が直立した体毛に覆われ、頭部からはサーベル状に湾曲した細長い角が二本生えた。

 そうして二人はヴォルクスに教わった通り型で、一打ずつ、丁寧に正拳突きを放っていった。

 が、しかし。

「ハァ、ハァ……」

 一時間もすると、先程までの意気込みが嘘だったかのように、項垂れるようにして地に手と膝をついた。

 それもそのはず、酸素が薄い頂上の環境と、蔦マスクが肺へ多大なる負荷をかけ、二人の体力を急激に消耗させた。

 その態勢のままレオンはふと隣に目をやると、額に珠の汗を滲ませ、淡々と訓練に励むカイザーの姿が目に入った。その閃光のように放たれていく拳は、ヴォルクスが手本で放ったそれとほぼ変わらず、既に完成されているようにも見えた。

 ──シュッ、──シュッ、──シュッ

 空を切り裂く音がレオンの体に蓄積していく度、地上で言われた屈辱的なあの言葉が脳裏を過り。

 レオンは歯を食いしばり、再び立ち上がると、その記憶を振り払うようにして再び拳を強く突き出した。


 夜。

 その日の訓練を終え、小屋に戻った一同の前に並んだのは、丸太魚の癒水焼き、ランタンかぼちゃの癒水蒸し、絶硬果の癒水漬けなど、そのどれもが源泉から取れた癒水をふんだんに使用したパボの手料理だった。

「でもほんと、二人とも登って来てくれてよかったっ」とメルが口いっぱいに料理を含み、幸せそうな表情を浮かべると、「ティグリスがいなかったら、二人とも本当に死んでたかもね」とソラが淡々と恐ろしい言葉を吐きながら、料理を口に運ぶ。

「……ティグリス?」

 話の流れが掴めないレオンの頭の上に、大きな疑問符が浮かぶ。

「レオン、覚えてないの? 最後、崖の淵に手を掛けようとしたときに力尽きて、落ちそうになったところをティグリスが助けてくれたんだよ」

 フェンサーの言葉を頼りに、レオンは必死に記憶を呼び起こそうとしたが、淵に手を掛けた以降の記憶がどこにも見当たらないことに気がついた。

「あの日の夜、私たち心配でずっと頂上で待ってたの。でも、みんな疲労でいつの間にか寝ちゃってて。で、ティグリスだけが、眠いの我慢して崖の淵のとこでずっと一人で待ってたんだよ。でも、助けようとしてレオンの手を握ったとき、自分も淵から落ちそうになって、結局私たち四人が、ティグリスの叫び声で慌てて起きてさ。最後は綱引きみたいに自分たちの手を引っ張り合って、何とか引き上げたってわけ!」

 メルが笑い混じりに説明した後、ティグリスは軽く舌打ちをし、明後日の方向を向いた。

「余計なことまで言いすぎやろ……」

 食卓が笑い声に包まれる中、レオンは突然席を立つと、徐にティグリスの前に立った。

「……そうだったんだ。ありがとう。ティグリス」

「……勘違いすんな。まだお前との決着もついてないんや。あんなとこで死んでもうたらこっちが困るわ」

 ティグリスの目は相変わらずつんと尖っていた。だが、声からはみ出た照れくささを、レオンは見逃さなかった。

「皆も、ありがとう」

「いいよっ!」「別に、感謝されることしてない」「俺はただメルに言われて、やっただけだし……」「……。」

 それは皆の言葉からもはみ出しており、皆の声が重なっていく度、みぞおち辺りがじんと温かくなっていくのを感じた。

 それから連日、睡眠と食事以外の時間全てが、訓練に注がれた。日を重ねる度、頂上の環境に慣れ始めた二人は、数時間程しか打てなかった正拳突きも、しっかりと型を保ったまま一日を通し打つことができるようになり、それに伴い一発の質も向上していった。

 しかし、二週間程経った頃から、拳の速さも威力も天井を打ったように成長が止まった。そしてそれは、先に修行を始めていた生徒たちも同じだった。

 一人を除いては。

 バンッ!

 突如、銃砲のように鳴り響いた破裂音に全員の拳が一斉に止まり、音の方に視線が注がれる。

「……。」

 辺りが静寂に包まれる中、音の発生源に歩み寄るヴォルクスの足音だけが淡々と鳴る。

「やるじゃねぇか」

 ヴォルクスは、カイザーの足元で真っ二つに割れた絶硬果の片側を拾い、中野実の部分を掴み、口に放り込んだ。

「ま、他の奴らが終わるまで、引き続き特訓……」

「俺だけ、先に進ませてくれ」

 被さったその言葉に、一瞬ヴォルクスの咀嚼が止まる。

「珍しく口を開いたかと思えば、えらく生意気なこと言うじゃねぇか」

「……。」

 不敵な笑みを浮かべながら歩み寄り顔を近づけるも、カイザーはヴォルクスの双眸を一点に見つめる。

「だがその威勢は嫌いじゃねぇ。もし、俺に触れられれば、特別にお前だけ次に進ませてやる。当時の俺のようにな」

 実の種を地面に吐き捨てると、カイザーの耳元に口を近づけ。

「何ぼーっとしてる。もう始まってるぜ、坊ちゃんよ……」

 その挑発的な言葉がカイザーの癇に障ると、二本の爪痕が刻まれた左手を口に当てマスクをつけ──その挙動のまま拳を作ると、ノーモーションでヴォルクスの顔面へ拳を放った。

 ヴォルクスはその軌道を予知していたかのように体を軽く反り、最低限の体の動きでそれを躱した。

「どうした、準備運動にもなってねぇぞ⁉」

 おどけた調子の声にカイザーは眉間にシワを寄せると、更に素早くなった拳の連打を放つ。が、ヴォルクスは表情を一つ変えずそれらを易々と躱していき──攻撃の間を縫いカイザーの額へ「パシッ」とデコピンを一発見舞った。

 たったその一発でカイザーの体はのけぞるようにして宙に舞い、地面に仰向けになり倒れる。

「ハァ、ハァ……」

 まさに神速の攻撃を受けたカイザーは、なぜ今倒れているのかさえも理解できなかった。

 わかっていることはただ一つ、ヴォルクスに倒されたという事実だけ。

 それを理解したとき、体のどこからか、屈辱心とは違う、何か漆黒の塊のようなものが湧き上がって来るのを感じ。

「……もしや」

 小屋の中から覗いていたパボが、訝し気に言葉を漏らす。

 初めての感覚だった。それは喜怒哀楽の怒と哀を、恐怖や不安の類の感情をないまぜにしたような、何層にも重なった黒、または宇宙の最果てにある闇を生み出す創造主のような、そんな得体の知れない胡乱なものが、心を浸食していく。

 それを拒む時間も、意思力も同時に存在していた。だがなぜか、全てを放棄しそれに心を委ねた。それが正しい選択だという天啓を得たように。

「もう終わりか? 高貴な鯱族さんよ」

 絶えず煽りかけるヴォルクスに応えるように、カイザーはゆっくりと立ち上がる。

 双眸に黒焔を灯らせて。

「……⁉」

 ヴォルクスがそれを捉えた瞬間──砲撃が着弾したような轟音とともに二人を土煙が包んだ。

 その一部始終を見ていた生徒たちは、何が起きたのか全く理解できなかった。それほどに刹那的な出来事であった。

 やがて土煙が風に捲られ、二人の姿が露になる。

 そこには、マスクをつけ、白銀の尾を生やしたヴォルクスが、カイザーを抑え込むようにして馬乗りになっている姿があった。

「……おい」

 ヴォルクスの目に映ったそれは、十二歳のとき丘上から見たあれと全く同じだった。そして、あのとき感じた恐怖感や無力感が、当時の温度を保ったまま心の中で嵐のように吹き荒れた。

 一刻も早くこの感情から逃れたかった。否、逃れなければならなかった。そうしなければ、無防備な目の前の少年を、今にでも殺してしまいそうだった。

「何寝てんだ! 目を覚ませッ────!」

 気を失ったカイザーの胸倉を掴み、我を忘れ激昂するヴォルクス。

 その手に、そっとパボの手が重なった。

「そこまでじゃ……」


 その日の夜。癒水の源泉に体を浸し、疲労を落とした生徒たちは、そのリフレッシュされた体には似つかわしくない、どんよりとした雰囲気を漂わせ小屋へ戻ろうとした。

 そこへ、意識を無くし眠ったままのカイザーを背負ったパボがよたよたと歩いてくると、カイザーの体を源泉に浮かべた。

「カイザー……」

 皆、心配の眼差しをカイザーに向ける。

「一時的に意識を失ってるだけじゃ。時期に目を覚ますわい。それよりも、皆揃ってそんな暗い顔して、仲間を心配なのはわかるがのぉ」

 パボは一人ずつ顔を舐めるように見ていくと、全てを悟ったかのように口角を緩めた。

「こやつのことに加えて、訓練に行き詰っとるといったところかいのぉ……」

 皆、心の内を見事に言い当てられると、一瞬で目の色を変え、縋るような眼差しをパボに向ける。

「ほほほっ。何百人とそういう生徒を見てきたからの。大体わかるわい」

「『礼節』を尊ぶことと、型がどう関係しているのかがよくわからなくて」

 レオンの言葉に皆の相槌が続く。

「なるほどのぉ。じゃぁなぜ、白龍三言の一条が生まれたかを知っとるかの」

 全員口をつむぎ、首を横に振った。博識のフェンサーさえも。

「じゃぁちょいと、その話からするかいの。というても、私もご先祖様のお二人に聞いた話だけどの」

 パボは源泉を囲っている石に腰を落とし、懐かし気な表情で月を見上げた。

 まるで、その話をしてもらったときを思い出すかのように。

「遥か昔、この地球は数百の国という領域に分かれ、そこに我々と同じ人間が住んでおった。そこでは皆が平和で安全で、そして快適に暮らすために様々な技術が発明されていったのじゃ。だがそれらは、この地球の限りある資源を消費し続けることで、成り立つものばかりじゃった。そこに追い打ちをかけるように人口増加問題が資源の消費に拍車を掛けた。人類はこのままだと、いつか資源が底をつき、取り返しのつかないことになるのはわかっていた。だが、どの国もやめようとはせんかった。否、やめられなかったのじゃ。簡単に欲を満たせるようになった環境を、手放すことができんかった。そうして海を汚し、山々を切り開け続ける内、そこに住んどった生物たちは全滅。それらを仕留め食糧としていた、民族や海賊と呼ばれる国に属していなかった人間たちも減少していった。そうして、当たり前のように資源がなくなっていき、最悪の結末を迎えることになった」

「第三次世界大戦……」

 ぽつりとフェンサー声が落ちる。

「そうじゃ。残りの資源を奪い合い、生存したのは全世界の人口のわずか三分の一。そして戦争が終わった頃には残りの資源も枯渇寸前。そこでようやく国同士が手を取り合い、生き残った人間たちは宇宙船を作り、宇宙での生活を選んだというわけじゃ。そして百年後、全生物がいなくなった荒廃した世界に突如白龍様が現れ、森や海を元通りにし、ご先祖様のお二人と動物たちを作った」

「そこに黒龍が現れたんか……」

「左様。黒龍が生物たちを襲おうとした理由は謎のまま。今は冥界の穴に封印されとるというわけじゃ」

「しかし、その時代を生きていないお二人は、なぜそのようなことを知ってたんですか?」

 フェンサーの好奇心が音を立て弾ける。

「物心ついたときには既に、その全ての歴史が記憶に刻み込まれたていたとおっしゃっていた。そしてその理由を聞こうにも、白龍様は黒龍との戦いで死んでしまい、聞くに聞けんかったというわけじゃ。そうしてお二人は答えのない問いをひたすらお考えになり、一つの結論に辿り着いた。それは、もう二度と、同じ過ちを犯さぬようにという意味で記憶に刻み込まれたのだと。そしてその過ちの元凶こそが、『感謝』を忘れたということに他ならぬということを」

「感謝……」

 感謝の二文字が心に積もっていく度、レオンはみぞおちの辺りがだんだんと温かくなる感覚に襲われた。

 それは、以前ティグリスに助けられたことを知ったあのときと同じ感覚であることを、心が覚えていた。

「こうして癒水が源泉から絶えず湧き出るのも、木に果実が実のも、私たちが今こうして動物と共存できているのも、なにでも当たり前と思っちゃいかん。何事も感謝を置き去りにし、その前に立つことはないのじゃ。だが、前人類はそれを忘れ、蔑ろにし、自らの欲を優先し続けるという愚行を続けよった……」

 ひと段落つけるようにパボは月から視線を逸らし、カイザーを源泉から掬い上げる。

「『礼節』の根底にもその感謝がある。もう一度、自分の心に問いかけてみなさい。本当に心から感謝できているのか。それが本当に理解できたとき、『型』が完成するのじゃ」

 なぜ感謝するのか。ただ決まった定めを信じ、生きてきたレオンはそんなこと考えたこともなかった。

 しかしパボの話を聞き、あの日の夜、自分が心から感謝していたことを思い出すのと同時に、今の自分が存在していられるのは、皆の助けがあったからであり、その皆も他の誰かに助けられることで存在しているという、助け合うことの重要性の根に触れ。

 それはレオンだけではなく、話を聞いていた皆の中でも、同じ結論に至り、やがて悟る。

 人は、感謝をされたいから人を助けるのではなく、感謝することで生み出される、その対象への愛が人を自然とそうさせるのだと。その気持ちを常に生み出し続けるために感謝するのだと。

 翌日。

 感謝の存在意義を自らの経験則と繋ぎ合わせ、完全に懐に落とし込んだ生徒たちは、教科書通りの『型』を完成させ。

「スゥ……ッハ!」

 バンッ!

 短い息とともに振り落とされた拳は、まるで居合切りの刀のごとく、瞬間的に標的に届き、絶硬果を真っ二つに裂く。

 それを皮切りに、他の生徒たちも立て続けに成功していき、皆の甲に刻まれた爪痕は一本増え、見事共鳴二層へと到達したのであった。


 夜。

 皆、最後の手料理を食べていると、意識を取り戻したカイザーが寝室から姿を現した。

「カイザー!」

 その姿を捉えるや、レオンは出迎えるように両手を広げたが、カイザーは平然と横切り、何事もなかったように食卓に座り、食事を始めた。

「ほほほっ。とりあえずは元気そうでよかったわい。そういえばヴォルクスよ、オウルは元気にしとるかね」

「ええ、相変わらずご健在です……」

「パボ婆、学長のこと知ってるの?」

 メルは口元に食べかすをつけながら聞く。

「あぁ、もちろん。いい恋をさしてもろたわい……」

 凍りつくように全員の箸が止まる。

「「「「えーッ‼」」」」

 カイザーとヴォルクス以外の皆の声が重なり、小屋に響く。

「ってか、異種同士って恋愛できたんや……」

「周りの目は厳しかったけどのぉ、それ以上に愛し合っていたわ……。ま、だいぶ昔のことよ。ささ、早く食べて、源泉に浸かってきんしゃい。明日はあの滝に行くんじゃろ」

「「……滝?」」

 レオンと、フェンサーの頭に大きな疑問符が浮かび上がる。

「あぁ。お前たちにはまだ言っていなかったか。明日は崖の麓まで戻り、そこにある『真実の滝』で訓練を行う。三層の深度指針は「知」。お前らが知らない相棒の過去を知り、受け入れることで、より相棒との共鳴は強く深いものになる。明日、滝で見てもらうのはお前たちが生まれる前の相棒の過去だ。そこでは当然、大厄災の記憶も目にすることになるだろう。そのためにも、今晩の内に気持ちの整理をつけておけ」

 ヴォルクスが気に掛ける通り、大厄災で両親を亡くしたレオンたちの心境は複雑だった。物心つく前に大厄災で亡くなった両親に会えるという喜びの反面、同時に訪れる別れにも立ち会わなければならないという運命を、受け入れる強い覚悟を持たなければならなかった。

 生徒たちは食事を終えると、源泉に浸かりに小屋を出た。それに乗じカイザーは寝室に戻ろうと席を立つと、立ちはばかるようにパボが眼前に立ち、後ろからはヴォルクスの厳めしい声が肩を掴んだ。

「明日の事で話がある」


 翌日。

 各々、パボ婆に感謝を述べ終わると、ヴォルクスは蔓玉を転がし、修行場からテレポートしたときと同じ要領で準備を進めた。

「集中しろ。また手間かけさせんじゃねぇぞ」

 その言葉を最後に、全員がパボの前から一瞬にして姿を消した。

 活気と不穏、その両方を残して。

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