第4話

二三百年。

 フォースクリスタルと共に生を受け、全ての騎士団を統括する役割を担っていた先祖オリジン・フォースが、齢百歳をもって老衰し、その後、妻のオリヘン・フォースも追いかけるようにこの世を去った。

 そして空席になったその座につくものを決めるため、全領域から騎士が集結し、最も強い騎士『百獣の王』を決める大会、その名も『亀島(かめしま)大会(たいかい)』が開かれた。

 生源の海に浮かぶ体長二十メートルほどある大亀、イスラ。その甲羅上で行われることから、そう名付けれた。

 その甲羅上には木々が生い茂り、全体を覆うように半球体形の透明膜が張られ、膜内は特殊液体で満たされていた。液体には高濃度の酸素が含まれており、且つ抵抗力が限りなく無に近いものであったため、実際、膜の中では陸水の両生物がその甲羅の上で共存し合っていた。

 そして、どの領域の騎士たちも公平に戦うことができるその構造に目をつけたオウルは、自身の能力で甲羅上に生えた蔓を繋ぎ合わせ、巨大な円形闘技場を建設したのであった。

 試合のルールはたった二つ。

 一つは相手の殺傷は認めないこと。もう一つが、どちらかの背中が地面に三秒間ついた時点で勝敗が決まるという、いたってシンプルなものだった。

 試合は一対一のトーナメント形式で行われ、各回激戦が繰り広げられた。

 そして何度と激戦を制し、決勝に駒を進めたのは、レオンの父、ゴルド=レオーネと、カイザーの父、シルバ=グラムパスだった。

 闘技場の観客席は騎士とその家族で満員に埋め尽くされ、膜の上部では水中生物たちが液体の中を悠々と泳ぎ、皆開戦を待ちわびていた。

「どっちが勝つと思う?」

 当時、守護者学校の生徒だったヴォルクスは、共に観戦に来ていた同級生のロッハーにそう尋ねた。

「シルバに決まってる。戦闘のセンスもスキルも、ゴルドとは段違いだからな」

 狐色の長髪を揺らしながらそう答えたロッハーは、椅子に深く座り直し、足を組み替えた。

 <ロッハー=キングルー 男 長尾驢(カンガルー)族>

 返事を、ヴォルクスは軽く鼻で笑う。

「それだけが勝負を決めるならな」

「あ? どうゆうこ……」

「「「「ウワァァァァァァァァァ────‼」」」」

 そう呟いた疑念の声は、同時に入場してきた二人に向けられた盛大な歓声に掻き消される。

「いけェ──、ゴルドッ‼」「こんな奴やっちまえぇぇぇぇぇ──‼」

「負けんじゃねぇぞシルバッッッ‼」「ぶっ潰しちまえっっっ──‼」

 大勢の野次と歓声が飛び交う中、入場口から入って来た二人は溢れんばかりの威風を放ち、定位置に着く。

 火属性の炎果の力を宿すゴルドに対し、氷果の力を宿すシルバ。属性優位性はゴルドにあったが、ロッハーが言っていた通り、それを凌駕する戦闘力を持ったシルバが、前評判では優勢とされていた。

「このときを待っていたぞゴルドッ!」

「ああ、俺もだぜ、シルバッ!」

 二人は精悍な目つきで睨み合い、同時に甲を口に当てた。

「グラシアス!」「グラッチェ!」

 互いが共鳴した瞬間、闘技場全体に凄まじい熱風と、凍てつくような冷風が吹き荒れ、ぶつかり合う。

「フンッ」

 茶褐色の髪と鬣を逆立て闘志を漲らせるゴルド。

 顔の一部を黒く染め、白いアクセントがついた両眼の奥で静かに闘志を宿すシルバ。各々、闘志の放ちかたは違えど、纏う殺気はどちらも獲物を定め、狩を行う前の動物そのものであった。

「ルールは気にするな、殺す気で来い!」

 幾本もの鋭く尖った歯が描かれた黒色のマスクが、熱風で靡く。

「言われなくても、わかってるぜッ!」

 ゴルドは鬣を逆立て、ありったけの力で拳を握り。

「獅子・炎分身(えんぶんしん)!」

 それを地に打ち付けると、五本の亀裂が入り、そこから炎で生成された獅子(ライオン)が現れる。

「「「「「グルルルルルル」」」」」

 喉を鳴らしながら態勢を屈め──た刹那、まさに阿吽の呼吸一斉にシルバに襲い掛かる。

 すかさずシルバも掌を地に押し付け、分身の体長を数倍も上回る巨大で分厚い四角氷牢(しかくひょうろう)を出現させ、一体ずつ囲い込んだ。

 が、いくら巨大な牢で囲おうとも、そこは自然の摂理。牢内で暴れ回る分身たちは、徐々に氷牢を溶かしていく。

「無駄なこと……。⁉」

 勝気が滲んでいた顔が急に陰る。氷牢は順調に溶けていっていたものの、同時に溶け現れた水が牢内に溜まっていき、分身を飲み込んでいく。

「何も考えずに戦っている馬鹿には、こんな簡単なこともわからないか」

「こいつ……!」

「次は俺の番だっ」

 黒髪を靡かせ宙を舞ったシルバは、先端が鯱の口の形になっている※鯱氷槍を生成し、渾身の力で投げつける。

 ゴルドは間一髪避けるも、地面に突き刺さった先端の口が大きく開き、露になった無数の牙を地面に突き刺す。すると、無数の氷棘クラスターが地面から生えるように現れ──防ごうと、咄嗟に両腕をクロスし構えたゴルドの強靭な両腕に、ぐさり、突き刺さる。

「ありがたく思え。今日、お前と戦うために編み出した技だ」

「なんも嬉しくねぇよっ……」

 ゴルドは苦笑いを浮かべながら刺さった氷棘を抜く度、流れる血が獣毛を滴り落ちていく。

「全騎士団の団長も運よく務められているだけだ。あんな投票で決めるのではなく、実力で判断されてればっ……」

 言葉と共に沸々と湧き出る怒りが具現化していくように、今度は両手に氷槍が生成されていく。

「黙れっ! 運なんかじゃねぇ……、皆が俺を選んでくれたんだっ!」

 ゴルドは全神経を集中させ、両手を上げ構える。

「フンッ、まぁいい。それが過ちであったことを証明してやる。お前が言う、その皆の前でなッ!」

 地面を強く蹴り駆け出したシルバは、両方の※氷槍をゴルドに向け、先端の口が大きく開くと、そこから二匹の氷鯱が生成された。

「二連・鯱氷爆(しゃちひょうばく)ッ!」

(来るぞっ、ゴルド)

「わかってら!」

 光陰矢の如く、空中を泳ぎ突き進むそれらは、挟み込むようにゴルドの左右へ回り込み、阿吽の呼吸で同時に突進を試みる。

 しかし、そこは全神経を集中させたゴルド、体に当たる寸前に飛び上がると、二匹の鯱は、氷が砕ける甲高い音を鳴らしながら額をぶつけ合いよろめく。

 それを好機とみたゴルドは。両手に獅子の手を模した炎の槌、『獅子炎槌』を生成すると、落下する重力を借り、よろめく鯱たちの頭に振り落とし、粉砕した。

「消えやがれっ!」

(ゴルド前!)

 その刹那。レオーネの声で前を向くと、隙を見て距離を詰めてきたシルバの氷槍が、閃光の如く飛んでくるのを捉え──無意識に反応したゴルドは、考えるよりも前に体が動き炎槌を構える。

 ボールを打ち返す様に迎撃すると、粉砕された氷槍から、氷棘クラスターが空中で咲く。

 同じ轍は二度踏まんとばかりに、体を逸らし、氷棘を避けるゴルド。

 が、突然の腹部からの流血。

「フンッ!」

 それは、クラスターの裏に隠れていたシルバが、もう一本の氷槍で放った一突きであった。

「ぐふっ!」

 口から吐き出された血飛沫が、シルバの顔を赤く染める。

「……やはりお前は弱い。百獣の王に相応しいのはこの俺だッ!」

 氷槍が更に深く、ゴルドの鳩尾へ突き刺さる。

「ぅううっ……」

 息が上がり、意識が朦朧とする。

 ゴルドの頭の中では、これまで応援してくれた人たちの顔が次々と浮かんでは消えていき、最後に浮かんだのは……。

「ゴルドーっ、負けんじゃないわよーっ!」

 そのとき、観客席から響き渡った女性の大声が、ゴルドの鼓膜に刺さる。

 ゴルドはゆっくりと声の方を向くと、生後間もないレオンを背負った最愛の妻のマロネが、顔をくしゃくしゃにしながら叫んでいた。

「……あいつ」

 すると、その声援が伝染するかのように、他の観客からも声が上がっていく。

『そうだ、そうだーっ!』『お前以外に務まんねーぞーっ』『そんな奴早くやっちまえー』

 連なっていく歓声。その光景を目にしたヴォルクスは、口角をいたずらに上げる。その表情をロッハーは見逃さなかった。

「ゴルドさんには人を惹きつける何かがある。そしてそれは、時として何にも代えがたい力になる」

『ゴルドッ、ゴルドッ、ゴルドッ────!』

「フンッ、どこまでもわかりの鈍い奴らばかりだっ……。命だけはくれてやる。さっさと背をつけろっ!」

 シルバは顔に苛立ちを滲ませながら、氷槍を引き抜こうとした──そのとき、何故かゴルドは、氷槍を持つシルバの右手首をぐっと掴み。「……それはちょいと無理な話だ、シルバッ……!」

「……⁉」

 不敵な笑みを浮かべると、左拳に苛烈な炎の渦を巻き起こす。

「……皆が俺の背中を、支えてくれているからなッ!」

 己の身を削り、残る全ての力を使った捨て身の超近距離攻撃。

 その並々ならぬ勝ちへの執着を察したシルバは、咄嗟にもう一方の手をゴルドへ向け。

「させるかっ、超音波(ウルトラサウンド)ッ!」

 掌から発せられる、総毛立つような金切り音。

 鯱族しか使うことができないその技で、ゴルドとレオーネの共鳴を乱そうする。

「なぜ……、効かない……」

 が、揺らぎない確固たる意志の元に生成される左拳の炎渦は、弱まることはなく、むしろその炎は、鬣や髪、尻尾の先にまで纏わりつくように燃え広がっていく。

「あたりめぇだ……、俺には皆が付いてるからなっ!」

 やがて左拳に渦巻く炎は、猛々しい獅子の顔になり。

「うぉぉぉっ────、獅子炎拳(ししえんけん)ッ────‼」

 凄烈な力で振り抜かれた拳はシルバの頬を抉るように直撃し──その衝撃をもろに喰らい宙を舞ったシルバは、突っ伏すようにして地面へ落ちた。

「ハァ、ハァ……」

 一気に静まり返る会場。

 その中を覚束ない足取りで歩き、シルバの体を仰向けにする。

 すると、息を吹き返したように、観客全員が一体となりカウントダウンを始めた。

「一、二、三、ウォ────ッ‼‼」

 割れんばかりの歓声が闘技場を包む。

 ゴルドはその歓声に背を預けるようにして、地面に倒れ、目を閉じた。

「ハァ、ハァ……。勝ったぞ、レオーネ……」

(あぁ。やっぱりお前は最高の……)

「……? どうし……、ンフッ!」

 息が詰まる。

 その次に、冷たい何かが首元に纏わりついていることに気づき、慌てて目を見開く。

「な……っ……」

 目の前にあったのは右頬が青く腫れ上がらせ、己の首を絞めるシルバの手。その力は、冗談やじゃれ合いの範疇を大きく超え、一つの命を本気で絶たせようとする殺気が存分に込められていた。

 必死に抵抗しようとするも、先程の一撃で全ての力を使い果たしたゴルドに、そんな力が残されているはずもなく。


「……おま……えっ……。⁉」

 その殺意に満ち溢れた目の奥にあるものを捉えたとき、灰色の羽毛を纏った腕がその手首を掴んだ。

「そこまでじゃっ────‼」


「学長! 俺、ほんとに見たんですよ!」

 ゴルドは机に勢いよく両手を押し付け、学長室に声を響かせる。

「あの目の奥に映った黒焔、あれは……」

 オウルが止めに入った後、あれだけの殺気を帯びていたシルバは、嘘のように気を失い、病院へと運ばれた。

「だとしても、それを証明する手立てがないじゃろう」

「しかしっ──……うっ……」

 大声を出そうと腹に力を入れた瞬間、腹部の傷が痛む。

「それに、黒龍はとうの昔に封印されとるんじゃ。今更、そんな力をどうやって己の身に宿したというのじゃ」

「それは……」

 窓の外を眺めていた学長は振り返り、ゆっくりとゴルドに歩み寄る。

「兎にも角にも、お前さんは勝ったのじゃ。百獣の王らしく皆の手本であれ。お前さんはその器を持った男じゃ」

 オウルの細く白い腕が、そっと肩に乗る。

「ワシはもう退役した人間じゃ、口出しはせん。後の騎士団のことは全てお前さんに任せたぞ」

 これまでの人生に裏打ちされ生み出された、説得力の塊のようなオウルの言葉が鼓膜に響く。

「……っ、はい」

 到底、自分には重すぎるその言葉を受け止めることが精一杯で、ゴルドは、ただただ留飲を下げた。

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