第1話

二千百年。地球では人口増加により不足を始めた資源の争奪が過激化し、第三次世界大戦が勃発。しかし、その戦争もまた資源の消費に拍車を掛け、やがて底をつき終戦。生き残った人類は残された資源で巨大宇宙船を作り宇宙での生活を余儀なくされた。

 その百年後、二千二百年。

 荒廃した地球に突如一体の白龍が舞い降りると、超エネルギー結晶体『フォースクリスタル』を落とす。そのエネルギーを授かった一部の領域では、枯れ果てた地に草木が芽生え、濁った海が青を取り戻し、海上に新たな巨大氷床が形成された。そして新たな人間の祖となる男女二人の赤子と多種の動物たちを生み出すと、白龍は互いに手を取り合い、繁栄していくことを強く望み、今後生まれてくる人間たちと共存していくための契りを交わせるよう、動物一匹ずつに『マスク』を授けた。

 領域にはフォースクリスタルの力を宿した木々や海藻から、新鮮な食糧が絶えず実り続け、それを取り合うために動物同士が争うことなどない平和な場所だった。動物たちは生を授かり、又そのような場所を与えてもらった白龍の望みを叶えるべく、二人の人間の赤子を育てていた。

 だがそんなある日、天空に暗雲が立ち込めると、全身に黒焔を纏った黒龍が天災のごとく出現し、生物たちへ次々に襲いかかった。それを阻止すべく白龍は、黒龍と苛烈な戦いを繰り広げるも、一進一退攻防に決着がつかず、不消の黒焔だけが白龍の体を蝕んでいった。やがて死を悟った白龍は、決死の覚悟で黒龍の首元に噛みつき、海底に引きずり下ろすと、冥界に繋がる穴を切り開き、自分もろとも黒龍を封印したのだった。




 二千三百十八年。

 窓から差し込む太陽の光が顔に当たり、レオンは目を覚ました。

 住み始めてもう十年近くになる大樹荘(だいじゅそう)は、領域の誕生とともに生まれた歴史ある大樹の枝の上に、五十戸を超える木部屋が吊り下がり成り立っていた。

 レオンは昨日リエフに引っかかれた頬の辺りを摩りながら、蔓で編みこまれたベッドから下り、外へ出る。手慣れた様子で、地上へとぶら下がった釣蔦(つりつた)を使って降りると、朝日が差し込む川に流れる冷えた癒水(ピュール)の中へ、頭を突っ込んだ。

「ぷはぁっ」

 顔を上げた勢いで、髪に付いた水が水飛沫となり散乱する。そしてふと水面に映った自分の顔を見ると、頬の傷が段々と薄くなり癒えていくのがわかった。

 フォースクリスタルによって作られた豊かなる自然を人々は「領域」と呼んだ。その三分の一を占めるここ『創造の森』は、端から端まで歩けば優に丸二日はかかる程の広大な面積を誇っており、最奥には雲を突きぬけるほどの高さがある『試練の崖』が、威風を纏いそびえ立っていた。その頂上から流れ落ちる大量の癒水が『真実の滝』を形成し、そこから森全体にいくつもの水流を作り流れていた。

 辺りでは、蜜花(みつばな)の蜜を吸った朝蝶(ちょうちょう)が透き通った黄色い羽をばたつかせ、展望の丘から下りてきた音符(おんぷ)鳥(どり)たちが八分音符の形をした尾を揺らし、綺麗な声色で朝を知らせている。

 全領域を一望できる『展望の丘』はこの森と隣接しており、その麓と森の入り口の前には、数百種類の花が咲き誇る『四角花園(スクエアガーデン)』が存在し、海と陸を分ける境界線的役割を果たしている。その先には陸地の全てを飲み込むほどの広大な『生源(せいげん)の海』が広がり、海中には海底都市(ソットマリーノ)が存在し、海中生物と契約した人間たちはそこで生活している。その北上には、『氷床の孤島』と呼ばれる、全てが氷で生成された島があり、以上四つの領域には、大厄災で欠け、恒常的に存在し続けるための心臓的役割を果たす『フォースフラグメント(欠片)』が存在していた。

「いつまで寝てんだっ」

 レオンは手で掬い上げた癒水をリエフの顔にかける。

「冷てッ! 何だよ、まだ朝じゃねえか」

「何言ってんだよ、今日は入学式だろ」

 リエフは寝ぼけまなこで、隣でいびきをかいていたゴリオを跨ぎ、川に顔を突っ込んだ。

「ぷはぁ」

「ほら、鬣も綺麗にしないと、そんなぼさぼさじゃ、かっこわるくてシープちゃんに振り向いてもらえないぞ」

 レオンは母親のように手櫛で鬣を整えていく。

「朝っぱらからうるせぇ奴だ……」と面倒そうに大きく口を開け欠伸をしたそのとき、二人は頭上から聞こえた悲鳴に顔を上げた。

「「ん?」」

「うああああああ!」

 ぼよん。

「ぐっ」

 風船のようにぷっくりとした腹がリエフの顔面に直撃する。それは昨日のバルーンピグを彷彿させ、隣で茫然と立ち尽くしていたレオンは、思わず垂れたよだれを啜った。

「いやぁ、悪いなリエフ。おかげで助かったぜ」

 他人様の顔面にダイナミックな着地を決め、何故か照れを隠す様に自分の坊主頭を撫でる少年。同じ大樹荘に住むラージであった。

<ラージ=ゴリオ 男 大猩々族>

「デブ豚、てめぇ……」

 レオンはすぐに二人の間に入り、今にも噛みつきそうなリエフを抑える。

「……はははっ。おはよう、ラージ! 釣蔦は使わなかったの?」

「いやぁ、使ったんだけどさぁ。昨日、バルーンピグ食べ過ぎたみたいで、途中で千切れちまったみたいだわ」

「ふざけんじゃ……んぐっ」

「リエフ、ハウス」

 とレオンは鬼の形相で近づくリエフの鼻に左掌を当てそう呟くと──「覚えとけよこのブタゴリラッ……」と怒りの声と共にリエフはその掌に吸い込まれていった。

「……大丈夫、大丈夫、いつもああだから」

「そっか。じゃぁよかった。……ゲプッ」

(こいつッ!)

 レオンは微かに疼く左手を右手で抑え、後ろに回す。

 ラージとは物心つく前からの付き合いで、かれこれ十年以上の仲であった。相棒の動物たちも別種属族であるにも関わらず、意気投合し、双方共に仲が良かった。

「それよりさ、一緒に入学式行かない?」

 ラージはそう言いながら、甲に一本の爪痕が刻まれた左手を、ぐっすりと眠っている相棒のゴリオの鼻に当て、「ハウス」と呟いた。

「もちろん! 準備してくるよ!」

 レオンは釣蔦の先端を掴み、生えている葉を一枚千切ると、刺激を受けた釣蔦は勢いよくレ玄関の前まで跳ね上がった。

 部屋に戻ったレオンは急ぎ足でベッドへと向かい、枕の下に挟んであった団栗のネックレスを手に取ると、感慨深い表情を浮かべながら、ぎゅっと握りしめた。

「行ってくるよ、父さん、母さん」


 二人は森の中をしばらく歩いていると、緑一色であった周囲の景色が徐々に春らしい暖色の色に変わっていく。そのほとんどは蝶(ちょう)桜(ざくら)の桜色で、木から離れた花びらたちは皆、蝶が羽ばたくように自身を上下に折り曲げ続け、優雅に宙を舞っていた。

 そんな蝶桜たち加え、様々な植物に目移りしながら歩いていると、やがて並木道が現れ、その先には梟の石像で挟まれた巨大な門がただ堂々と佇んでいた。

 前方には新入生であろう人が初々しい面持ちで門へと進む。その場景に、ふと湧き出てくる緊張感を感じながらも、羽ばたき終え、地に落ちた蝶桜の葉を踏みしめ一歩ずつ門へと進んだ。

「ここが、騎士団学校(ナイツスクール)……」

 門を抜け、校舎を見上げた二人の足がピタリと止まる。

 森の約三分の一に当たる広大な領域の四辺に設置された、直径数メートルはくだらない硬木(こうぼく)が何本も螺旋状に絡み合った柱。それらが空を突きぬけるかの如く直立する途中で、元から一本の大木であったかの如く自然と組み合わさり。頂点には全ての祖である白龍の銅像が鎮座し完成されたそれは、まさに見る者圧倒する荘厳な籠城であった。

 その校舎を目にしたレオンは思わず固唾を飲み、息が止まる。同時にこれから始まる学校生活を想像すると、興奮と不安が入り混じった不思議な感情が湧き上がり、気が付けば掌がじっとりと汗をかかせた。

 ふくよかな恰幅に見合わず、その荘厳さにたじろぐゴリオ。が、一方でレオンは一切の感情を薙ぎ払うように頭を振り覚悟を決めると、力強い一歩を踏み出した。


「ほっほっほっ、ついにきたか……。あいつの息子が」

<オウル=ウルラ 男 梟族 騎士団学校学長 共鳴五層>

「オウル学長、そろそろお時間です」

「ほい、ほい……」

 本舎の最上階にある学長室の窓から視線を切ったオウルは、ゆっくりとロッキングチェアから腰を上げ立ち上がると、すかさず副学長シェルバは杖を差し出した。

<シェルバ=ハート 女 鹿族 支騎士団副団長 騎士団学校副学長 共鳴四層>

「んー、今日はええわい」

「は、はぁ……」

 シェルバは困惑した様子で後退ると、オウルは甲に五本の相棒の爪痕が刻まれた左手を口元に当てた。途端、両腕が大きな羽に変わり、その両翼が大量の白と黒が混じった羽毛に覆われていき、やがてそれは全身を包み込んだ。

「ダンケ……」

 オウルは自分にしか聞こえない声量でそう囁くと、窓の開け淵に足を掛けた。

「今日は少し、飛びたい気分じゃわい」


 校内に入った二人は、常軌を逸した場景に目を丸めた。

 目に入ったのは敷地の四分の一ずつを分け合うようにして建てられた、これまた荘厳な作りの四件の屋敷。その装飾や、周囲を取り巻く数百種類の植物は同じ敷地内にあるとは思えないほど色鮮やかで、織りなされる極彩色は、まるで自然界のパレットのようであった。

 二人はその景色に目を瞠りながら、入学式の会場である中心部に位置する中庭へ足を運ぶ。

 そこもまた、四件それぞれを囲う植物が均等に混ぜ合わさり形成された、万華鏡のような世界。

 二人が到着した頃には既に数十人の生徒が集まっており、普通に相棒と会話している者もいれば、何やら喧嘩している者、筋トレをしている者、果物を爆食いしている者、一人静かに座っている者など、離さずとも、各々の個性が滲み出ていた。

(おい、レオン、いい加減ここから出してくれ)

「だめだ。出たらどうせラージを襲うんだろう」

(しねぇって。ちょっと外の空気を吸いたいだけだ。白龍様に誓って約束する)

「……わかった。そこまで言うなら」とレオンは地に向かい左手をかざそうとしたとき、聞き覚えのある声がレオンの名を呼んだ。

「レオンくーん!」

 丸く可愛い声とともに満面の笑みを浮かべたペコラは、薄い金色の長髪を躍らせながら、相棒のシープと一緒に向かって来た。

<ペコラ=シープ 女 羊族>

「おぉ、二人とも久しぶりだな」

「えへへ、だねぇー。いつぶりかなぁ~」

 顎の下に人差し指を置き、宙を見たペコラの甲には、一本の蹄の痕が刻まれている。

「半年前にうちで一緒にご飯食べたきりじゃない?」

 シープが隣から言うと、「確かに! あのとき食べた肉茸鍋おいしかったねぇ~」とシープの羊毛をぱふぱふと叩きながら、再び笑みをこぼした。

「あれ、そういえばリエフくんは?」

「あぁ。今から出そうとしてたんだ」

 そうレオンは左手を地にかざすと、(おい、待てっ。やっぱり今は……)と慌てた様子で声を上げるリエフ。

(なんで、あんなに出たいって)

((気が変わった。とにかく今はいい……))

(もしかして、シープちゃんの前だからって緊張してんのか)

((うるせっ! そんなんじゃねえよ……))

 心内で交わされる会話の中、その語尾を濁した声を聞いただけで、リエフがどんな表情をしているかが安易に想像できたレオンは、気を利かせ、その左手をすっと腿へ下ろした。

「ごめん、今ちょっと寝てるみたい。また今度遊びに行くよ」

「そっかぁ」

 ペコラは唇をアヒルのように尖らせ、指先をもじもじとさせながら、寂しそうに頷いた。そのとき、ダーン、と今のペコラの心境を表すかのような低く重い銅鑼の音が、中庭に響き。

「レオン、あれ」

 隣にいたラージが空に向かって指を指すと、その先には白に所々黒い縦縞模様が入った大きな翼を携えた梟が、左右に振れながら滑空してくるのが見えた。

 中庭の中央端に置いてあった古びた切り株に降り立ち、翼をしまうと、羽毛がだんだんと人の皮膚に変わっていく。やがて口元に梟の嘴が書かれた白のマスクは消え、白く長いひげが生えていき──その場にいた全員は一連の変化に釘付けになり、中庭は静寂に包まれた。

 オウルはコツ、コツ、と切り株に踵を二回打ち付けると、株から何本もの蔓が触手のように伸び出し、それらは瞬時に絡み合い、玉座のような椅子を生成すると、そこにゆっくりと腰を下ろした。

「皆の者、今日はよく来てくれた。そして、入学おめでとう」

 口を開いた瞬間、我に返った全員が、咄嗟に左手の甲を右手で隠しながら胸元に当てた。自分よりも目上の人の前では甲の爪痕を隠し、敵対心がないことを示す。領域全体の礼儀であった。

「はて、皆と会うのはいつぶりだったかのぉ」

「三年前の『契り』のときです」

 桜色のヒールをかつかつと鳴らし、遅れて現れたシェルバは、茶色のショートヘアを耳に掛けながら中庭に入って来た。

「……学長、勝手に始められると困ります」

「おぉすまんかった、シェルバ副学長。しかし、皆大きくなりよって」と舐めるように一人一人の顔を見ていく。

「目もよう輝いとるわ。お前さんたちみたいな元気な若者がおれば、この森もしばらくは安泰かもしれんのぉ」

 ただその言葉だけは、レオンを両眼を捉えながら発した。

「まぁ、ともかく。今日からまた様々な修行を積み、ゆくゆくはこの森を守る、立派な騎士(ナイト)になってくれることを願っておるぞ」

「「「はいッ‼」」」

 生徒たちは肺一杯に空気を吸い込み、威勢のいい斉唱を中庭に響かせた。

「選別の儀を行う、学長を先頭に一列に並ぶように!」

 次いで斉唱の余韻を掻き消すようにシェルバの号令が響くと、生徒たちは言われるがままオウルを先頭に列を作った。

 選別の儀。それはオウル学長が相棒の動物たちの持つ個体能力を見極め『力(クラフト)・速(シュネル)・支(サポート)・全(アレス)』の四つのタイプに分類し、そのタイプにあった訓練を受け、個体能力を更に伸ばすための選別である。文字通り、『力』は徹底的なパワーの強化、『速』はスピード、『支』はサポート能力、そして『全』は、全てをバランスよくこなす個体能力が相棒に備わっていることで振り分けられる。

 訓練により個体能力を伸ばし、見事卒業試験に合格することができれば、晴れてその能力に特化した騎士団(ナイツ)に入隊することができ、それぞれの騎士団は、各領域にあるフォースフラグメント(かけら)を守るため護衛にあたることとなる。

 自分の順番が回って来た生徒たちは、緊張の面持ちで一人ずつオウルに左手を差し出し──その甲にオウルは左掌をゆっくりと重ね、タイプを宣告していく。

 そして最後に、レオンの番が回ってきた。

「立派になったのぉ、レオン。リエフとは上手くやっとるか」

「あぁ、まぁまぁです……」

 仏のようなオウルの眼差しに、レオンは何かを隠す様にして明後日の方向に視線を逸らし、言葉を曇らせる。

(おいおい、何だよそれ。俺たち上手くやってるじゃねぇか)

(はぁ? 何言ってんだ。学長の前でそんな嘘つけるわけないだろ。おとなしく寝とけっ)

「ほっほっほっ。あいつは少し元気すぎるところがあるがの、まぁ大目に見てやってくれ」

(なんだと、このジジイ~ッ!)

 レオンの中で発したはずのリエフの声が全て筒抜けになっているかのように、オウルはぐっと口角を上げ微笑んだ。

「二人はもう、わしが選別する必要もないじゃろう」

「はい! 俺たちは────」

 その返事にオウルはゆっくりと頷き、左手でレオンの頭を撫でた。

「そのネックレス、よう似合っとるわい」



「ここ、だよな……」

 翌日、レオンは校門から最も遠い位置にある屋敷の前に立っていた。開き戸の上部には六角形の木製看板が掲げられ、そこには辛うじて墨で『全』と書かれていることが確認できる。

「おはよう……」

 恐る恐る発した声は、ギィーッ、というドアが鈍く開く音とともにまだ誰もいない広大な室内へと無情に広がっていく。室内は家具や置物の類は一切なく、ただ古びた木床が広がっていた。

 レオンは湧き出る不安を抑えながら、キーッ、キーッ、と音を鳴らし木床を一歩ずつ進む。

(おい、ほんとにここであってんのか)

(の、はずだけど……)

 リエフの問いかけに不安心が増しながらも、木床を進み部屋の隅に腰を下ろした。

 結局、ラージは『力』、ペコラは『支』に選別された。予想していたものの、いざ離れ離れになると、レオンはどこか拭いきれない寂しさを感じていた。

 ギィーッ!

 突如、錆びた玄関の戸が勢いよく開く音に背筋が伸びる。

「おっはよー! って、あれ?」

 威勢のいい声と共に室内に飛び込んできたのは、身長百六十センチ程の女の子であった。

「まだ一人しかきてないのかー」と片手に持った蜜(みつ)花(ばな)をちゅーちゅー、と吸いながら室内を探索した後、ふと何かを思い出したかのようにレオンの眼前まで近づき、じっと顔を寄せた。

 その圧迫感に押されたレオンは、反射的に少し体をのけぞらせる。

「君の名前知ってるよー、レオンでしょ!」

 レオンの鼻孔を突いていた屋内の湿っぽかった匂いが、一瞬にして蜜花の甘ったるい匂いに変わる。

「私はメル、そんで相棒はハニーだよっ」

「よ、よろしく……」

 メルはたじろぐ様子にも構わずに、手を突き付けるように差し出すと、レオンは流れのまま手をぎこちなくその手を握った。

<メル=ハニー 女 蜜熊族>

「いやぁしかし、古びた屋敷だな~」

 白と黒のメッシュボブを揺らしながら、再び屋内を散策し始めたメルをレオンの内側から見たリエフは、(あんなガキ、ほんとに戦えんのかよ)と愚痴をこぼすと、レオンは蚊を潰すようにぺちっ、と甲を叩いた。

「久しぶりやなぁ、レオン」

 そこへまた一人。戸が開く音と同時に、聞き覚えのある癖の強い関西弁が耳にへばりつく。

「やっぱお前も全やと思ったわ」

「おはよう、ティグリス」

 挑発的な話口調に動じることなく、レオンは淡々と言葉を返す。

<ティグリス=ラオフ 男 虎族>

「訓練やったらどうなろうが関係なからなぁ。本気でお前とやりやえる思ったら、楽しみでしゃーないわ」

 黄色と黒のメッシュの前髪から覗かせる鋭い眼光が、レオンの眉間を捉えると、にやりと嫌味な笑顔を浮かべる。

「俺もだよ。ティグリス」

「……フンっ、ええ殺気や。なんなら、ここでやってもええんやぞ?」と、左手を口元に近づけマスクをつける素振りを見せるも、レオンは一向に動じず、二人は鋭い眼光で睨み合い火花を散らし続ける。

「あの……、全の修行場ってここで合ってますか……?」

<フェンサー=ヘンティル 男 長角牛(オリックス)族>

 その最中、弱弱しい声が二人の間にぬるっと入り込んできたかと思えば、その上から、怪訝そうな少年の怒鳴り声が被さる。

「俺が合ってるって言ってんだ、早く入りやがれッ!」

<フェロズ=ウルヴァリン 男 屈狸(くずり)族>

「……。こんな馬鹿と同期なんて……」

<ソラ=フォックス 女 狐族>

「あぁ⁉ 今なんつった、キツネ女ァ‼」とフェロズが眉間に皺を寄せながら顔を近づけると、咄嗟に飛び出したメルの拳がフェロズの茶色と黒が混ざった髪を打つ。

「いてッ!」

「ちょっと、女の子に何てこと言ってんのっ⁉」

「め、メルっ……。だってこいつが……」

「だってじゃないよっ、ちゃんと謝りなっ!」

「いいよ、別に。こんな奴の謝罪なんて受け取りたくない」

「あアンっ⁉」

 ソラの無機質で冷たい言葉にフェロズは思わず、突っかかりそうになるが、メルの鋭利な視線が抑止力となり、ぎしぎしと歯嚙みし、怒りをぐっと堪えるに留まった。

「黙れ、点呼とるぞ」

「「「「……⁉」」」」

 突如思いもよらぬ場所から鳴った声に、そこにいた全員が咄嗟に目を向ける。そこには、ウェーブのかかった銀髪をした男が皆の前で悠然と佇んでいた。

「いつの間に……?」

 レオンは理解不能な現象を整理するため、玄関から自分たちのいる中央の場所まで視線でなぞる。が、どう考えても、歩く度になる木床の音を鳴らさずに、ここまで歩いて来るのは不可能に近く、跳躍してきたとしても、着地の際に音が鳴るのは必須であった。

(もしかしてこの人が、あの……)

 が、それを難なくこなした男を前に、レオンが言葉をこぼしそうになったとき、皆、咄嗟に横一列並びに左手の甲を隠しながら、胸に手を当てる。

「あぁ……。俺の前ではそういう堅苦しいの、いいから」

 その高くもなければ低くもない、どこか不思議な力を持った声でそう言いながら、ポケットから蓮の葉の形に似た葉紙(ようし)を取りだす。

 その左手の甲には、四本の爪痕が刻まれていた。

「ちなみに俺は全の講師、ヴォルクス=ウルフだ。じゃ、早速名前読んでいくぞ」

<ヴォルクス=ウルフ 男 狼族 全騎士団副団長 雷属性 共鳴四層>

 その名を聞き確信を得たレオンは、背筋をさらにピンと伸ばす。

 森にいる者なら、誰しもが知っている有名すぎる名。一年かかる全てのカリキュラムをたった一ヶ月で習得し、最年少で『全騎士団(アレスナイツ)』に入団し、現『副団長(バイス)』を務める、数百年の歴史を持つ騎士団学校きっての天才騎士。そして、騎士団に入団した者だけが得られる属性果の雷果(らいか)の力を宿し、稲妻のように森を駆け抜ける姿から、『雷狼(らいろう)』と称される男。

「じゃぁ、最後。カイザー=オーカ」

 と名を呼ぶも、返って来ない返事に、ヴォルクスは深いため息を吐きながら、折り曲げた葉紙をポケットに入れた。

「初日から遅刻とは大した根性だ。まぁ、人のことはあんま言えねぇが……。じゃぁ早速」

 ギィーッ……。

 その時、声に覆いかぶさるように引き戸から金切り音が鳴る。目を俯かせながら入って来た一人の少年は、ただ黙り込みながら室内へと入って来た。

「おい、遅れてきて何もなしか? あの頃の俺でも、頭ぐらいは下げたぞ」

 少年はただ歩みを進める。まるで何も聞こえていないかのように。

「おい、お前」

「すまんのぉ、ヴォルクス君」

 ヴォルクスはその舐め切った態度を正そうと、足先に力を入れ、飛びかかろうとした寸前、杖をつき入って来たオウルの声がそれを制止させた。

「学長……」

 突然の学長の登場にその場にいた全員の背筋が伸びる。

「カイザー君にはちょいと話があっての、わしが呼び止めたんじゃ」

「……そうでしたか」

 オウルは整列する生徒たちを一見した後、不気味なほどにっこりと笑みを作り。

「今年の生徒は皆、骨のある者ばかりじゃ。びしばし鍛えてやってくれ」

「はっ。承知致しました」

 鷹揚と振り返り返事を背に受けると、肩から羽織っていた白い外套を揺らし屋敷を後にした。

「……なるほどな。学長のお気に入りってわけか」

 学長が屋敷を出たことを確認するや、ヴォルクスは、列に加わろうとするカイザーを見つめながら、ぽろりと言葉を落とし、ポケットから葉紙を取り出す。そして点呼を取る素振りを見せかけた直後、それをカイザーへ向かい手裏剣のように高速回転させながら、投げつけた。風を切り、目にも止まらなぬ速さでカイザーの背後を襲ったそれは────しかし、カイザーはそれを目視することなく頭を数センチだけ傾けると、紙一重の間合いでそれを避けた。

 投げられた葉紙の先端は最奥の壁に突き刺ささると、先程までの鋭さが嘘のように、だらっと垂れ下がり、通常の紙の姿へ戻った。

「……鯱族の名は飾りじゃねぇようだな」

 そこでやっとカイザーの俯いた顔が上がり、そっと振り返ると、並々ならぬ冷徹さを漂わせながらヴォルクスを睨みつけた。

<カイザー=オーカ 男 鯱族>

 一連の流れを目にし、自分たちにはない異質な何かを感じた生徒たちは、いつのまにかカイザーの一挙手一投足に目を奪われていた。

「全に選別された自分たちに何が必要か。わかる奴はいるか?」

 唐突な質問に、メルが「……や、やる気ですっ!」と反射的に答える。

「それもあながち間違いじゃねぇかもな……。だがそれだけでは相棒の個体能力は変わらない。俺等には、速の奴らのような飛びぬけたスピードも、力の奴らのようなパワーもない」

 ヴォルクスは表情を一切変えず、ただ口だけを動かし続ける。

「ただあるのは、どちらも平均的にこなせるように全の能力。それを最大限まで引き出すことができれば、どちらにだって劣らないレベルまで能力を引き上げることができる。そうしてやっと、一人前の全騎士(アレスナイト)になることができる。

 だが──

 と唐突に声が途切れた瞬間、ヴォルクルスは生徒たちの視界から消え──次に姿を現すと、部屋の最奥にある壁に刺さった葉紙を引き抜いていた。

「「「⁉」」」

「並大抵の努力じゃそうはなれねぇ」

 その移動の速さに、誰一人として反応することができなかった。カイザーさえも。

「お前たちも既に知っていると思うが、十八年前の大厄災で約九割の騎士が死に、今日までもたった数十人の騎士しか輩出できていない。まさに騎士団発足以来の騎士不足に直面している。そして最近『黒焔教』の奴らがまた密かに動き始めているという話も出ている」

 黒焔教とは、様々な理由で守護者学校を途中退学した、通称『はぐれ者』たちの中で、領域に何らかの恨みを持った者たちが集まり、黒焔巨人の復活を目論む目的で形成された集団である。黒龍が封印されている冥界の穴を切り開く力を得るため、過去に何度か各領域のフォースフラグメントの奪取を試みたが、その度、鍛錬を重ねた騎士たちとの闘争を繰り返していた。

「そして先日行われた団長会議で、またいつ起こるかわからない大厄災と反騎士団の反乱に備えるため、一年の教育期間を三か月に縮め、一刻も早く戦力になる騎士を育てるべきだという結論に至った」

「三か月って、そんな……」

 告げられた無理難題にフェンサーは弱弱しい声を漏らす。他の生徒たちも辛うじて声さえ上げていないものの、皆同じ心境であった。

 それもそのはず。このカリキュラムの最終目標として掲げられている、『共鳴三層』への到達。そこへたどり着くまでには、それ相応の時間を要する心身の鍛錬が必要であり、一年でも到達不能者が多発するカリキュラムをたった三ヶ月で習得するとなると、想像を絶する努力が求められるのは火を見るよりも明らかであった。

「その取り決めが会議で決定された以上、俺はそれに応える義務がある。当然、半年でお前らを一人前の騎士に鍛え上げるために、無理を強いることもあるだろう」

 ヴォルクスが出口へ向かう度に鳴る木床の音が、張り詰めた緊張感を刺激し、その度、生徒たちの顔が険しくなっていく。

「気持ちを整理する時間をやる。明日の朝、覚悟のある奴だけここに来い」

 そう言い残し、ヴォルクルスは屋敷を出た。

 残された生徒たちは少しの間、直立不動のまま動き出すことはなかった。


「珍しく熱いこと話すじゃない」

 部屋を出ると、嫌味たっぷりの女性の声がヴォルクスの足を止めた。

「盗み聞きか、シェルバ……」

「人聞き悪いわね、ちょっとここに用事があったのよ。それにしても、あんなに厳しいこと言って大丈夫なの? 全員付いてこなかったらどうするつもり?」

 ヴォルクスは耳障りな言葉をいつも通り右から左へ流す。

 同期であるシェルバのお節介ぶりは、騎士団学校に入学したときにはすでに爆発しており、それは年々酷くなっていた。だがそのお節介ぶりがオウルの目には好印象に映り、数年前、支の副団長と併せ、守護者学校の副学長に任命された。

「そのときは、支に入れてやってくれ」

「何よその言い方! こっちだって一杯一杯なんだから、全く……」

 腰に手を当て呆れ声を放つシェルバを横目に、その場を後にしたヴォルクスは、そのまま校舎を出てある場所に向かった。

 空には分厚い雲が太陽を覆う。地面に映っていた影は段々と消え失せていった。

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