第85話 (イチロウ&シエス)
ドラゴンの棲家とされるククリ山脈だが、実際にドラゴンを見たことのあるものはいないそうだ。ククリ山脈の頂上付近に住んでいるといわれ、そこへ至る道には凶悪な魔物が蠢いている。遥か昔から命知らずの冒険者が挑み続けているが、ドラゴンの首は愚か鱗一枚すら持ち帰ったものはいない。
にもかかわらず、なぜドラゴンの棲家だと言われているのかは、遥か昔より語り継がれる伝承があるそうだ。
『マグマよりも熱き神の怒りに蒼然のドラゴンが蓋をする。蒼の森に近づくことなかれ、其は世界の守護者なり』
数千年前に栄えた文明は神の逆鱗に触れたそうだ。人類を滅亡させるためにククリ山脈の山々を次々に噴火させて地上の生き物を凪払おうとしたそうだ。生き物すべてを蹂躙されてはかなわないと、かのドラゴンがその強大な力によって火山を鎮めたそうだ。
荒唐無稽な話であるが、エスタの話によると数千年前にククリ山脈が噴火した事実はあるそうだ。その時代の文明の大半が唐突に衰退したという事実もあるし加えてククリ山脈の様相である。
青い植物など普通であるはずもなく、地上の如何なる場所とも比較にならないほどの魔素の濃度が高い。それ故か、森を闊歩する魔物は恐ろしく凶暴である。しかし、それらはククリ山脈から出ることはないのだ。だからこそ、ここはドラゴンの支配域だと言われている。
「はぁ、はぁ、はぁ。噂には聞いていたけど、本当に魔物多すぎだわ」
「休む暇もないです」
「たしかに」
大きく力強く息を吐き出して呼吸を整える。たった数回短い呼吸をするだけで荒れた呼吸を落ち着かせる。エスタはともかくシエスには、轟流の呼吸法を教えているのだがまだまだ物にはできてないようでぜえぜえと息を切らせていた。
サイクロプスを皮切りに出るわ出るわ、魔物は途切れることなく連戦を強いられていた。それもかなりの強敵続きである。
「今日はこの辺で休むか」
「えっ、本気なの」
「本気に決まってるだろ」
「こんな魔物の巣窟で」
「そりゃそうだろ。いまさら街に戻れるはずもないし」
「そうだけどさ」
ククリ山脈に入って半日。
すでに陽が傾き始めている。蒼の森の中にオレンジの日が差している。麓からここまでおそらく500メートルも進んでいない。そもそも街道があるわけでもないので、道なき道を進んでいるうえに足場も悪い。それに何よりも魔物との遭遇が多すぎるのだ。
「いまさら山を下りるのは無理だろ。夜は早い。それにエスタだって魔力はもうないんだろ」
「まあね。さっきまでのペースで戦闘があったらあと二回ってところね。一応通常の矢もあるからまだ大丈夫だけど」
「シエスももう限界です」
「なっ、ここで野営しよう」
「テントはどうするですか?」
「流石にこの気温で雑魚寝はきついな」
「いや、だからさ、そういう問題じゃないわよね」
「ん? ああ、結界は張るよ。ネルに教えてもらって、前より強力な結界使えるようにはなったから」
「それは安心だわ――ってそんなわけないでしょ。寝てる間に死ぬわよ」
まさかエスタからノリツッコミを受けるとは思わなかった。
「エスタお姉ちゃん大丈夫ですよ。シエスは耳がいいです。魔物が近づいたらわかるです」
自慢の長い耳をピコピコ動かしながらシエスが言う。それに対してエスタは半眼になった。
「私も魔力感知には自信あるから寝てても、魔物の接近はわかるつもりよ。でもね、そういう問題じゃないの。まあ、ダンジョンに潜っていた時からおかしいおかしいとは思っていたけど、普通は結界を張ったからって熟睡しないものよ。大体、前衛職のあなたがなんで魔法使えるのよ」
「ちなみに治癒魔法も一応使えるぞ。ネルほどじゃないけどな。それに、しっかり休まないとそれこそ次の日に支障が出るだろ。敵が強い反面、そこそこの魔石は手に入っているんだ。それを使えば結界の維持も問題じゃない」
「ああ、もう、どこから突っ込めばいいのかしら。魔法が使えることはまあいいとして、なんでネルもあなたも結界魔法なんて使えるのよ」
「そんなに変か?」
「結界魔法ってそんなに一般的じゃないのよ」
「そうなのか?」
「そうよ。基本的に結界魔法の魔導回路は教会が握っていて一般には出回ってないの。もちろん私の郷にも術者はいるけど、伝えるべき相手は厳選されているわ」
なんでそんなことも知らないのかしらとエスタが小首を傾げるが、俺はこの世界の常識には疎い。だけど、それが本当だとしたらやっぱり不思議だ。ダンジョンで出会った冒険者にも散々うらやましがられたから、レアな魔法だというのはわかっていた。でも、ネルが子供のころに貰った魔法の本に乗っていたくらいだ。そこまでとは思わなかった。
でも、考えてみればその本は本当に”初級”だったのだろうかと思う。基本属性の攻撃魔法もそれで身につけたらしいけど、結界魔法だけでなく回復魔法も学んでいる。
回復魔法もまた”初級”とは言い難い高位の魔法らしいのだ。まあ、いまはそれを気にしても仕方がないか。
「まあ、いいだろ。使えるんだからさ。しっかり休んで明日に備えようぜ。敵のレベルも数もかなり多いし、急いで上を目指す必要もないと思うんだ。明日はここを拠点にして周囲の魔物を狩ろう」
「拠点」
「ああ、結界を張った休憩所があればいざというとき避難できるしいいだろ」
シエスは出入りが少々厄介だけど、腕輪さえつければ出来ないわけではない。早速とばかりにシエスが袋からテントを出して設営していく。ダンジョンの中でテントを出すことはなかったけど、街から街への移動ではよく使っていたので手慣れたものである。
森の中なのでロープを引っかけるところも多く場所を選ばない。地面には腐葉土なんかも積もっているので適当に払いのけて場所を広げる。
「うん。手足だけで地ならしするっておかしいからね」
エスタのツッコミを無視して大地を均していく。意外とこれはこれで面白い。素手で地面を掘って、小石を除きつつ凹んだところには土をかぶせて足で踏み均す。なるべく平地を選んだつもりだったけど、あっという間に平らな土地が形成された。
「うん。初めてやってみたけど、案外いいな」
「……何がよ」
「折角拠点にするなら小屋でも建てるか」
「小屋を作るですか」
「ああ。道具を使わずにな。いま地ならしして思ったけど、素手でいろいろやってみるのも修行になるなぁって思ったんだよ」
エスタの目が薄く細くなり、面白そうとばかりにシエスは目をらんらんと輝かせた。まあ、小屋はおいおいとしてまずは夕飯と結界か。
「飯の支度は二人に任せるから、俺は結界を張るよ」
「はいです」「わかったわ」
シエスが鍋やフライパン、食材を取り出し、その間にエスタが焚火を熾す。その様子を見ながら俺はネルからもらった結界魔法の魔導回路のメモを片手に結界を構築していく。以前の魔導回路は丸暗記していたけども、ニューバージョンはまだ頭に入っていない。
というか、複雑すぎる。
一体全体ネルの頭の中はどうなっているのかと聞きたい。
新しい魔導回路を作り出したこともそうだけど、そもそも20以上の魔導回路を覚えているということが驚異的だ。
『うーん。全部を丸暗記すると逆に難しいんですけどね、一つ一つに意味があるんですよ。だから、部分部分ごとに覚えてパーツを組み合わせれば簡単なんですけどね――」
とネルは言っていたけど、部分部分がそもそも複雑で覚えられない。もともとの結界魔法が基本になっているけども、ほんとに? といいたくなるレベルで違うんだが。
いままでと同じようにゆっくり時間を掛けて丁寧に魔道回路を構築していく。ネルから何度も聞いたけど、例え時間が掛かろうと正しく構築することが重要なのだ。なので構築した後も発動句を唱える前に何度も何度も見直しをする。
たっぷり時間を掛けること10分。
ようやく魔道回路は完成して結界を魔石に固定する。
「へぇ、本当に前の結界と違うのね」
「わかるのか?」
「エルフだからね」
それは理由になっているのか。エスタが魔法を使ったところは見たことがないので魔法は使えないものと思っていた。だが、少なくとも魔導回路を多少は読めるらしい。
「薪は集まったか」
「このくらいでいいですか」
冬に差し掛かり枯れ枝を集めるのは簡単だったようだ。エスタと二人、一晩中燃やしても尽きそうにもない量の枯れ枝が集められている。小さい木々を中心に、火をつけると徐々にあたたかな空気が広がってくる。こんな魔物の巣窟で効果があるかはわからないが、魔物除けの薬草も焚火に放りこんだ。一瞬大きな煙が立ち上るがすぐに霧散する。
俺にはにおいは感じられないが、魔物であるゆえかシエスは若干険しい顔になった。それでもすぐに元に戻るのだけれども。
シエスが取り出した道具を使ってエスタが手早く肉を串にさしていく。
大量に魔物を狩ったため肉には事欠かない。もちろん、食用に適していない魔物の肉もあるのだけど、それは単純に美味いか美味くないかの違いで、毒性があることはほとんどない。
エルフはベジタリアンというイメージがあったけど、エスタは普通に肉を食う。
それもかなり喰う。エスタはエルフの例にもれず美人で、胸は小さく細身であるけど食べたものはどこに消えるのかというくらいに食べる。
「そろそろいいかな」
「じゃあ、一つ貰おうか。こっちもいいみたい」
焼き串を一本受け取り、温めていたスープを各人に配る。
今日の肉はオークジェネラルのものだ。早い話が豚肉である。普通のオークの肉も食えるし、食堂なんかではよく見かけるが臭みが強い。そのため、ハーブとかでごまかしているらしいが、オークジェネラルになると全く臭みがなく脂身もうまい。
「うまっ、焼き加減も最高」
「でしょう。まあ私のお蔭ね」
「いや、串にさして火にかけただけだろ」
「私が切って焼いたということに意味があるのよ」
「本当においしいです」
「うんうん、シエスちゃんは本当にいい子ね」
肉をハムハム食べているシエスの頭を撫でるエスタ。さっきまで必死になって魔物と戦闘を繰り返していたとは思えないほど穏やかな時間が過ぎていく。
こうして俺たちの修行の日々は幕を開けた。
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