第78話 (フラン&ネル)
懐かしい景色が見えてきた。畑で作業をしている男女が見える。
たった数ヶ月離れていただけだというのに胸に熱いものがこみ上げてくる。
「おーい」
フランが手を振りながら声を上げると、農夫が顔を上げて二人の帰郷に顔をほころばせた。
「よう、もどってきたなー。随分長いこと村を空けるからみんな心配してたんだぞ。ルーナもミダフもこれで安心だなー」
アドフの間延びした懐かしいしゃべりに二人はクスリとほほ笑んだ。ニースは小さな村である。誰もかれもが顔なじみなのだ。彼らと言葉を交わしていると帰ってきたのだという実感がわいてくる。そんな風に村人の間を通りながら、それぞれの自宅へと向かった。
二人の家はニースの村の例にもれず、レンガと木造の合わさった平屋である。家は三軒隣で近所。まあ、村自体もそれほど大きくはないので、端と端だったとしても同い年の二人は親友になったことだろう。
時間はちょうどお昼時、それぞれの家から水煙が上がっている。
母親は在宅だろうし、畑に出ている父親もお昼を食べに戻ってくるだろう。
「ただいま」
ネルと別れてフランが元気よく家の戸を開ける。
鍋をかき混ぜていたフランの母が聞きなれた声に、一瞬で顔をほころばせる。「フラン!」と大きな声で愛娘の名前を呼ぶと、おたまから手を放してがしっと両手でフランを抱きとめた。見た目は細身であるけれど、普段から畑仕事に従事しているせいか意外と力強い。
いままで家を空けても一か月が最長だった。それを思えば今回の旅がどれだけ長かったことか。ときどき手紙で無事を知らせていたといっても、顔を見るのとは安心の度合いが違うのだ。
冒険者となった娘。
本当はそんな危険な仕事は止めてほしいと思っている。それでも、成人した立派な大人である娘の行動を止めることができないのもわかっているのだ。それでも親として思わずにはいられない。
いままではもっと頻繁に顔を見せてくれた。それだけで安心できていたのにもう数か月も帰ってこなかったのだ。
何かあったのかと思うと、気が気でなかった。
涙が一滴ほろりとこぼれる。
「お母さん」
フランもまた冒険者をやっているときは見せることのない安堵しきった柔らかい表情で母親の胸に顔をうずめる。幼馴染のネルはしっかりしているように見えて、ぼーっとしているところも多くある。そんな彼女を守るためにフランはいつも気を張っていた。
誰かに話を聞いたのだろう、大きな音を立ててとフランの父親が飛び込んできた。そして、抱き合う二人をさらに外側から守る様に抱きしめる。父親の大きな手を背中に感じてフランも涙がこみ上げる。
「よく無事に帰ってきた」
「ちょっと、お父さん痛いってば」
あまりに力強く抱きしめるものだからフランはそんな軽口を叩く。それでも顔が幸せいっぱいなので嫌がっていないのは明らかだった。
そのころ、ネルもまた自宅で同様の出迎えを受けていた。フランと違うのは、ネルの家では祖父が健在だったのでハグの輪が一回り大きかった。
「それじゃあ、フランも無事なのね」
「うん。もちろん。いつもフランには助けられているの」
「そっか、そっか。本当に二人とも無事でよかった」
流れる涙をぬぐってネルの母が笑顔を見せる。その顔を見れただけで帰ってきてよかったと心から思う。それと同時にこんなに心配をかけてしまって申し訳ない気持ちになった。それに、決して口にすることはできないけども、この先イチロウの横に立つ以上魔王という人類最大の脅威とまみえる可能性があるのだ。
決断したことではあるけども、家族の顔を見るとその気持ちが僅かに揺らいだ。ネルはその思いを振るうように努めて明るく振舞う。
「ねえ、お昼は何を作ってるの? 久しぶりにお母さんの作るママルのエスネソース掛けが食べたいなぁ」
「ふふふ。お昼はガボのスープだけど、夜はそれにしましょうね」
「やったぁ。お母さん大好き」
子供のような声を上げて抱き着く娘を、微笑ましい顔で見守るネルの家族。三人にはどこにでもいるただの女の子にしか映らない。まさか、第三王子の命を救うような功績があり、宮廷魔術師に推薦されるような魔法使いとは思わないだろう。成人しているとはいえ、実家に戻ってしまえば16歳のただの女の子なのだから。
実家に戻った二人は久しぶりの家族だんらんを楽しみ、翌日は芋の収穫を一緒になって励んだ、野菜の出荷準備やこれから本格的になる冬を前に越冬の準備を手伝ったりして過ごしていた。
どうしても老朽化している部分はあるので、積雪に耐えられるように屋根の補修をして隙間風が入ってこないように処理をする。
「ほえー、やっぱり冒険者ってのはすごいもんだなー」
魔法使いとは言え、レベルの高いネルは力仕事も飄々をこなしており、その姿をみてあちこちから感嘆の声が上がる。「そんなことないですよ」と照れくさそうにいうネルは嬉しそうである。フランは、冬支度のための薪割りを斧を使わずに、自前の魔法剣ですぱすぱと大量に生産していった。その姿に目を丸くしているのは村の男たちである。
普段から農業に従事している彼らは当然のことながら鍛えられた体をしている。しかし、それよりもフランの方が余裕で丸太を割って薪を次から次に作り出しているのだから驚くのも無理はない。それこそが筋肉とは別の指標であるレベルやステータスの持つ力である。
★★★★★★★★★★
「じゃあ、ネルは宮廷魔導士に推薦されたのかい」
「そうそう、すごいでしょ。それも王子殿下から直接言われたんだよ。なのに、ネルったらそれを断ったの。あわあわ挙動不審で私には何言ってるかわからなかったけど、殿下にはそれで通じたみたいでね」
一週間ほど楽しく過ごした二人は、明日にはまた旅立つつもりだった。そこで簡単な送別会のようなものを開いて、フランとネルの家族が一緒になって食事をしているところだった。
「だってしょうがないじゃない。殿下から直接お声を掛けていた頂くだけでも緊張したのに、ましてや宮廷魔導士だなんて恐れ大いにもほどがあるもん。あの場で普通にしているイチロウのほうが変なのよ」
「まあ、あいつはちょっと変だもんね」
「はっはっは、確かにイチロウ殿は型破りではあったな。そうか、もう一度ここに顔を出してほしいところだったがまた機会もあるだろう」
村の恩人であるイチロウとパーティを組んでいることは手紙でも伝えていたので、なぜ一緒じゃないのかと不思議がられたが理由があって別行動と取っているというとそれだけで納得してくれた。冒険者とはそういうものだから。
若い男とパーティを組むことには思うところもあったようだが、恩人であることや強さに対しても信頼がおかれていたのだ。イチロウが勇者であるとは言っていないので、二人よりも腕の立つものが一緒でいれば危険な仕事であっても多少は安心ができたのだろう。
「それで明日には王都か」
「うん。ギルドで魔法都市図書館へのパスが貰える手はずになっているから、それを受け取ったらドニーに向かう予定」
「今度は二人だけなんだろ。大丈夫なのか?」
「もう、私たちも強くなったんだってば。信用してよ。宮廷魔導士に推薦されるくらいなんだから」
「そうはいってもなあ、母さん」
「そうよ。王都で護衛を雇ったほうがいいんじゃないのかい」
心配そうに顔を見合わせる両親を見てふふっとネルは笑みをこぼす。
宮廷魔導士に推薦されたという話をしても、やっぱり娘たちがそれほどの強さを手にしたとは信用できないのだろう。魔法都市の近くは中級の魔物も出没するので心配なのだ。魔物の間引かれた王都の近くで冒険者をやるのとは全然違う。
確かに半年前の自分たちが同じことを言えば、二人でも全力で止めるだろう。思い上がるつもりはないが、魔法都市ドニーへの道中に出る魔物であればどうとでもできる自信はある。
「そんなに心配しなくても大丈夫だよ。私たちこれでもレベル40超えてるんだからね」
「そうはいってもだねぇ」
ニースの村に伝わる伝統的で心温まる料理に舌鼓をうちながらそんな問答を繰り返した。心配されることがうれしくて、でも本当は心配いらないと説明できないことをもどかしく感じながら最後の晩餐を楽しく過ごした。
★★★★★★
その夜。
何となく寝付けなかったネルは家を出て夜風に当たっていた。家の前の小道を歩き、小高いところにある豊穣を神へ感謝するための祭壇に向かった。
冬も近く風が冷たい。
余計に目が覚めてしまいそうな気もしたが、このまま寝られるとは思えなかったので散歩は続けた。上に羽織ったコートの襟を両手でしっかりと締めて歩いていると、祭壇のところの椅子に座っている人影を見つけた。
「フラン?」
「ネルも」
「うん。眠れなくて」
「そっか」
フランの隣に座って空を見上げる。満天の星空には冬の輝きがすでに生まれている。空のカタチなんてどこで見ても同じ気がするのに、ニースの村でみる星空が一番きれいだと思う。
「明日ここを出たらさ、もしかしたらもう二度と戻れないのかなって思ったら」
眠れなくなったんだ。
小さな声でネルが言った。
魔法都市ドニーに向かうのなんて平気だと家族には言ったけど、問題はその先にある。イチロウのそばにいるということは魔王と戦うということなのだ。どこにでもいる田舎娘が冒険者になって多少力をつけたからといって、おとぎ話のような魔王討伐が為せるとは限らない。死ぬ可能性の方が高いと思う。
それがわかっていても、一緒にいたいと考えている自分に驚いている。冒険者になったのだってたまたまなのだ。旅の魔法使いから魔導書をもらったことがきっかけで魔法を覚えて、折角だから有効に使ってみようと。それなら冒険者がいいのだろうと単純な考えだった。もちろん、魔物の脅威から村を守り、金銭的に家族に少しは楽をさせたいという思いもそこに加味されている。なるべく危険は避けて、少しずつ経験を積み重ねて王都の冒険者ギルドで無難な仕事をこなすだけだと思っていた。
魔王を倒す勇者の話は子供のころの寝物語に過ぎないのに、そんな物語の登場人物に自分がなるなんて考えたこともなかった。
「戻れるよ」
「ん」
「だってイチロウだよ。謎の轟流を使いこなす、わけのわからないステータスを持った理不尽大王が、いまは修行してるんでしょ。とんでもなく強くなっちゃって、魔王なんて一撃で倒すんじゃないかな」
「ふふ。イチロウなら本当にやりそう」
「だから、大丈夫。ネルはちゃんとこの村に帰ってこれる」
その時はフランも一緒なの、とネルは聞きたかったけどそれはできなかった。彼女の答えをはっきり聞いたことはなかった。どうしようかと悩んでいるのがわかっていたから。きっと眠れずに夜風に当たっていたのは、それを考えていたのだろう。だから、ネルは話題を変える。
「ねえ、フランはイチロウのこと、どう思ってる?」
「馬鹿で短慮で理不尽」
「そうじゃなくて」
「わかってる、ただの冗談だってば」
「もう」
「ネルが思ってるようなことはないよ」
ははは、とフランが笑いながらネルを見る。真面目な話を茶化されたネルは少しだけ口を尖らせるけども、期待した通りの答えなので安心もする。
「だってイチロウだよ。クヌカの森で助けられたときはちょっとかっこいいかもって思ったけど、ほんの一瞬だったね。背負うからって服を脱いだ時点で”あっ、こいつ頭おかしい”って思ったもん」
「ひっどいなー。たすけられたのに」
「ネルはもうあの瞬間に好きになったんだ」
「うーん。どうだろう。惹かれたのは間違いないけどね」
と、ネルは思い出す。
クヌカの森でグリフォンに襲われたとき、ネルを守る様に敵の前に立ちはだかったイチロウ。彼女に見えたのはその鍛え上げられた大きな背中だった。だけど、それだけではない。
「でも、一番はシエスちゃんに手を差し伸べたときかな」
「ああ、そっか。今思えば私たちと違う常識に生きていたからなんだろうけどね。あんな風に手を差し伸べるのが不思議だったもんね」
「うん。その時にイチロウが私たちをみて少し軽蔑するような表情浮かべていたの。それがすごくショックだった。イチロウにそんな風に思われるのが嫌だなって。そう思ったの。その時初めて自分の気持ちを自覚したような気がする」
「気持ち伝えないの。あいつ相当鈍感だよ。絶対言わないと気付かないから」
「うーん。でも、イチロウってフランのこと好きなんじゃないのかな」
「私? それはないでしょ。だってゴーレムと戦った時、ネルとシエスだけ守ろうとしたでしょ」
「あれは位置的にそうなっただけだって。もう、まだ根に持ってるの」
「そうかな」
「私はイチロウとフランってすごいお似合いだって思うんだけどな。それにさ、パーティを離れるときに言ってたでしょ。フランと一緒のパーティーがいいって。私やシエスちゃんには言ってくれなかったんだよ」
「そんなこと気にしてたの。だって、あの時ネルもシエスもイチロウについて行くこと決めてたじゃない」
「だけど……」
フランは大きくため息をつくとネルのほうに振り返り彼女のほっぺをつまんだ。
「かわいいなぁ。もう」
「いひゃい。あにするの」
「そんなことで嫉妬しているネルがかわいいなぁって。私とイチロウなんて絶対ないからね。もう、くだらないこと考えてないで、さっさと告っちゃいな」
「だって……」
「だってもないわよ。ああ、やだやだ。冷えてきたしそろそろ部屋に戻ろうかな」
そういってすくっと立ち上がるフラン。ネルは考え事はいいのかなと思いながらも一緒になって立ち上がった。話している間に指先が冷たくなってきていた。
「私に嫉妬する暇があるなら、シエスを警戒したほうがいいんじゃない?」
「えっ、ちょっと、それって」
「だって、今頃二人きりなんでしょ」
「で、でも、シエスちゃんはまだ子供だし……」
「さぁ、どうかしら」
含むようにフランが笑いネルは考える。たしかにシエスはまだまだ子供だ。でも、魔物である彼女が果たして人と同じような成長をするのだろうかとふと思う。シエスは前にもイチロウと家族になるとか口にしていたことも思い出した。
もしかして、本当のライバルはシエスなのではないだろうか、といまさらながらに気がついたネルだった。
「ど、どうしよう」
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