閑話5
驚くべきニュースが飛び込んできた。
スマニーのダンジョンに潜っていた第三王子殿下一行が無事に戻ってきたのだが、成果は予想をはるかに上回るものだった。ワイバーンの魔石9個というあり得ない数に加えて、災害級に区分されるギガントサウルスの魔石を持ち帰ってきた。
ギガントサウルスの巨魔石は王都を覆う結界に使用することもできるほどに魔力の含有量が多い。現在の結界が掛けられて10年以上経過している。まだ数年以上は問題なく維持できるとはいえ、魔王軍との戦闘の激化している今、王都の守りを強固にするためにも予備はいくらあっても困らない。
この手の魔石の入手に関しては常にアンテナを伸ばしているし、王国の人材を酷使したとしてもそうそう手に入るものではない。つまりこれは僥倖であった。
ワイバーンの魔石の入手も含め、魔王軍との決戦に向けての準備が整ったといえるだろう。
私はソウ様の研究室へ向けて足を速めていた。
殿下の持ち帰った情報はそれだけではない。
勇者が生きていたのだ。
勇者としては見るべきところのない残念な男であったが、ソウ様と故郷を同じくするご友人である。その死に対して、あまりに淡泊な反応ではあったがその死はきっとソウ様の心に愁いを与えたはずである。殿下が仰るにはスマニーのダンジョンで命を救われたとは言うが、それに関しては首を傾げざるを得ない。しかし、とにもかくにもこれはいいニュースである。
最近のソウ様は引きこもりがちで心配だったのだ。
レベル上げの直後から、ソウ様は昼食も取らずに研究室に籠ることが多くなった。レベル上げのお蔭か、体力もついてきたのだろう。それほどお疲れの様子はないけども、部屋に籠り切りというのは健康にもよくはない。
以前はアイデアを得るためといって、王城内に限らず護衛とともに街を散策することもあったのだがそれさえもほとんどなくなっている。
次から次に素晴らしい兵器を生み出してくださることは有難いのだが、ソウ様に何かあればと思うと気が気でないのだ。
「ご苦労様」
研究室の前には、護衛の騎士が二人で警備をしていた。彼らに声をかけて、室内にいるであろうソウ様に呼びかける。ドアを二度、トントンと叩いた。
しかし、しばらく待っても反応がない。
研究に没頭しているソウ様は往々にして返事をすぐに返すことはないが、いつもなら返事が上がってもいいくらいである。
「ソウ様。ゼノビアでございます」
お声をかけ、数度戸を叩いた。
しかし、いくら待って声が返ってこない。
「中にいらっしゃるのですよね?」
ただ前を向いている護衛に向かって声をかけると、「はっ」と短い返事が返ってくる。それもそうだろう。室内にトイレはないため、用を足すときでも護衛を連れて動くはずである。だとすれば中にいるのは聞くまでもない。
「ソウ様!」
大きめの声を出しても、一向に反応が返ってこなかった。徐々に焦ってくる気持ちを落ち着け、「失礼ですが入らせていただきます」とカギを用意して中へと押し入った。
ソウ様には決して中には入るなと言明されている。ソウ様の安全に関しては王族に近い守備体制を整えているのだ、外部から危険が及ぶ可能性は低いと思っている。だが、ソウ様とて人の子である。お若いとはいえ、万が一ということは考えられるのだ。
そう思って踏み込んだ室内は、書物と書きかけの魔術回路が散らかされたいつもの風景だった。一点だけ異なることを言えば、そこにソウ様の姿がないということ。
「ソウ様っ!!」
大きな声を上げ、部屋の隅々まで首を巡らせるが、研究室はそれほど大きなところではない。探すべきところなど限られている。いつもソウ様が研究に没頭しているテーブルに部屋の三方を天井まで覆いつくす本棚。そこへびっしりと魔術関係の本が詰め込まれ、それでも収まり切れない本が床から塔のように積み上げられている。
大小幾本ものタワーが並び、紙に無造作に記された国家機密クラスの精密な魔術回路の欠片たち、そしてすでに完成を見ているのか大きな布地に空間魔法らしき魔術回路の描かれたものが床に広げられている。
だが、どれだけ目を凝らしたところでソウ様のお姿はどこにもなかった。
慌てて部屋の外に出て、護衛を問い詰めたところで結果は変わらない。
「本当に見ていないのだな」
「は、はい。我々は朝からずっとここに立っておりました。しかし、ソウ様は一度たりとも外には……」
「一度たりとも? トイレにもか」
「はっ。ここ最近は朝食後、部屋に入ると夕方まで出てくることはありません」
それだけで異常と断ずるには材料が足りない。しかしどういうことだろうかと頭を悩ませる。以前より昼食を抜くことはあったが、毎日というわけではない。むしろ、考えが煮詰まると散歩と称して歩き回ることもあったのだ。王都の街に出なくても王城内の庭園を歩いたり、厩舎を見たり、兵士の鍛錬場をのぞいたり、時には厨房に顔を出すことすらあったのだ。ソウ様の世界にあるという食べ物を紹介してくださったりしたこともある。
それが完全に引きこもるというのもいささか不思議に思う。
いや、今はそんなことを考えている場合ではない。
「第三近衛隊のアレクシオ殿に連絡をとってすぐに捜索に当たってくれ」
「はっ!」
慌てているのだろう足音を立てて駆けていく騎士を見ながら思考を巡らせる。
一体何が起きたのだ?
部屋は密室。入り口には騎士が二人常に立っており、鍵も掛かっている。部屋には空気を取り込むための小窓が二つ付いているが、大の大人が外に出られるような大きさではない。仮にそこから抜け出たとして王城ではあらゆるところに兵士が立っており目につかないことなどありえないのだ。
部屋は三階にありロープを垂らして降りていれば確実に見つかるだろう。そもそも、ソウ様にそんなことをする理由がないのだ。
誰か第三者の手でさらわれたとでもいうのだろうか。
それをするにも部屋の入口もしくは小窓を使用する必要があり同じ理由で成立しない。国の宝とも言えるソウ様を守る護衛に関しては身元調査に余念はなく、買収その他の可能性も低いのだ。
ゆえにわからない。
どれだけの可能性を検証しようとも、いずれも”あり得ない”の一言で片が付くのだ。強いて言えば、ソウ様が元の世界へと送還された可能性くらいだろうか。
召喚魔法はいまだに謎の多い術式である。
空間魔法、次元魔法、時空魔法、原始魔法、無限魔法、誓願魔法、神祝魔法を高次元で組み合わせた術式で、遥か昔の魔法使いが生み出したとされる儀式魔法である。
世界と世界を繋ぐことは恐ろしく難しい、しかしそれ以上に問題となるのは世界を渡れば人は無事ではいられないことである。かつての異世界人から得た情報によれば、この世界と異世界では根源が異なるのだ。ソウ様の世界においても魔法はないという。それでも魔法を使用できるのはこの世界の存在へと身体の組成が創りかえられているからだと言われている。
それに耐えられるだけの肉体的、魂的な強度が必要とされる。それこそが召喚魔法が探し出す”勇者”の条件である。この地上に勇者と同じだけの”強さ”を持つ者がいれば、武神の加護を付与できるようなものがいれば、数多の世界に目を向け異世界から”勇者”を召喚する必要はないのだ。
だが、魔王という脅威を前に我々は召喚魔法に頼らざるを得なかった。
果たして何故、二人もの人間を召喚したのかはわからない。
召喚魔法には誓願魔法が組み込まれており神との契約でもある。ゆえに他の世界より勇者を呼ぶために神々の力を借りているのだ。神々の采配に間違いがあったと考えるのは不敬であろうが、もしソウ様が召喚されたのがミスであるのなら神々が彼を元の世界に戻したとして”ありえない”とは言い切れないのではないだろうか。
決して脱出することのできない場所から忽然と消えた不可思議を思えば、人為的なものと考えるよりもよほど説得力がある。
ソウ様の捜索は王城内の100名近い人員を投入して行われたが、何一つ見つけることができなかった。王都と街を繋ぐ門は閉じられ、ソウ様の寝室に始まり、立ち寄ることの多い食堂、トイレ、湯場、庭園にとどまらず普段は決して近づかないであろう場所まで、それこそ国王陛下の寝室も含めて捜索されたのだ。
しかし、髪の毛一本、爪のひとかけらすら痕跡を見つけることはできなかった。
魔王軍の戦いにおいて最も重要な鍵となるソウ様の不在に、王城内は上や下への大騒ぎとなった。こんなことになるのなら、居場所を特定できる魔道具の一つでも持たせるべきだったと後悔しても始まらない。今は何としてもソウ様を見つけなければならないのだ。
日も暮れてきたころ、もはや人海戦術ではどうにもならないと悟った我々宮廷魔導士は魔法による探索を実行することにした。風魔法と土魔法、水魔法に火魔法と空間魔法の応用で探索は行える。そのためには対象となるものの一部が必要となる。同僚の宮廷魔導士が儀式の準備をすすめるなか、私はソウ様の研究室より彼の体の一部――髪の毛が落ちていないかと探しに向かっていた。
えんじ色の絨毯を歩きながら気持ちの落ちていくのを感じる。
探索魔法を使用すれば、良くも悪くも結果が見えてくる。この術式では異世界にいるソウ様まで追跡することはできないのだ。それゆえ、この魔法を使うのが怖かった。どこかにいるという結果が出ればいいのだが、
「ふぅ」
一呼吸を置いて私は研究室の扉を開いた。
光の魔石の淡い明りが室内を映し出す。本棚に無数の貴重な本、そして書きかけの魔術回路。主のいな……いる?
「ソウ様?」
「ん、ゼノビアさんですか? どうかしました。っていうか、勝手に入ってこないでくださいよ。研究中はそっとしていてほしいって言っているじゃないですか」
「は? え? いや、そんな」
「どうかしたんですか?」
言葉にならない言葉をしゃべる私を訝しがったソウ様が立ち上がり顔を近づけてきた。私を心配するようなそんな表情。王城内の喧騒にまるで気がついていない雰囲気である。研究に没頭すると周囲の音が聞こえなくなるとはいうが、そんな次元だろうか。
いや、そもそも昼間ここに来た時、誰もいなかったのは私自身が確認したことなのだ。
”ありえない”
「ソウ様? ずっとこの部屋に?」
「ええ。そうですけど?」
私の言葉を聞いて、何を言っているんだと不思議そうに首を傾げるさまは、嘘を付いているようには見えない。だが、ここに誰もいなかったのは間違いないのだ。王城でネズミ一匹を探すのとは話が違う。ただの研究室である。そも、部屋の中を確認したのは私だけではない。
訳が分からない。
「ソウ様。その、申し訳ありませんが一緒に来てもらってもよろしいでしょうか?」
腑に落ちなくはあったが、少なくとも王城の騒ぎを収束させるのが先決だと、彼を伴って研究室を出た私は説明に東奔西走した。
徒に王城を混乱に落としたとしてお叱りを受けたものの、ソウ様の不在を確認したのが私一人ではなかったため事なきを得たが一歩間違えれば免職あるいは奴隷落ちすらありえるところだった。
そんなわけで、当初の目的である勇者の生存を伝えることができたのは翌日になってからだった。それを聞いたソウ様は、
「まあ、そうだろうと思っていました」
相変わらず淡泊な答えだった。
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