外伝Ⅱ 妖花~その48~

 帝暦七二二年天臨の月二十三日、レオンナルドは帝都ガイラス・ジンに入った。帝都の民衆にとっては複雑な心境であった。ワグナスは民衆に対して寛大な政治を行い、絶大な人気があった。そのワグナスを討った新しい覇者がどのような政治を行うのか、民衆からすると不安しかなかった。


 しかし、民衆の不安はすぐに解消された。皇宮に入ったレオンナルドはすぐに声明を発表した。


 『ワグナス・ザーレンツは皇帝ロートン二世を弑逆した奸臣であるが、その政治には誤りはなかった。私は彼の政治を踏襲することを宣言する』


 帝都の民衆はレオンナルドの寛容に安堵した。民衆への人気取りという側面もあったが、彼自身、民衆に対しては非常に寛大であったことは先述したとおりである。余談ながら、この時点ではレオンナルドはまだ皇帝を名乗っていなかった。彼が皇帝に即位するのは、各地で勃発した反乱をすべて平定した二年後のことであった。


 民衆に対しては寛容さを示したレオンナルドであったが、それ以外については寛容ではなかった。まず手初めてばかりにロートン二世時代の閣僚をすべて馘首し、人事の一新を図った。次にレオンナルドはロートン二世の四人の皇子達を招集した。メルビンをはじめとした四人の皇子達も、複雑な思いで玉座に座るレオンナルドを眺めていた。彼らからすると、レオンナルドが帝位を掻っ攫ったようなものである。しかし、公然とレオンナルドにその場を譲れと迫るほどの度胸もなく、彼の口から何が飛び出すか漫然と待つしかなかった。


 「貴様らは先帝が奸臣によって殺害されたにも関わらず、誰一人としてのその敵を討とうとはしなかった。それどころか、帝位にも着かず帝国の政治を停滞させた!これは万死に値する!」


 レオンナルドは蹴るようにして玉座から立ち上がると、自ら剣を抜いてメルビンを首を刎ねた。他の皇子達もそれぞれ刑場に引き出されその首を刎ねられ、兄弟揃ってその首は都大路に晒された。


 その数日後、帝都にワグナスの首級が届けられた。レオンナルドはその腐乱しかけた首を一瞥しただけですぐに立ち上がり、


 『丁重に葬ってやれ』


 と声をかけただけであった。メルビン達を含む皇子達の首を晒して、ワグナスの首を晒さなかった。このことでレオンナルドがワグナスをどうように評価していたかおおよそ察することができた。余談ながらワグナスを丁重に葬れといわれた臣下達は困惑した。新たな権力者の下、大逆の汚名を着せられたワグナスを丁重に葬れと言われても、どの程度の丁重さで葬ればいいのか判断できなかった。大規模な御陵では大逆を犯した罪人には相応しくないし、だからといって骸を風に晒して捨てるわけにもいかなかった。結局は帝都の郊外にわずかばかりの陵墓を作るに留まった。但し、墓碑銘はなく、目印となるものも作られなかった。




 帝暦七二二年天臨の月三十一日。オルトス・アーゲイトの姿は帝都にあった。レオンナルド王からお召しがあったのだ。オルトスがワグナスと深く親交があったことは周知であり、それについて査問するというものであった。


 「行かれることはありません。アーゲイト様がワグナス卿と親交があったとはいえ、彼の大逆に加担したわけではありませんから」


 ダンクルが目の色を変えて言った。彼がここまで感情を顕にしたのは始めてであった。


 「行かなかったら行かなかったで罰せられるだけだ。まぁ、レオンナルド王も命までは取らないだろう」


 おそらくは罷免されるだろう。その程度で済めば御の字だとオルトスは考えていた。


 「我ら第三皇帝直轄地の民衆はすべからくアーゲイト様のお味方でございます。もしアーゲイト様に万一のことがあれば、我らとしての徹底して抗議する所存です」


 「それでは群雄割拠の軍閥だな。穏便に頼むぞ」


 オルトスは後事をダンクルに託して帝都へと向かったのであった。


 帝都に着いたオルトスは拘束されることはなかった。しかし、常に見張りの兵が二人、びっちりと張り付いており、そのまま皇宮へと連れて行かれた。


 かつてロートン二世を仰ぎ見た謁見の間の玉座にはレオンナルドが腰掛けて足を組んでいた。背の高い若い男であった。細身で体格的には覇者としての威厳は感じられなかったが、瞳は鋭く、相手を威圧し射抜く力を宿していた。


 「貴様がオルトス・アーゲイトか」


 妙に甲高い声であった。オルトスは黙って首肯した。


 「貴様に聞きたいことは二つだけだ。罪人たるワグナス・ザーレンツを一夜とはいえどうして匿った?」


 オルトスは肝を冷やした。オルトスを一夜ばかり匿い、酒を供にしたことがばれていたらしい。しかし、このことについてはオルトスは一点の曇りも感じていなかった。


 「それは彼が私の親友だからです」


 オルトスは即答した。レオンナルドの近臣達はどよめいたが、レオンナルドは冷徹な視線でオルトスをじっと見ていた。


 「もう一つの質問だ。そのワグナスをどうして解き放った?親友であるなら匿い切るべきであろう」


 「それは私が第三直轄地の代官だからです。領民に迷惑はかけられません」


 これもオルトスは即答した。レオンナルドはふんと鼻で笑った。


 「査問は以上だ」


 レオンナルドはそれだけを言って席を立った。オルトスは罷免されることなく、その日のうちに帝都を去って任地へと戻った。




 オルトスはその後三年間、第三皇帝直轄地の代官を勤めた。それから帝都へと召還された。だが、与えられた役職は決して栄転ではなく、寧ろ左遷であった。国史編纂局局長というものであった。ワグナスの親友であったオルトスをレオンナルドの天下となった帝国の国史を編纂させる機関の長につけたのである。レオンナルドなりのオルトスへの嫌がらせであり、罰であった。


 オルトスはそのことについて一言も文句らしいことを言わず、レオンナルドのことを賞賛する国史の編纂に携わった。だが、一方でオルトスは私的に執筆していた。自分がワグナスから出会ってからその死までを、自分の経験だけではなく様々な人の証言を集め、三冊の書物にまとめたのであった。


 「これは勿論公表しない。皇宮の地下の書庫に隠すつもりだ。その存在を子々孫々語り継ぐ必要もない。その存在が忘れ去られてなお、皇宮の地下にあり続ける。それだけいい」


 オルトスはその晩年、嫡男にそう伝えた。何も知らずに本当の歴史書が皇宮の地下に眠っている。それこそレオンナルドに対するオルトスなり意趣返しであった。




 オルトスは七十七歳で生涯を閉じた。この時代にしては長寿であり、レオンナルドはすでにこの世におらず、彼の子息であるベーテロス帝の御世であった。ベーテロス帝は形ばかりの悔みを述べただけに留まった。こうしてオルトス・アーゲイトの名前は闇に消え、彼が残した歴史書も日の目に当たることもなかった。

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