外伝Ⅱ 妖花~その47~

 ワグナスによる皇帝殺害から始まった政治的混乱も、第三皇帝直轄地には無縁であった。相変わらず食料は不足していたが、オルトスの尽力により領内での餓死者を一人も出すことなく冬を越えられそうであった。レオンナルドが再蜂起した時も、


 『領境に警備兵を配備しろ。敗残兵は一人として領内に入れるな』


 オルトスはそう命じるしかなかった。オルトスとしては、ワグナスが本当にロートン二世を殺害したとは思えず、レオンナルドが掲げた大義の方が嘘だと考えていた。しかし、やはりレオンナルド討伐において勅命が出なかったことを不自然に思っていた。


 『ワグナス、レオンナルド。どちらに正義があるか分からん。俺にできるのは第三皇帝直轄地を戦火に巻き込まないようにすることだ』


 どちらの陣営からも徴兵の誘いはない。第三皇帝直轄地の規模を考えれば当然であり、オルトスとしてそれを幸いとして、第三皇帝直轄地を守ることだけに専念した。それから間を置くことなく、ワグナスが大敗したという情報がもたらされた。


 「ワグナスが負けた……」


 オルトスは肩を落とした。ワグナスは才知の人だか万能ではない。とりわけ戦争という個人の才能以外の要因が激しく絡んでくる事象では、必ずしもワグナスが連戦して連勝するとは限らなかった。オルトスはそのことを十分に承知していた。


 「アーゲイト様、心中お察しします」


 ダンクルがそう言ってくれたが、オルトスは未だにワグナスの敗北が信じられなかった。


 「まだ商人達がもたらしてくれた噂話でしかない。情報の収集を急がしてくれ。それと領境の警備はより厳密に」


 もしワグナスが敗れたのが事実であるとするならば、自分のことを頼ってくるかもしれない。そのような淡い期待をしながらも、実際に頼ってきた場合どのようにすべきか。オルトスは判断できずにいた。


 


 その三日後、領境の警備兵から敗残兵と思しき風体の男達を捕らえたという報せが届けられた。


 「どういたしましょう。追い返しましょうか?」


 ダンクルは指示を仰いだ。かねてより追い返せと命じてきたが、胸騒ぎを感じたオルトスは、自ら出向くことにした。その敗残兵の中にワグナスがいるかも知れず、いなくともワグナスの行方を知っているかも知れない。


 「私が行くまで敗残兵を捕らえておくように。直接尋問して聞きたいことがある」


 留守をダンクルに任せ、オルトスは領境に向かった。半日かけて辿り着いた警備詰め所には三名の敗残兵が収監されていた。その中に、ワグナスはいた。


 「ワグナス……」


 「よう……」


 ワグナスは力なく手を上げた。全身泥に塗れのみすぼらしい姿であった。ついこの間まで人臣の最高位を極めた男とはとても思えなかった。明らかに敗者の風体であったが、顔つきはしっかりとしていて、目には活力が宿っていた。


 「はずしてくれ。彼としばらく二人で話したい」


 オルトスがそういうと、警備兵達は他の二人の敗残兵を引き立て、部屋から出て行った。


 「この様だ。笑ってくれていい。ベイマン家を追い落とし、宰相となった俺が追い落とされる立場になったわけだ。今にして思えば、お前の言葉が見に滲みるよ」


 「ということは陛下を弑逆したというのは嘘なのか?」


 オルトスが気になるのはまさにその点であった。ワグナスはやや視線を逸らした。


 「それは事実だ。俺が陛下を刺した……」


 「どうして……」


 「何故だろうな。直接的な理由は私怨かな?陛下は俺のフィスを夜な夜な召していた。フィスはそれを苦にして自害した」


 「女のために弑逆したのか……」


 オルトスは絶句し、怒りを覚えた。私怨のために大逆を犯すような男であるとは思えなかったし、事実であるとするならワグナスという男を到底許せるものではなかった。


 「そうだ。そのことについては抗弁するつもりはない。でも、ロートン二世は飢饉が蔓延する中で新離宮の建造を続けさせた。あの皇帝は生きていても、帝国はろくなことにならなかったはずだ」


 「だからと言って自らの行いを正当化するのか!主君が道を踏み外せば、それを正すのが臣下の務めではないか!」


 ワグナスは沈鬱そうに俯いて言葉を詰まらせた。


 「かつて聖帝といわれたアベテニール帝は即位した当初は政治を顧みない暗愚の皇帝であった。しかし、忠臣カイスイが百日間諫言を述べることで改心して、臣民のために良き政治を行った。この故事は、君と私が登用試験を受けた時にも主題されたものだぞ。よもや忘れたわけではあるまい」


 「忘れたわけではない。しかし、私は忠臣カイスイではなく、ロートン二世がアベテニール帝ではなかっただけのことだ。だが、これだけは言わせてくれ。ロートン二世を刺殺したことは私と家宰のレソーンしか知らない。それなのに何故レオンナルドはそのことを知っていたんだ?そして、あの一戦でどうして私の陣だけが風雨の被害に遭い、レオンナルドの陣は無事だったんだ。おかしいと思うだろ?」


 私は誰かに嵌められたのだ、とワグナスは無念さを滲ませて呻いた。


 「ワグナス……」


 「今更そんなことを言っても始まらんか……。要は天帝に見放されたというわけだ」


 「過去のことを悔いてももう遅いだろう。それよりもこれからどうするつもりだ?ワグナス」


 オルトスがそういうとワグナスは縋るような視線を投げかけてきた。そんな目でワグナスがオルトスを見るのは初めてであった。


 「いや、お前に迷惑をかけるわけにはいかないな。お前にはお前の官吏として前途もあるだろうし、生活もある。俺に付き合う必要などない」


 オルトスとしてワグナスを助けてやりたかった。オルトス自身の官吏としての出世などはどうもでいい。しかし、ファランを含めた己の人生、そして第三皇帝直轄地の臣民のことを思えば、反逆者となったワグナスを匿うことはできなかった。


 「すまない、ワグナス」


 「謝ってくれるな。悪いのは俺だ……」


 「せめて今夜は久しぶりに飲み明かすか」


 オルトスがそう言うと、ワグナスはようやく笑った。




 翌日、ワグナスは二人の供回りを連れて第三肯定直轄領を出た。その後、ワグナスがどのように逃げ続けた定かではないが、五日後に落ち武者狩りに遭い、落命した。

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