外伝Ⅱ 妖花~その46~

 夜半になり、戦場に雨が降り始めてきた。雨音を天幕のベッドの上で聞いたワグナスは、大したことなかろうと再び眠りについた。だが、一刻もせぬうちに、雨音は暴風が加わった。眠気を振り払ったワグナスは、天幕の外に出た。


 「なんたることだ……」


 夜とはいえ先が見えぬほどの雨と風であった。味方の松明は見えず、ワグナスがいた天幕も今にも倒れそうだった。


 「閣下!」


 将軍が駆け寄ってきた。


 「兵達を引かせろ!近辺に風雨を防げる洞窟があるはずだ。捜させろ!」


 「しかし、敵前ですぞ」


 「敵も同じ目にあっているだろう、動けまい。それよりも急がせろ。無為のままに兵を失うことになる」


 承知しました、と将軍が下がっていった直後であった。ワグナスの目の前で雷が落ちた。一度ではなく数度落ち、稲光が照らすたびに、その衝撃で舞い上がる兵士の姿が映った。


 「こんな馬鹿なことが……」


 ワグナスは呆然とした。戦場ではなく、天災によって兵を損なわれようとしている。これほど馬鹿げたことはなかった。


 「兎も角風雨を防げ!」


 ワグナスは絶叫するように命令するしかなかった。ワグナス自身、風雨に晒されながら天幕を立てねばならぬほどであった。


 太陽が昇る頃には雨はあがり、風は止んでいた。朝日が照らす自陣は壊滅状態といってよく、天幕のほとんどが地面に倒れ、立っている兵士など数えるほどしかいなかった。


 「閣下……」


 将軍であった。彼は鎧など身につけておらず、ずぶ濡れて明らかに憔悴していた。


 「兵を再編させろ……。この様子では敵も……」


 「敵襲!敵襲!」


 ワグナスの命令を遮るように、前線から叫び声があがった。目を凝らすと、整然と並んだ敵軍が近づいてきていた。


 「馬鹿な!敵は無傷だと!」


 敵の全容は昨日見た数と変わりなかった。要するに敵はあの風雨で兵を損なっていないことになる。


 「て、撤退しろ!」


 ワグナスが命じるまでもなかった。ワグナス軍の兵士達は波を打つようにして退却していった。




 憐れなほど醜態で撤退する敵軍を見て、レオンナルドはほくそ笑みながら、同時に恐怖を感じていた。


 『凄まじい力だ』


 昨晩、ワグナス軍を襲った風雨と落雷は、天使スロルゼンから授かった宝玉に力であった。半信半疑であったが、その力によって敵は壊滅してしまった。


 『凄まじいが、二度と使わん』


 レオンナルドが賢明であったのは、この力を一度しか使わなかったことであった。一度であれば奇跡であると処理できるが、二度三度このようなことが起これば、人々はレオンナルドを怪しむだろう。そして、この宝玉のことを知られてしまうかもしれない。


 『こんな宝玉によって勝ったというわけにいかんだろう。それによからぬことを考える奴が、俺の子孫に出てくるとも限らんからな』


 すでにレオンナルドは先を見据えていた。もはやワグナス軍には勝ったも同然であり、帝位も手元まで来ていた。レオンナルドにはさらにその先を考える余裕があった。


 「まさに天佑です。敵陣は壊滅し、わが陣は無事。これを天佑と言わずして何と申しましょう」


 レオンナルドと馬を並べているネブラは至って冷静であった。奇跡的な事態に全軍が高揚している最中、冷静なのはレオンナルドとネブラだけであった。まるでネブラはすべてのからくりを知っているかのようであった。


 『いや、こいつは常にそうだ』


 レオンナルドは首を振った。あの天使との邂逅をネブラが知ろうはずもない。彼が冷静なのも単に性格ゆえであろう。


 「天帝が我を祝福したということだ」


 「ほう。王にしては信心深いことですな」


 「たまには信じてやらんとな」


 レオンナルドは日没まで徹底的に敵を追撃させた。それによりワグナス軍は完全に地上から消滅した。


 「ワグナスの捜索は後でいい。それよりも帝都へ急ぐぞ」


 もはやレオンナルドの眼中にワグナスのことはなかった。

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