外伝Ⅱ 妖花~その45~
帝暦七二一年雪花の月二十八日、皇帝が決まらぬまま、北方で異変が発生した。レオンナルドが再度蜂起したのである。その大義名分にワグナスは戦慄した。
『宰相ワグナス・ザーレンツがロートン二世陛下を殺害し、自ら皇帝を僭称した。我はこれを討伐する!』
レオンナルド自身は自ら『王』に地位に着き、各諸侯に檄文を飛ばした。レオンナルドが後世の人々から獅子"王"と呼ばれるのはこれに由来する。
それは兎も角、ワグナスからすれば、どうして皇帝殺害の秘事がレオンナルドの知るところになったのか。それこそ問題であった。
実はこの時点では、まだ皇帝の死を公表していなかった。後継皇帝が決まらぬ以上、これはやむを得ない事態であったが、ワグナスにしては明らかに後手に回っていた。
ワグナスはすぐに家宰レソーンを問い詰めた。ワグナスが皇帝を刺したのは、ワグナスとレソーンしか知らない。秘事が漏れたとなれば、レソーンからしか考えられなかった。
しかし、レソーンはワグナスの追求にも冷静に首を横に振った。
「宰相閣下、それは誤解です。私に下心があり、閣下を貶めるのであれば、陛下がお亡くなりになられた時点で行っております。陛下の死が外部に漏れたのは間違いありませんが、閣下が殺害したというのは当て推量でありましょう」
確かにそうかも知れぬと思ったワグナスは矛先を収めた。よくよく考えれば、皇帝殺害の秘事をワグナスとレソーンしか知らぬ以上、それを他者にばらしたとなればレソーンしかいない。そのようにすぐに分かることを謀略に長けたこの家宰がするはずなかった。
「誰がこの秘事を漏らしたか、その調査は私にお任せください。それよりも宰相閣下には、レオンナルドの討伐をお願いせねばなりません」
「それはそうだが、兵を動員しようにも勅命を発行することができない。なにしろ陛下がいらっしゃらないのだから……」
「公的には陛下は生きていることになられている。それに玉璽は我らの手に……」
「それでは偽勅になるではないか」
「陛下を亡きものにして、今更偽勅かどうかを気になさらなくても……」
「だからこそ気にするのだ!」
ワグナスはレソーンを睨んだ。レソーンはやや怯んだように身を引いたが、目はワグナスを見据えていた。
「せめてメルビン様から綸旨もいただきませんと……」
ワグナスもそれを考えないでもなかった。しかし、皇位に着くことを躊躇っている男の綸旨にどれほどの価値があるかと考えると、疑問が残った。
「いや、陛下の死を公表しないのであれば、メルビン様の綸旨がおかしい……。ここは陛下がご病床に着かれたということにして、宰相府通達として皇軍を動かす」
帝国の制度上、皇帝が何かしらの事情で勅命を出せない場合、国務卿の権限として皇帝軍を動員することができた。しかし、これで動かせるのは皇帝の直轄軍だけであり、各諸侯に動員をかけることはできなかった。当然、動員兵力は前回の討伐に比べ減ることになる。
『それでも十分に勝てる』
一度大勝した相手である。敵も前回ほど動員はできまい。ワグナスはそう算段したが、この油断こそワグナスにとっては命取りとなってしまった。
帝暦七二二年天臨の月二日、帝国史上初めて新年の行事が行われることなく、ワグナスは三千名の皇帝軍を率いて北上した。この道中、ワグナスはオルスラン・フランネルの領地に立ち寄り、協力を要請した。宰相府通達では強制的な徴兵はできないが、オルスランが自発的に兵を出す分には問題なかった。前回のレオンナルド討伐で誼ができたと感じたワグナスは、当然オルスランは応じてくれると思っていた。しかし、
「ご領主様は病につき参陣し兼ねます」
というつれない返事が家宰からもたらされただけであった。
『薄情な……』
オルスランは間違いなく仮病である。兵を損ねるのを恐れて協力を拒否したのだろう。帝国全土に飢饉の惨状が広がっている現在、オルスランの気分も分からぬでもなかった。やや恨みに思ったものの、固執せずにワグナスは軍を北に進めた。
ワグナス軍がレオンナルド軍と会敵したのは、イマン領の南方、第一皇帝直轄地のグリーセ平原であった。遮蔽物の少ない平原で、大軍同士がぶつかり合うには格好の場所であった。
対するレオンナルド軍は、斥候の報告から総合的に判断すると約二千名強。双方とも前回より兵力が落ちているが、戦力差で言えばワグナス軍がやはり有利であった。
「小細工などいらん。反乱軍を二度と立ち上がれんようにしてやれ!」
ワグナスは正面から軍をぶつけた。これに対してレオンナルドも真正面から攻撃を受けたが、これをよく凌いだ。一日で勝負がつくと考えていたワグナスは、やや意外に思えた。
『もう少しレオンナルドは猪突してくると思っていたが……』
レオンナルドは最初から守勢に立つことを想定し陣立てしていた。彼なりに前回の失敗を反省し活かしているのだろう。
それに味方にも問題があった。味方の攻撃はどうも精彩を欠いていた。彼らからすれば、レオンナルドが掲げる大義を信じているわけではなかったが、同時にロートン二世の勅命がでなかったことに疑いを持ち、多少ながらワグナスを疑っていた。その疑心暗鬼こそが兵士達の動きを鈍くさせていた。しかし、ワグナスはそのような兵の動揺を知らずにいた。
『しかし、もう一日押し込めば、相手は崩壊するだろう』
ワグナスは楽観していた。夕暮れが来ると、部隊を引き上げさせた。
「夜襲に備えつつ休養を取れ。明日朝一番に総攻撃をかける」
ワグナス自身、ゆっくりと休むことにした。
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