外伝Ⅱ 妖花~その40~

 帝暦七二一年玉繭の月三十一日、イマン領平原部で激突した。レオンナルド軍の兵力数はワグナスが事前に仕入れた情報よりも少なく二千五百名程度であった。これがほぼ全軍であった。


 討伐軍がどれほどの数でやって来るのか、レオンナルドも事前に情報を得ていたにもかかわらず、それでも篭城や奇襲を考えずに正面衝突を選んだのは、明らかにレオンナルドの過信であった。


 『俺の名を聞けば、帝都に奴等が震え上がり、近隣諸侯も俺に味方するだろう』


 瞬く間にイマン領などを手に入れてしまったレオンナルドは、討伐軍についても楽観していた。反乱軍の力を結集すれば、鎧袖一触で討伐軍を蹴散らすだろうと信じて疑っていなかった。


 これに対してネブラはレオンナルドを諌めた。


 『数的不利である以上、正面から当たるのは危険です。ここはイマン領領都の城塞に篭り、敵の疲弊を待つべきです。その間、私が各地の諸侯にお味方になるように説いてまいります』


 謀臣らしい戦略であった。事実として帝都への帰還をワグナスが焦っていたため、このネブラの策を用いられていたら、反乱軍が有利になっていた可能性も否定できなかった。だが、レオンナルドはこれを一笑して退けた。


 『俺はこれから天下に羽ばたくんだ。その緒戦で姑息な手を使うわけにはいかん』


 士気にもかかわるとしてレオンナルドはイマン領領都郊外に陣取り、帝国軍を待った。


 三十一日昼。両軍は戦闘を開始した。反乱軍はテインを戦闘に帝国軍に切り込んでいった。


 「相手は明らかに考えなしに猪突している。先陣を適度にあしらい、機を見て後退してください。敵の戦列を伸ばし、伸びきった段階で脇腹を突く」


 ワグナスは全軍に命令を下達した。テイン軍の猛攻に晒されたのは、オルスラン・フランネルであった。


 「慌てることはない。すでに宰相閣下が必勝の作戦を立てられている。我らはそれに従い粛々と後退すればいい」


 オルスランの戦闘指揮は沈着であった。テイン軍の我武者羅な突撃を適度にあしらい、じわりじわりと後退していった。これにテインは食いついてきた。


 「見たか!敵は弱いぞ!皇帝軍などと言いながらこの程度か!」


 テインは調子に乗ってさらに突撃を命じた。集団戦闘のやり方など知らないテインはまんまと敵の罠にはまり、気がつけば後続から遠く離されていた。


 「今だ!猪突した敵を三方向から攻めかかれ!」


 ワグナスは命令を下した。フランネル家の軍は敗走から反転し、他のニ家の軍は待ってましたとばかりにテイン軍の両脇から襲い掛かった。


 テインが驚いたのは無理もなかった。負けて逃走していたと思っていた敵が反撃に転じてきたばかりではなく、左右からも敵が襲ってきたのである。彼の配下の兵士達も、戦争というものを知らないだけに仰天し、恐慌状態に陥った。


 「に、逃げろ!」


 こうなると脆かった。後にレオンナルド軍の勇将として名を馳せるテインもこの時はほぼ初めての実戦であり、危機に陥っても対処の仕方が分からず逃げるしかなかった。


 テイン軍の敗走からレオンナルド軍の崩壊は始まった。テイン軍の突撃を頼もしげに見ていたレオンナルドは勝利を確信していたが、夕暮れ時に敗走してきたテイン軍を見た時には震えが止まらなかった。


 「レオ兄!やべえぞ!敵はそこまで来ている!逃げたほうがいい!」


 テインの報告からして軍隊として稚拙であった。それをレオンナルドが痛感するのは後のことであるが、この時ばかりは自らも逃げることしか頭にしかなかった。


 「逃げるぞ!」


 レオンナルドは言うや否や馬に飛び乗り、逃走を開始した。その時傍にいたテインを含めたわずかな供回りだけがレオンナルドに従うだけであった。ここにレオンナルド軍は完全に崩壊した。




 一日にしてレオンナルド軍を撃破したワグナスは、後事をオルスランに託して帝都に帰還した。政務が溜まっているからという理由であるが、本心はフィスのことが気がかりであるからであった。


 『レオンナルドを含む首謀者を捕らえてください。生死は問いません』


 ワグナスはそうオルスランに言い含めたが、オルスランの心境としては複雑であった。


 『レオンナルドは仮にも皇統の出自。それを捕らえるというのは……ましてや殺すなどとは……』


 表面上、他の軍隊にも自らの配下にもレオンナルドの探索を命じてはいたが、気は進まなかった。一日ばかり探索して引き上げようと適当に考えていた。


 自らも部隊を率いて探索していたオルスランは、山深くまで入り込んでいた。これから先は獣道になると聞かされたオルスランはそれを潮に引き上げようと決心した。


 踵を返したオルスランは、本日の日没をもって探索を終了するように各部隊に命令を下達することにした。その命令文書の文言を考えていると、目の端に光るものが入ってきた。それほど遠くない距離にある洞穴から松明の灯りらしきものが見えた。


 「何かおりますな」


 副官が囁いたのでオルスランは自らそちらに馬を向けた。近づくにつれ人がいるのが分かった。二人、三人はいた。そのうちの一人は見たこともない巨漢であり、敵意むき出しの表情で斧をオルスランに向けていた。しかし、こちらを襲ってくる様子はなかった。


 『誰かを守っている』


 そう直感したオルスランは巨漢の背後を気にした。やせ細った青年がじっとこちらを見ていた。


 「レオンナルド様でいらっしゃいますな」


 オルスランが呼びかけると、青年はびきっと肩を震わせた。


 「レオ兄に手を出すな!」


 巨漢が叫んだが、やはり襲ってくる様子はない。足元がふらついているところからすると、体力がないのだろう。


 『戦いに敗れ、闇雲に敗走したか……』


 もとよりレオンナルドを捕らえるつもりのなかったオルスランは洞穴に背を向けた。


 「レオンナルド様。私はロートン二世陛下に忠誠を誓っておりますし、ザーレンツ殿を宰相として尊敬しております。しかし、同時にあなたにも同情しております。現在の状況のことだけではなく、帝都を追い出されたことについても……」


 「情けをかけるのか……」


 青年が言った。思ったよりかんだがい声である。


 「情け……。どう考えられるかはご自由です。兎も角、大事な命です。生き延びられよ」


 行くぞ、とオルスランは部下にも立ち去るように促した。このことが後にフランネル家のさらなる繁栄を呼ぶことになろうとは、当のオルスランも思っていなかった。

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