外伝Ⅱ 妖花~その41~

 ワグナスは帝都への帰路、オルトスがいる第三皇帝直轄地に立ち寄った。帝都には急ぎたかったが、このような機会でもないと親友に会えないのであえて寄り道することにした。


 今をときめく宰相閣下が来る。第三皇帝直下地の行政官達は大騒ぎとなったが、彼らの長であるオルトスは部下達を落ち着かせた。


 『もてなしは過度にする必要はない。今はこういう時期であるし、なによりもワグナスはそのようなことは好まない。宰相閣下は私の邸宅に招き、私と妻だけでもてなす』


 として華燭な接待をすぬように指示した。


 夕刻、ワグナスがわずかな供回りを連れて邸宅にやってきた。その姿を見てオルトスは驚いた。とても凱旋する将とは思えぬほど顔面に生気がなく、以前見た時よりも明らかにやつれていた。久しぶりに見るファランなどは、別人かと思ったと後に感想も漏らしたほどであった。


 「それほどまで宰相の仕事は辛いのか?」


 酒が満たされた杯を手にしたワグナスは虚ろな目を向けた。


 「まぁ、そうだな。特に今はこういう時期だからな」


 「帝国全体が飢饉に苦しんでいる。それに加えて反乱や暴動も発生している。宰相のやることは多いだろう」


 「うん。第三直轄地はその点上手く治まっている。うらやましい限りだ」


 「直轄地と帝国全体では規模が違うだろう」


 そうだな、と言ってワグナスは力なく笑った。明らかにいつものワグナスと違っていた。


 「どうしたんだ?ワグナス。いつもの君らしくない」


 「らしくないか……」


 そうかもしれぬ、とワグナスは一気に酒をあおった。


 「俺は時々思うことがある。俺は何をしているのかと。帝国の宰相になり、天下万民のために政治を行なってきたが、こうもままにならんとはな……」


 「ワグナス……」


 「皇帝も皇族も貴族も帝国あっての存在。民衆がいてこその彼らではないのか?それなのに、彼らは民衆の苦しみをよそに勝手をしている。レオンナルドがよい例ではないか?彼は苦しむ民衆を扇動して己の野心を実現させようとしているだけだ」


 「ワグナス。酒が過ぎているぞ」


 ワグナスはオルトスの忠告を聞かず、さらに酒をあおった。


 「陛下もそうだ。口でこそ臣民のためと言いながら、生活を改めない。今頃は……」


 そこでワグナスは一度天を仰ぎ見た。うつろな瞳であった。


 「俺の方がよほど帝国、民衆のことを考えているぞ。閣僚も領主達も俺を慕っている。俺の方がよほど……」


 オルトスはその言葉の先を想像することができた。


 「ワグナス。そこまでのしておけ。酔っているとはいえ、言葉が過ぎるぞ」


 「酔っている……。確かに私は酔っているな」


 ワグナスは杯を置いた。うつろであった目にやや生気が戻ってきた。


 「忘れてくれ。私はあくまでも帝国宰相だ」


 「親友として言う。早まるなよ。帝国は厳しい状況であるが、お前なら立て直すことができる。変な気だけは起こしてくれるなよ」


 分かっているさ、とワグナスはすでに空となっている杯の淵をさすっていた。




 帝都に凱旋したワグナスを待っていたのは民衆達の歓呼の嵐であった。南門を潜ると大路には民衆が凱旋将軍を一目見んと詰め掛けていた。ワグナスが姿を見せると、歓声が上がった。


 『宰相閣下!万歳!』


 彼らは口々にワグナスを賞賛する言葉を叫んだ。帝都の民衆からすれば、飢饉の発生で苦しい生活をしている中、反乱討伐という明るい報せは気を紛らわすには最適であった。さらにいえば、ワグナス・ザーレンツという稀代の宰相を褒めそやすことで、この苦境から自分達を救ってくる英雄の誕生を期待しているかのようであった。


 しかし、ワグナスの心は熱狂する民衆にはなかった。ただフィスのことだけがワグナスの精神を支配していた。


 皇宮にてロートン二世に戦勝報告をしている時も、言葉こそしっかりしていたが、心は上の空であった。早く別邸に下がり、戦塵を流してフィスの弾力ある体を抱きすくめたかった。


 報告を早々に終えたワグナスは、皇宮内にある宰相府に出向いた。留守中の案件を処理するためであった。しかし、そこでワグナスは驚愕する報告を受けた。


 「新離宮の工事が止まっていないだと……」


 ワグナスの拳は怒りに震えていた。飢饉のために新離宮の建築は一時中止することはロートン二世の裁可を得ていたし、ワグナスもそのように命令を下していったはずである。


 「それが……。閣下が帝都を後にされてから、皇帝陛下からの勅命があり、工事は続行せよと……」


 下僚が困惑したように言った。下僚が困惑するのも無理なかった。彼らからすると、皇帝の勅命があればそれに従うより他ないからであった。


 「明日、陛下に申しあげる……」


 今のワグナスに言えることはそれだけであった。


 緊急を要する要件を片付け皇宮を後にしたワグナスは、別邸へと向かう前に正門の衛兵詰め所に立ち寄った。中には故意にしているマカレーン・ベリックハイムがいた。ワグナスはレオンナルド討伐の出陣する前、マカーレンに頼んでおいたことがあった。


 「ベリックハイム君。それで、どうだった?」


 ワグナスが尋ねると、マカーレンは戸惑った様子を見せながらも口を開いた。


 「閣下がいらっしゃらない間にほぼ毎日、陛下はフィス様をお召しになられています……」


 「そうか……ありがとう」


 半ば予期していたことといえ、実際に告げられると、胸を抉らせそうであった。ワグナスが帝都にいない間、ロートン二世は間違いなくフィスと時間を供にしていた。


 マカーレンに幾ばくかの金貨を与えたワグナスは、兎も角も別邸に戻ることにした。


 別邸に戻ったワグナスはフィスを呼んだ。フィスは間をおかずやってきた。はつらつとした笑顔のフィス……ではなく、彼女の顔は暗く沈んでいた。


 何事かあったのか、とワグナスが尋ねてみても、形ばかりの笑顔を作るだけで、明らかにいつものフィスと違っていた。


 「フィス、どうしたのだ?いつものお前を見せてくれ」


 ワグナスはフィスをかき寄せた。フィスの温かい体温を感じていると、微かに嗚咽が聞こえた。フィスが忍び泣いていた。


 「フィス……」


 「私はもうワグナス様に顔向けできません!」


 我慢しきれずフィスは大粒の涙を流し、ワグナスの胸に顔を埋めた。


 「フィス。陛下から召されていたのだな」


 「私のような身分では陛下のお召しをお断りすることはできません。私は身も心もワグナス様に捧げ申し上げておりますのに、陛下は……陛下は」


 私が汚されてしまいました、とフィスは涙ながらに叫んだ。


 「もうよい!それ以上言うな!」


 ワグナスはさらに何か言おうとするフィスの口を封じるように唇を吸った。乱暴にフィスの衣服を脱がし、激しくその全身を愛撫した。フィスは快感の声を漏らしながらも、流れる涙を止めることはなかった。

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