外伝Ⅱ 妖花~その39~
レオンナルド反乱の報告は、彼がイマン領を制圧した段階で帝都に届けられた。これほど帝国の首脳部、特に皇帝の身辺を悩ませたことはなかった。反乱の首謀者が皇族であり、しかも半ば幽閉されるようにして地方に放逐した相手なのである。最も危険な存在が牙をむいたわけである。
『レオンナルド王子はかつてエスマイヤ様が危険視して放逐されたお方だぞ。帝室にとってこれほど恐るべきことはない』
というのが皇帝周辺の一致した見解であった。特にロートン二世は激しく動揺した。エスマイヤに忠告されレオンナルドの幽閉させたのは他ならぬロートン二世なのである。しかもこの時、軍の大権を握る大将軍は南方の暴動を治めるために出征しており、北方で反乱を起こしたレオンナルドに対するだけの人物はなく、兵力も乏しかった。
「宰相に任せよ。こういう時にこそあの男の異才を発揮させるのだ」
ロートン二世は躊躇うことなく大命を下した。
大命を受けたワグナスはわずかに動揺した。ワグナスは官僚であり政治家であった。武人ではないため、軍を指揮するのは当然始めてであった。しかもワグナスが指揮するのは精強な皇帝直轄の軍ではなく、各領主から集めた軍勢である。反乱軍がいかなる陣容か未だ判明していないが、味方の内容を考えれば決して楽観はできなかった。
『辞退することもできまい』
基本的には受ける方針であり、自分以外にこの難事に対処できる者も帝都にはいないという自負もある。だが、ワグナスの心を煩わしているのは、帝都を離れるということ事態にあった。
『私が不在の間にもフィスは陛下に召されるだろう』
そのことだけが気がかりであった。だからといってロートン二世にフィスを召さないで欲しいとも言えなかった。ワグナスはただ黙って戦場へと赴くしかなかった。
出陣の前の晩、ワグナスは別邸でフィスと一夜を過ごした。フィスを侍らすのも実に久しぶりで、ワグナスとしては忙しさの中でのわずかばかりの慰めとなった。
フィスはワグナスの懊悩をよそにいつもどおりであった。男を蕩けさすような微笑を作り、ワグナスに寄り添って酌をしてくれた。
『私の杞憂であったか……』
フィスの態度には余所余所しさはない。ワグナスのことを愛している出会ったばかりの時のフィスがそこにはいた。
「フィス。しばらく帝都を離れることになる。体には気をつけて待っていて欲しい」
ワグナスがそう切り出すと、フィスは驚きの色を見せたかと思うと寂しげに目を伏せた。
「寂しいですわ。しばらくお会いできませんでしたのに、またなんて……」
フィスは体をさらに寄せてきた。薄い布地を通して彼女の柔らかい体の感触と体温が感じられた。
「許してくれ。今が正念場なんだ。ここを踏ん張らねば帝国がなくなってしまう」
冗談などではなかった。ワグナスは本当にそのつもりでいた。だからこそフィスへの愛情を置いてでも戦場へ行かねばならぬと思ったのである。
「でも、必ず戻ってきてくださいましね。私にはワグナス様しかおりませんから……」
「フィス……」
頬を伝わるフィスの涙を手で拭ったワグナスは、そのまま口づけをした。喉が渇いた時に水を求めるが如く、フィスはワグナスの唇と舌を吸った。
「ん……んん」
フィスの愛を全身に感じながら、ワグナスは彼女の体を押し倒し、一晩中愛し続けた。
帝暦七二一年玉繭の月二十五日。ワグナスは五千名の手勢を率いてレオンナルド討伐に向かった。これに参加するのは皇帝直轄軍千名と、帝都近隣のフランネル家、アビノス家、イルベガノス家の兵力合計四千名。いずれも皇統に近い家柄であり、それだけに帝室への忠誠心も強かった。またワグナスの政策によって経済的な危機を救われた経験も持っているのでワグナスに好意的であった。味方の陣容については文句はなかった。
『問題は私に戦争の才能があるかどうかだな』
報告によると敵の兵力は三千名程度。しかも民兵を中心とした寄せ集めだと言う。正面からぶつかっても勝てるのは間違いなかった。
『しかし、敵は自分達の不利を知っているだろう。そうなればいろいろと手を打ってくるだろう』
平野での正面衝突はないだろう。篭城しての持久戦か、あるいは地形を利用しての奇襲か。いずれかであろうと予測していたのだが、イマン領に近づくにつれ敵の詳細な情報が次々と飛び込んできた。それによると、敵は平野に陣を張ってこちらを待ち構えているのだという。
「これは敵が馬鹿なのか、それとも我らが侮られているかどちらかですな」
と息巻いたのはフランネルケ家のオルスランである。老齢であるが、若い頃から猛将として名を馳せ、その精神は今も衰えていなかった。
「敵が罠を仕掛けているということはありませんかな」
イルベガノス家から来ているサイノスという将が疑問を呈した。
「その疑問は尤もでありましょうが、私はフランネル公の仰るとおりだと思います。ここは一気に敵にあたり、覆滅いたしましょう」
ワグナスは言った。ワグナスを全面的に信用している諸将に異存はなかった。
『素早く決着をつける』
そうなれば早々に帝都に帰れる。口が裂けても言えぬが、フィスのことが気がかりになっているワグナスの本心であった。
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