外伝Ⅱ 妖花~その36~
歴史が動こうとしている。
帝国全土を襲った大飢饉はその後の歴史書において大々的に語られることはなかったが、帝国の歴史上、最大の英雄を誕生させた。獅子王といわれ、帝国中興の祖とされたレオンナルドである。
レオンナルドは相変わらず帝国の片田舎で自堕落な生活に身を沈めていた。だがその一方で帝都にいる妹カザリーンや、ネブラが放っている密偵のおかげで帝都の情報は詳細かつ大量に入ってきていた。帝都での食料価格の上昇はレオンナルドも知るところとなっていた。
『こいつはえらいことなるぞ……』
オルトスほど来るべき恐慌を明確にかつ詳細に予感していたわけではない。ただ漠然と恐るべき時代が来るという感覚しかなかった。レオンナルドの天性の勘というべきであり、この勘の良さこそ彼が覇者となった資質のひとつであった。
もうひとつ、レオンナルドの覇者として得がたい資質があった。それは民衆への激しいまでの愛情であった。父であるエスマイヤはレオンナルドのことを情のない人間だと評していたが、一般的な民衆に対しては無尽蔵と言って良いほどに慈悲深かった。
近くの村々で食料が尽き始め、人々が空腹に苦しんでいると知ると、大粒の涙を流し叫んだ。
「帝都の馬鹿ども何をしている!多くの人が飢えに苦しんでいるというのに!」
後世の歴史家の中でレオンナルドに否定的な者は、彼のこのような態度を偽善的な芝居であると断定しているが、このレオンナルドの慈悲深さは真実であった。彼が皇帝に即位した後、貴族皇族、官吏の大粛清を行い、その手段と結果は苛烈を極めた。しかし、民衆に対しては生涯一度も高圧的であったことはなく、寧ろ寛容過ぎるほどであった。
やがて食糧不足が深刻化し、飢えた民衆達が代官屋敷へと殺到していると聞くや否や、納屋から斧を持ち出し、民衆の輪に加わろうとした。ちなみにレオンナルドが下賜され、事実上の軟禁生活を送っているの土地は第一皇帝直轄地にあり、そこの代官がレオンナルドを形式的ではあるが監視していた。
この時、テイン・アクラマスは自宅の庭先で薪割りをしていた。レオンナルドが斧をもって走り様を見て、自らも鉈を持ったまま駆け出していた。どうしてレオンナルドが走っているのか、問うこともなかった。ただ、兄と慕うレオンナルドが血相を変えて走っているから自らも走り出しただけであり、テインがレオンナルドの忠臣となった瞬間であった。
レオンナルドが代官の屋敷前に到達した時には一触即発の状態であった。飢えた民衆達はレオンナルドと同じように斧、鉈、鶴嘴などを手にして代官屋敷を取り囲んでいた。一方の代官側は武装した騎士達が民衆に相対している。数としては民衆の方が圧倒的に多い。多数に包囲されて騎士達がいつ恐慌状態になってもおかしくはなかった。
「レオ兄!どうしたんだ?」
「どうもこうもあるか!みんな飢えて食い物を求めてここにいるんだ」
「へぇ……」
「テイン。お前、ここ数日何を食っている?」
「昨日は黒パンを母と分けただけだ」
「俺ですら一日一食でパンと干し肉一切れだぜ。彼らがどんな食生活をしているかと思うと、俺は……」
レオンナルドは大粒の涙を流した。皇族の一人ながらまるで恵まれない環境と、人民の飢えと苦悩。その二つがレオンナルドに涙を流させていた。
「諸君!ここで睨みあっていても始まらんぞ!飢えを満たしたければ、我らの力で獲得するんだ!」
我に続け、とレオンナルドは叫ぶと、そのまま斧を振り上げて猛然と代官屋敷に向かって駆け出した。
「レオ兄!俺も行くぜ!」
テインが続くと、雪崩のように群衆も動き出した。
「やめっ!やめんか!」
代官屋敷を守る騎士が剣を抜いた。その表情には怯えの色が見えた。本能的に殺気に満ちた群衆ほど恐ろしいものはなかった。その騎士は抜いた剣を振るうことなく民衆に押し倒され踏み潰された。
こうなっては暴動を止める術はなかった。レオンナルドに扇動された民衆は扉を蹴破り、窓を叩き割り、代官屋敷に殺到した。
「テイン。食料庫へと行くぞ。ここに民衆が殺到すると収拾つかなくなる。民衆同士が食料を奪い合う目も当てられん状況になる」
レオンナルドは冷静であった。彼は衝動と冷静さを兼ね備え、それを瞬時に切り替えていた。
「承知!」
テインは一歩先に出た。
食料庫前では民衆と代官側の騎士達が争っていた。民衆と騎士達の数はほぼ同じ。そうなるとやはり民衆側が不利であった。
「どけどけ!」
そこへテインが割って入った。民衆を掻き分けると、先頭にいた騎士の首目掛けて鉈を振るった。その一撃で騎士の頭部は胴を離れ、宙に舞って落下した。騎士達が呆気に取られている隙にテインは次々と騎士達を襲い、完全に制圧した。
「者共!食料庫は制圧した。ここのいる全員に均等に分け与えるから、落ち着いて行動せよ」
こういう時、レオンナルドには衆人を制御する天性の才能があった。詰め掛けた民衆は、誰一人として意見を言わず、粛々とレオンナルドの言に従った。それら民衆の中にはレオンナルドが皇子であることをを知っている者もおり、レオンナルドの存在は瞬く間に広がっていった。
事実上、レオンナルドは第一皇帝直轄地を支配し、一個の独立勢力ごとき存在となった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます