外伝Ⅱ 妖花~その31~
マハガット・ビルバネス主催の宴席が終わり、さてどうしたものかと思っていると、見知らぬ男に声をかけられた。
「宰相閣下が別邸でお待ちくださいとのことです」
どうやらワグナスの使いであるらしい。別邸を持っているとは流石は今をときめく宰相閣下だと思い、素直に従うことにした。
別邸はビルバネス邸から少しばかり歩いたところにあった。別邸とはいえ立派な造りをした家屋であり、オルトスはわずかにうろたえた。
しかし、別邸の中は至って質素であった。調度品などわずかに飾る程度にしかなく、オルトスが通された部屋もソファーと机、そして精巧な裸婦画が一枚飾られているだけであった。オルトスが首を捻りながらその裸婦画を眺めていると、ワグナスが入ってきた。
「違和感溢れる裸婦画だろ?趣味ではないのだが、陛下からの賜り物だからな。こうして飾っている」
「陛下が……」
上手いものだと感心しつつも、確かに質素な雰囲気には合わないなと思った。
「義父などは本宅に飾れと言うが、妻がいるのに裸婦画など飾るわけにはいかないだろう」
ワグナスの本宅はビルバネス邸の敷地内にある。マハガットにしてみれば、陛下の下賜品を近くに置いておきたいのだろう。
「しかし、別邸とは畏れ入ったな。宰相閣下となれば当然かな?」
「茶化さないでくれ。義父の家が近いとなると何かと気詰まりでな。別宅といいながらほとんど書斎だ。この部屋以外は書物と資料ばかりだ。普段も仕事ばかりしている」
「忙しいのか?」
「忙しいな。まだまだやることばかりで道半ばだからな。まぁ、酒でも飲みながらゆっくり話そう」
ワグナスが手を二回叩くと扉が開いた。グラスと蒸留酒の入った瓶を載せた盆を手にして入ってきたのは、先ほどの宴席で見た美貌の踊り子であった。驚きのあまり絶句したオルトスに彼女はにこりと微笑みかけた。
「驚いたか?」
「あ、ああ……」
「今、実はオクニス一座に出資しているんだ。芸術を支援するのも私の仕事だと思ってな。こちらは私の親友のオルトス・アーゲイトだ。挨拶なさい」
「はい。フィスと申します。お見知りおきください」
盆を机に置いたフィスが丁寧に頭を下げた。近くで見れば見るほど男を虜にする美貌と肉体をもっていた。ワグナスは芸術を支援していると言っているが、それだけの理由で私的な場に姿を見せることはないだろう。彼女は間違いなくワグナスの妾であった。
「はぁ、どうも……」
オルトスも一介の男児である以上、フィスの容姿と肉体に見蕩れてしまった。しかし、それは男児としての一般的な好奇心の範囲であり、性的に欲情することはなかった。
「彼はオルトス・アーゲイトだ。私の無二の親友で、今は皇帝直轄地の代官をやっている。いずれ私の片腕になってもらわねばならん男だ」
「まぁそれは!素敵ですわね」
フィスは心底関しているように声を上げた。そして蒸留酒をグラスに注ぎ、オルトスに体を密着させるような媚態を見せた。
『これは……』
オルトスは多少の嫌悪を感じた。このフィスという女性から妖しさが匂い立っていた。
オルトスもファランと結婚するまでは多少の女性経験があった。特にカールネーブル領にいた頃は、女性からの人気があり、それなりの浮名を流したものである。その経験からしてフィスという女性には男児の人生を狂わせる何かがあると直感的に思ったのである。
しかし、ワグナスはそのようなことを感じていない様子であった。楽しげにフィスからの酌を受けていた。
『まぁ、私の杞憂であろうが……』
ワグナスに妾がいると知った瞬間、オルトスはわずかながら安堵していた。仕事一辺倒で、結婚すらも自らの野心のための手段としてしまったワグナスに、一縷の人間味を見出したからであった。だからフィスの存在は喜ぶべきことなのであった。
『ワグナスが女で身を崩すことはあるまい』
オルトスは自分に言い聞かせた。楽しげなワグナスとフィスを見ていると、自分がいかに野暮なことを考えているかと呆れるほどであった。
「いい女だろう。君も妾のひとりでも持ったらどうだ?」
帰り際、ワグナスがそう囁いた。ワグナスがそんなことを言うのかと意外に思ったが、冗談らしく顔が半分笑っていた。
「私にはファランひとりで十分だよ。それに田舎にはそうそういい女はいない」
「そうだな。ファランを泣かすようなことがあっては、親父さんに申し訳が立たんな」
ワグナスは笑った。オルトスもつられて笑ったが、心情は複雑であった。
「ワグナス。妖しい花には気をつけろよ」
「フィスのことを言っているのか?勿論だよ。私には成すことがある。フィスとのことは余興だ」
それならいい、とオルトスは言い残してワグナスの別邸を辞去した。
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