外伝Ⅱ 妖花~その32~

 妖しい花。オルトスはフィスのことをそう評した。なるほど言い得て妙だ、とワグナスは感心した。


 確かにフィスは妖しげな魅力を放つ花であった。男達はその妖しさに引き寄せられていく。


 『まるで虫だな』


 ワグナスは自嘲気味に思ったが、決して悪い気分ではなかった。


 ワグナスがフィスと出会ったのは半年ほど前であった。宰相として多忙な日々を送っていたワグナスは、たまたま半日の余暇があり、帝都の繁華街に出ていた。何か目的があったわけではない。ここ数ヶ月、皇宮に籠もりきりであったので、たまには市井の空気でも吸ってみたいと思い、外出したのであった。


 帝都の目抜き通りである南大路では各所で市が立ち、商店の軒先には商品と人とが溢れていた。


 『帝都は好景気に沸いている……』


 宰相に就任してから、この好景気を地方にも波及させようと努力してきたが、どれほど効果が出ているのだろうか。まだ明確な結果は出ていなかった。ワグナスとしては帝都の景気が停滞しない間に目的を達成させたかった。


 『我ながら休むことを知らぬことだ』


 余暇のはずなのに、相変わらず政治と経済のことを考えている自分に苦笑せざるを得なかった。今の時間ばかりは仕事を忘れようと思い往来に目を転じると、大路の辻に人だかりができていた。興味が湧いたので人だかりに交じってみると、美麗な踊り子が音楽に合わせて舞っていたのである。それがフィスであった。


 薄紫色の透けた衣装を身にまとったフィスは男を惑わせる豊満な肉体は躍動させていた。彼女を囲む男達は口笛を鳴らし、時には卑猥な言葉を投げかけていた。当のフィスはそのようなことを嫌がる様子もなく、一心不乱に踊っていた。ワグナスの目からは女神の乱舞のように見えて心を奪われた。


 『世にはこれほど魅力的な女性がいたのか……』


 美貌ということだけであれば、妻であるアフィリアも負けてはいない。しかし、アフィリアの美しさが陶器人形のような無機質な美貌であるとするなら、フィスのそれは躍動感の溢れるものであった。皇宮の中や社交界では見ることのできない、生々しいまでの人間味溢れる美を体現していた。


 皇宮にある宰相府に急いで戻ったワグナスは、踊り子の一座のことを調べさせた。南方出身の旅一座で、歌舞音曲だけではなく、曲芸、寸劇など演目の幅広いという。なかなかの人気で、南方の領主の中には宴席に呼ぶこともあるらしい。また犯罪を犯している様子も、賊徒などと付き合っている様子もなかった。


 「あれだけ人気の一座だ。往来で公演されては迷惑になる。帝都のしかるべき土地を貸し与える故、劇場を構えることを許す。一座にそう申し渡せ」


 表向き大衆娯楽に理解を示す為政者を演じて見せたが、その実はフィスを我が身辺に置くためであった。数日後、謝意を述べに来た一座の座長に言い含めて、その夜のうちにフィスを閨に召したのであった。


 夜に別邸に呼ばれたフィスは、これから何が起こるか察しているようであった。旅一座として堅気で世界を生きてきたフィスにしてみれば、こういう形で権力者に取り入るのは自然のことであったかもしれなかった。フィスは嫌がる素振りを見せず体を開いた。


 フィスは生娘ではなかった。寧ろ肉体で男を喜ばす術を心得ていた。その豊満な肉体は男を奮い立たすのに十分すぎるほどであり、激しい嬌声は本気でワグナスの男の精を求めていた。その一夜の経験は、ワグナスのこれまでの女性経験が霞んでしまうほど官能的であった。


 ワグナスはフィスを妾とすることに決めた。座長は躊躇うことなく承知し、昼は一座で踊り、夜はオルトスの別邸で一夜を過ごすこととなった。


 このことをワグナスは妻であるアフィリアにも義父であるマハガットにも言ってはいない。言う必要のないことであった。アフィリアはすぐに感づいたようであるが、特に何も言うことはなかった。彼女が正妻であることには変わりなく、今のワグナスがあるのもビルバネス家の力があるためだという自負がアフィリアにはあるからであった。


 ワグナスも当然そのことを心得ていた。正妻はあくまでもアフィリアであり、ビルバネス家の力はまだまだ必要であった。フィスを妾としながらも、アフィリアを愛することも忘れなかった。


 帝国宰相として公私共に順風満帆。ワグナスはまさに我が世の春を謳歌していた。

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