外伝Ⅱ 妖花~その29~

 宰相、即ち国務卿になったワグナスは、ロートン二世から受任の勅命を受け終わると、すぐに閣僚、高級官僚達を招集した。この時点の閣僚も高級官僚達もまだマベラ時代の者達ばかりである。彼らの多くは罷免を言い渡されると思っていたのだが、ワグナスの対応は彼らの想像とは違っていた。


 「私はここにいる閣僚と官僚達をすべて留任するつもりである。帝室と帝国のために粉骨砕身したい者は残ってほしい。特に私は若輩者だ。ぜひともに助けて欲しい」


 彼らに安堵の表情が広がった。ある者はワグナスをやはり見所のある若者だと感心し、ある者は所詮何もできぬ若造だと嘲笑した。


 だが、ワグナス自身はそのような者達の思惑など意に介していなかった。自分の改革を信じて推し進めるだけだという強い気持ちしかワグナスにはなかった。


 宰相となる前のワグナスには多少の焦りがあった。それは親友であるオルトスの存在であった。地位的なことでいえばワグナスの方が圧倒的に上位であったが、オルトスは皇帝直轄地の代官として成果を残しており、皇宮ではそのことを賞賛する者も少なくなかった。ワグナスとしては親友がそのように評価されるのは嬉しかったが、一方で小さな直轄地とはいえ自分の思うように政治手腕を振るっているオルトスのことが羨ましくもあった。財務局にいた時点ではまだオルトスのような振る舞いをすることができずにいて、宰相となった今、そういう意味ではようやくオルトスに追いついたのである。


 『私は帝国規模で政治をやる。見ていろよ、オルトス』


 ワグナスは意欲に燃えていた。まずワグナスが着手したのは財政問題であった。帝国はここ数年、大規模な内乱などなく、飢饉や自然災害もなかった。このため帝国の政治は表向き安定した。


 経済的にも安定していた。しかし、それは表層的なものでしかないと財務局にいたワグナスは考えていた。


 『物価が上昇しすぎている……』


 財務局時代に調べた資料によると、帝国の物価はここ十年で二倍以上に上昇している。これは過去の例にない上昇率である。これは帝国のおける浪費経済の賜物であった。


 帝国、というよりも帝都において大消費経済が展開されていた。皇帝を筆頭とする皇族、貴族達が様々な形で浪費することで経済が回っている状況であった。最初は皇族貴族達に限定されていたが、この時代には一介の庶民にまで浪費経済が波及し、その結果として物価が上昇していってのだった。


 このことについて財務局でも危機感を持っている官吏はワグナス一人ぐらいなものであった。


 『帝都はまだいい。その消費を支える地方は逆に疲弊する』


 帝都が消費経済の化け物となったため、金や物品が怒涛のように帝都に流れてしまい、地方都市には生活必需品が回ってこない事態も一部散見するようになり、そのための物価上昇も始まりつつあった。決して健全な経済の姿ではなかった。


 物価の上昇を抑えるべき。そのためには帝都における経済活動を一時的に規制する必要が出てくる。だがそれは諸刃の剣であり、皇族貴族達からの反発も出てくるであろう。そのためワグナスは地方の経済促進に力をおくことにした。


 『領主からの租税率を定率制から歩合制する。歩合に上限を設け、それを越した分については領主の取り分とする。但し領主の取り分となった額の一割は内部留保して領内の政策に活かすこと』


 ワグナスはそのような布告を出した。


 領主からの租税徴収には定率制と歩合制の二種類がある。定率制は文字通り定額徴収すること。歩合制はその領の耕作面積から産出された生産高に応じて比率を設けて徴収するというものである。この二つの制度は時々の政治、経済状況によって使い分けられていて、現在では定率制で行われていた。それを歩合制に変えるというのだ。但し、これまでと異なるのは上限を設けるというものであった。


 『定率制では生産高が落ちた場合、領主側の負担になる。しかし、歩合制なら生産高に応じての徴収となるので領主の負担は軽減される。ここに徴収額の上限を設ければ、余剰分はすべて領主の収入となる。そうなれば領主は領地経営に精を出すだろうし、余剰分の一割を領地経営に使わすように義務付ければさらにますます領の生産高は増える』


 ワグナスはそう説明をした。これによって帝都と地方の経済的近郊を図ることにしたのである。


 『それでは国庫の収入が減るのではないかね?』


 という当然の疑問が浮かび上がってきた。


 『なればこそ、皇帝直轄地の経営が大切なのです。第三帝国直轄地の代官であるオルトス・アーゲイトは目覚しい成果をあげています。直轄地管理局もいっそうの奮励努力を期待するものである』


 その他にも様々な経済政策を打ち出していった。この政策が順当に進み実現していけば、帝国はかつてない繁栄の時代を向かえ、ワグナスは歴史上類を見ない名宰相として評価されていたかもしれない。だが、歴史というのはあまりにも残酷であった。

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