外伝Ⅱ 妖花~その16~
ワグナスとアフィリア・ビルバネスの婚約は、各所に波紋を呼んだ。帝国官吏の俊英と美貌の令嬢の婚姻であるからほとんどの者達は好意的に捉えられたが、中には面白からず思っている者もいた。その筆頭が宰相であるマベラ・ベイマンの一派であった。
「父上、これは由々しき事態ですよ」
実際にワグナスとアフィリアの婚姻に危機感を持っているのはマベラの息子であるジネアであった。彼はワグナスと比較的近い地位にいる分、危機感を肌身で覚えるのであった。
「気に入らぬな」
マベラはぽつりと言った。
「まさにそうです。あの小僧、ビルバネス家と結びついて我らと張り合おうとするのは明白」
「そうではない。お前の態度が気に入らんのだ。たかが若造が斜陽の公爵家の令嬢と結婚するだけではないか。何を動揺する」
「しかし、父上……」
「うろたえるなと言っているだけだ。座視しろとは言わん」
と言いながらも、マベラはワグナスのことを、若造に何ができると侮っていた。この侮りこそ、近い将来になってマベラの、ベイマン家の命脈を絶つことになるのだが、当然ながらそのような運命を知る由もなかった。
「ジネアよ。そこまでお前がザーレンツのことを気にかけるのなら、自らの手でどうにかしてみせよ。いずれはベイマン家の当主として宰相を目指さねばならん身だ。政敵を片付けるよき勉強になるだろうよ」
「父上のお許しをいただけるのなら」
ジネアは尾行を膨らました。
「但し、直接手を下してはならん。徐々に時間をかけて力をそぎ落としていくのだ。あの男は陛下のお気に入りでもある。下手に我らの影があることを悟られるのはよくない。分かるな?」
お任せください、と自信に満ち溢れた表情で言うジネア。マベラは一抹の不安を感じてはいたが、我が子を修練させるためにも黙っておくことにした。
それからしばらくして、オルトスに人事異動の命令が伝えられた。帝国北部にある直轄地の代官に命じられたのだった。
『代官か……』
帝都を離れ地方に行くことになるのだが、これは大出世である。皇帝直轄地の代官がいかなるものかは先述した。帝国の中枢政治から離れることになるが、何かと役得がある役職である。帝国官吏にはこれにならんと自ら欲する者も少なくないが、通常は十年以上は官吏を勤め上げないとなれない慣例である。それをオルトスは四年余りで就任することになったのである。
オルトスの同僚達は、大出世ではないかと驚き、ある者は祝福し、ある者は羨望し妬んだ。しかし、当のオルトスは素直に喜べなかった。
『何故この時期に……』
不思議に思わずにはいられなかった。普通、官吏の人事異動は春に行われる。だが今は夏である。夏の人事異動は異例中の異例である。それに官吏になってわずか四年の代官就任というのも引っかかる点であった。
「おめでとうございます、先輩!」
思案しながら歩いていると、背後から声をかけられた。今年官吏になったばかりのバナジール・ウミナスであった。オルトスの部下であり、何かと慕ってくれており、オルトスも目をかけていた。
「めでたい……のだろうな」
「あまり嬉しくないようですね、先輩」
「いや、嬉しいさ」
オルトスは心にもないことを言った。
「しかし、先輩が地方に赴任するとなると、私は誰に師事をすればいいのでしょうか?」
バナジールにとってオルトスは単なる先輩上司ではなく、師匠でもあった。バナジールのその姿勢に困惑を覚えたものの、今ではすっかりと慣れてしまい、寧ろ師匠として面倒を見切れないことを気にしていた。
「そのことだがな……」
と言いかけた瞬間、目の前の角からワグナスが現れた。
「オルトス、探したぞ」
「奇遇だな、私もだ」
「ふむ。そちらから聞こう」
「知ってのとおり、私は皇帝直轄地の代官として地方に赴任することになった。ここにいるバナジールは私の後輩なのだが、私のいない間、何かと面倒を見て欲しい」
隣にいるバナジールの顔が紅潮した。彼はオルトスを慕う一方で、ワグナスのことを信奉していた。
「そんなことか。容易いことだ。困ったことがあったら何でも相談してくれ」
ワグナスがバナジールに手を差し出した。一瞬ためらいを見せたバナジールであったが、満面の笑みでワグナスの手を握り返した。
「オルトス。ちょっと話せるか?」
「ああ。バナジール、先に戻っていてくれ」
「分かりました」
興奮状態のバナジールが去るのを確認すると、ワグナスはオルトスを通路の奥へと誘った。
「ひとまずおめでとうと言うべきかな。しかし、来るべき時が来たという感じだな」
ワグナスの言葉はあまりにも唐突で、オルトスはすぐに理解することができなかった。
「何を言っている?」
「分からんか?君の代官就任はベイマン家の差し金だ。私から君を引き離すための策略だ」
馬鹿な、と思ったが、確かにそれならばこの唐突な人事異動は納得できる。
「引き離すって……あのベイマン家がそんなことをする必要あるのか?」
「君はまだ自分の価値というものに気がついていないな。まぁいい。しかし、これは好都合でもある」
「好都合?」
「外にいる方が何かと帝都のことが分かるというものだ。それに変事があった時に連携が取れる」
「変事って……」
「ベイマン家が私達に牙を向けてきたということだ。私もそれについて手を拱いているわけにはいかない」
「ワグナス。ひとつ言っておくが、私は君の友人だ。これからもそうだ。しかし、私の職責として第一に考えるべきは陛下の臣民だ。そのことは忘れないでくれ」
分かっているよ、と言うワグナスであったが、目は怪しげに光っていた。
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