外伝Ⅱ 妖花~その5~
オルトスの人生が一変した。官吏登用試験に合格したことで、住む場所はカールネーブル領の田舎から帝都へと移っただけではなく、社会的地位も激変した。皇族、貴族、諸侯を除けば人が就くことができる職業の最高位であり、上手くすればいずれ諸侯にも貴族にも列することができた。オルトスはその第一歩を踏み出した。
帝都にのぼり、所定の手続きを終えたオルトスが皇宮に踏み入れた瞬間、自分の世界が変わったことを実感した。そこにいる人々は、いずれも帝国官吏か皇族、貴族達であり、オルトスが見たこともない衣服、装飾品を身につけていた。オルトスは、それらの人達とすれ違う度に深く頭を下げねばならなかった。そのオルトスの動作に、案内役の先輩官吏は苦笑した。
「礼儀の正しいことだが、そう卑下したものではない。貴様ももう官吏の一人なのだから、そこは堂々とすべきだ」
「そう仰られても、私はまだ新人でありますし……」
「年次の序列は大切だが、この世界はそれだけやっていけないぞ。若くとも才能のある者は年長者を追い越して出世する。実力の世界だ」
実力。その言葉を聞いた時、やはりワグナスのことが脳裏を過ぎった。きっとワグナスは実力をもって試験に合格し、一足先に官吏となっていることだろう。ひょっとすればすでに出世をしているかもしれない。そう考えると急に恥ずかしくなり、引き返したくなってきた。
しかし、オルトスの感情など無視するかのように謁見の間への扉が開かれた。これより皇帝より謁見を賜るのであった。
魂が抜けるような広間であった。すべてがオルトスの人生経験から外れた大きさで、奥行きも天井の高さも、カールネーブル領の領主の館の数倍、いや十数倍はあるだろう。そこにオルトスの先輩となる百官が居並び、その最も奥に皇帝の玉座があった。
『ワグナスはいるだろうか……』
百官に見守られながら歩みを進めるオルトスは、その中にワグナスの姿を捜した。オルトスの興味は、皇帝の竜顔よりもワグナスがいるかいないかであった。
だが、見つけることはできなかった。これだけの数の中から瞬時に特定の一人を捜すのは流石に無理だろう。オルトスはいつしか皇帝の前に辿り着いていた。先導する官吏に倣って皇帝に向かって膝を突いて叩頭した。
「登用試験に合格し、この度帝国官吏となった者です」
先導した官吏が告げた。
「今年は一人か……。水準が低かったのか?」
それが誰の声が分からなかった。頭を下げているので誰が声を出しているか判然としなかったが、そのぞんざいな言い方から皇帝ではなかろうか。
「陛下、お言葉は後ほど……」
別な声がして、やはりそうであったかと思った。
「カールネーブル領出身、オルトス・アーゲイト。今日より、国務卿マベラ・ベイマンの名をもって帝国官吏となることを認める。以後、皇帝陛下と帝国のために忠誠を尽くせ」
皇帝を諌める声と同じものであった。これが国務卿。ワグナスをして私服を肥やす佞臣である。
「顔を上げよ、アーゲイト」
再び皇帝の声がした。オルトスは一度辞するように頭をさらに深く下げた。
「アーゲイト。陛下のお望みだ、顔をお見せしろ」
とマベラが言う。ここまでが礼法である。オルトスはゆっくりと顔を上げた。数段高い台座の据えられている玉座に座っているのが皇帝であった。
『これが皇帝……』
オルトスは不思議な気持ちになった。この地上で最も尊い存在である。しかし、見た感じはオルトスが生まれた村にいた農夫とあまり変わらない気がした。おそらくはそこらに歩いている一般人を捕まえて同じ衣装を着せてもあまり差がないように思われた。
「オルトス・アーゲイトと言ったか、励めよ」
皇帝ロートン二世は単にそう言っただけで腰を上げた。思いのほか背が高く、痩せていた。傍に控えていた国務卿マベラが肥満体系なので、その対比が何気に滑稽であった。
オルトスは再び叩頭し、皇帝の退出を待った。これで謁見は終わりであった。
「夜は国務卿主催の晩餐会がある。そっちは気軽なもんだ」
先導をしてくれた官吏がそう教えてくれた。そちらならばワグナスを捜すことも容易であろう。オルトスはそのようなことを考えていた。
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