外伝Ⅱ 妖花~その4~

 帝都での二週間は、オルトスにとってこれまでの人生の中で最も充実した時間であった。それは勿論、ワグナスとの交流によるものであり、登用試験が始まってからもオルトスは予習をそっちのけでワグナスとの対話を楽しんだ。


 それでいて試験に手ごたえを感じられたのは、ワグナスとの対話の中で相当の知識を得られたからであった。すべての試験が終わった後、そのことをワグナスに言うと、彼は快活に笑った。


 「はははは。それだよ、オルトス。書物から得られる知識なんて知れているんだよ。人としての才覚の源泉は人から学ぶことにあるんだよ」


 「では、私の師はワグナスということになるんだな」


 「そうだ。私は君の師だ。同時に私の師は君でもあるんだ」


 この頃になると、互いに名前で呼ぶようになっていた。わずか二週間ほどの付き合いであったが、長年の竹馬の友のような関係を構築していた。


 「私がワグナスの師だって?私は何も教えていないぞ」


 「いや、そうじゃない。君は充分に興味深かったし、官吏としての知識も才覚もあると思うよ。来春、君と皇宮で出会うのが楽しみだ」


 とても嬉しい一言であった。オルトスはもはや自分が官吏に登用され、ワグナスと肩を並べて皇宮を歩く姿を想像していた。


 「じゃあまた会おう、オルトス」


 「ああ、来春な」


 二週間世話になった宿舎の前で硬く握手をした二人はそこで分かれた。試験に結果が分かるのは一ヵ月後、それぞれの出身地の首長の下に届けられることになる。




 一ヵ月後、合否通知がオルトスの出身地であるカールネーブル領に届けられた。オルトスは領主自ら呼び出され、試験結果を知らされた。結果は『不合格』であった。


 「受験数百五人中、合格者は上位五名だった。そのなかでアーゲイトは七位。惜しかった、と言うべきかな」


 カールネーブル領領主であるメーナは、何度も眼鏡の位置を直しながら結果通知を読み上げてくれた。


 惜しかった。自分の祖父と同じ年頃のメーナに言われ、まるで祖父に慰められているようであったが、不合格と知らされたオルトスは茫然自失となっていた。ただ『不合格』という言葉だけが妙に鮮明に頭の中を回っていた。


 合格をするという自信があったわけではない。百名近い受験者の中から合格し登用されるのは片手ほどであるというのはオルトスも周知のことであるし、その中に自分が必ず入れると考えるのは自惚れであろうという自覚はあった。


 それでもオルトスは不合格通知に悔しさと悲しみを滲ませるのは、ひとえにワグナスの期待に添えなかったことにある。来春会おうという彼との約束を反古にしてしまったことへの罪の意識と、もうワグナスに会うことができないという絶望がオルトスの心中を揺さぶった。


 「残念ではあるが、私としては自分の領地から官吏登用試験を受け、上位七位に入っただけでも誉れというものであろう。今後は私の下で領内の政治に尽くして欲しい」


 不合格の通知に絶望する中、メーナの声はか細いながらも一筋の光明に見えた。私財から帝都までの旅費や滞在費を援助してくれたので、メーナには恩義があった。その恩義を返さなければならないという理性は、まだオルトスの中には生きていた。これからの人生は、メーナとカールネーブル領の為に尽くさなければならない。それもまた人の生きる目的としては十分であろう。オルトスはそう思うことにした。


 その日からオルトスは、カールネーブル領の官吏として働くことになった。黙々と誠実に職務を全うし、早々に領主を初め上司や同僚からも一目置かれるようになったが、帝国の官吏になるという夢を完全に捨てられたわけではなかった。そのことを明敏に察したのは領主のメーナであった。


 「帝国の官吏になることを諦められぬか?」


 不合格を通知を受けた日から三ヶ月ほどたったある日、オルトスを呼び出したメーナはそう切り出した。


 「そうお見えになりますか?」


 オルトスは否定しなかった。実際に諦めきれずにいるわけであり、そのことを叱責するようなメーナではないことをオルトスは知っていた。


 『私はこの人に甘えている……』


 官吏登用試験のため帝都への旅費や滞在費を出してくれたのもメーナであり、不合格になったメーナを登用してくれたのもメーナであった。そしてまた、メーナの厚意に縋ろうとしていた。


 「見えるな。お前の仕事ぶりは忠実であるし、誤りはない。それは認めているが、その目線の先に見ているのは我が領ではない。もっと大きなものであろう」


 「……」


 オルトスは黙り込んだ。オルトスが見ているのは、帝国の政治という大きなものではなく、ワグナスという一人物であった。あの男と供に帝国の中枢にある。そこのことだけが帝国の官吏になることが諦めきれずにいる原因であった。


 「正直な男だ。私としても天下の逸材とならん男を帝国の片隅で燻らせるのを惜しいと思っている。よろしい、来年また受験すればいい。そのための協力もしよう」


 但し、とメーナは続けた。


 「二つ条件がある。我が領の官吏としての仕事は続けること。もうひとつは、来年の試験が駄目であったなら、帝国の官吏になることを諦めて我が領に尽くすこと。これが条件だ」


 どうだ、とメーナは決断を迫った。勿論、オルトスは即断した。


 「受けさせてください」


 オルトスが言うと、メーナは満足そうに頷いた。




 そして、オルトスは翌年の帝国官吏登用試験に合格したのであった。しかも、合格者はオルトスただひとりであった。

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