外伝Ⅱ 妖花~その1~

 帝暦一二二七年。帝国を再統一したサラサ・ビーロスの日々に余裕が生まれていた。


 帝国を再統一してから一年余りは政務に謀殺され、自分の時間をまるで持てなかったが、最近では随分とゆとりができてきた。特別な式典などがなければ、朝の閣僚との朝議が終わり、午後一番に書類に目を通せば、その後は比較的暇であった。


 そこでサラサはかねてよりやりたかったことを行うことにした。それは皇宮に眠る書物を読み漁ることであった。その数は膨大であり、サラサの知識欲を満たすに充分すぎるほどであった。


 さらにそこへサラサを喜ばせる事態が二つ起こった。一つはそれまで皇宮の中で誰も知らなかった地下書庫が発見されたこと。もう一つは天使達の住処であった浮遊都市ラピュラスからも、帝国の歴史にまつわる資料が多量に発見されたことであった。但し、ラピュラスから発見された資料については、帝都に運び込まれるまでまだまだ時間がかかるが、その報せに接したサラサは、ある決断をしていた。




 「国史を編纂する……ですか?」


 ミラ・シュベールは、先を歩くサラサに聞き返した。サラサが決断した内容を話したのはミラが始めてであった。


 「うん。これはまだお前の旦那、いや、国師にもまだ言っていない」


 サラサにはにやにやしながらミラに言った。実はこの半年前、ミラは国師であるアルベルト・シュベールトと結婚していた。サラサは度々そのことをからかっていた。


 「しかし、サラサ様。国史はすでに編纂されていますが……」


 当のミラは、最初は顔を赤らめたり、嫌がったりしていたが、今となっては慣れたもので、からかわれていても無視していた。


 「確かにな。でも、この地下書庫やラピュラスで発見された資料をもとに、もう一度再編成する必要があると思うんだ」


 サラサは、慎重に地下へと向かう石段を下りていく。


 「今までの国史にないことが書かれている可能性もありますからね」


 「そうだ。そもそも私達は、先の争乱の時に天使と天帝の正体を知った。それは私達が知っていたものと随分とかけ離れていた」


 帝国の民衆の信仰として確立していた天帝と天使という存在。しかし、それは悪魔と同一であり、天帝というすでに骸と化していた存在を生かすためだけに、天使は人間から魔力を抜き取っていたのだった。その事実が明るみになるだけではなく、一部天使が反乱を起こし、世界は天使に支配される寸前にまで追い込まれてしまったのだった。


 「あの争乱で私達の価値観は変化した。結局、エシリア様はすべての事実をさらけ出すしかなかったが、それは帝国についても同じなんだ」


 「初代皇帝は天帝より地上支配を任された、ということになっていましたからね」


 「うん。帝国皇帝が民衆を支配している正当性はまさにそこにあった。しかし、その正当性をもう一度考え直すべきだと思うんだ」


 「お言葉を返すようですが、サラサ様は実力で正当性を獲得されたと思いますが……」


 そんなものに実力も何もないよ、とサラサは言って立ち止まった。目の前に錆だらけになっている鉄扉があった。大きな南京錠がぶら下がっていた。扉には格子窓があり、そこから書棚がわずかに見えていた。


 「開けられるか?」


 サラサが同行していた技師に聞いた。


 「鍵穴もさび付いておりますので、壊すしかありません。錆で全体が脆くなっているので簡単に壊れるでしょう」


 じゃあ壊してくれ、とサラサが言うと、技師は金槌を使ってあっさりと南京錠を破壊した。重い鉄の扉が音を立てて開かれた。


 開けた瞬間、淀んだ空気とかびた臭いが流れてきた。サラサはちょっとだけ咽たが、口元を布で押さえ中に入った。ランタンを持ったミラも続き、書庫の中が照らされた。


 「あまり広くありませんね」


 「でも見ろよ。ぎっしりと書物で埋まっているぞ」


 サラサは宝物を発見したかのように目を輝かせた。早速すぐ手元にあった書を手にした。


 「さっきの話だが、私も一応はガイラスの血が流れている。だから、結局は古来から続く正当性に縛られているんだ。まぁ、それはそれで構わないんだが、そろそろ血統という呪縛から解き放たれてもいいんじゃないかと思うんだよ」


 「国史の再編纂はそのためですか?」


 「半分はな、後半分は私の趣味だよ」


 サラサは、にっと笑った。


 「国務卿が首を縦に振りますかね?」


 それはサラサも心配していることであった。大々的に国史を編纂するとなると、巨額の費用が必要となってくる。


 「あいつはケチだからな。説得するのに骨が折れるよ」


 サラサはさらに奥へと進んだ。


 「私の趣味の点で言えば、気になるのはレオンナルド帝だ。私のご先祖様らしいが、どうにもな……」


 「何が気になるんですか?」


 「はたしてレオンナルド帝の事績も本当だったのか?と思うんだ」


 「レオンナルド帝の事績はかなり詳細に残っていますよね?疑う余地はあるんですか?」


 ある、とサラサは自信満々に言った。


 「レオンナルド帝の容姿だ。国史によると、眉目秀麗の美丈夫で、性格も温厚篤実。皇帝になる前は自分の領地で子供達に学問を教えていたと言う。絵に描いたような聖人君主、完璧人間だ。嘘くさくないか?」


 サラサは自らの先祖で帝国の英雄を嘘くさいと言ってのけた。


 「確かに……」


 「それに対して、レオンナルド帝に討たれたザーレンツの記述は実に少ない。どのような容姿をしていたのか、どういう生い立ちのなのかまるで書かれていない。いや、ザーレンツというのが名前なのか苗字なのか、それすらもはっきりと分かっていない」


 この差はなんだとサラサは言った。


 「それは意図的に省かれた部分があると?確かに今の国史はレオンナルド帝の御世に編纂されたものを基礎としていますが……」


 「それを知りたいんだ。私は……」


 サラサがふと立ち止まった。しかし、彼女の目の前には書棚はなく、ただの壁であった。


 「どうされました?」


 「ちょっと来てくれ」


 ミラが灯りをもってくると、サラサはしゃがみ込んだりして壁を丁寧に隅から隅まで見ていた。


 「ここの壁、おかしくないか?他の所と違って積まれている石が小さい」


 「本当ですね」


 サラサは人差し指を口に含み、すぐに出した。


 「この向こうから風が来ている」


 「空洞があるいうことですか?」


 サラサは外で待機していた技師を呼んだ。技師は金槌で壁を叩くなどして確認をした。


 「どうだ?」


 「確かに向こう側は空洞のようです。しかし、この壁を壊すのは時間が掛かりましょう。下手にいじれば天井が崩れるかもしれません」


 「時間は掛かってもいい。やってくれ」


 承知しました、と技師は言った。サラサとしては何か目新しい資料でも見つかればいいというぐらいの軽い気持ちでいたのだが、まさかの大発見がされようとは夢にも思わなかった。



 我々はその隠された空間に収められた書物の中身を、サラサ達よりも先に追っていくことになる。


 悪逆の佞臣と言われたザーレンツがただひとり心許した男、オルトス・アーゲイトが残した記録である。

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