外伝Ⅰ 朝霧の記~その39~

 ツエン・ガーランドが亡くなって三日後、皇帝サラサ・ビーロスが五千名の兵を引き連れてナガレンツ領の地を踏んだ。勿論、軍事的な抵抗などなく、ナオカに入城し、領主親子と面会した。


 本来ならば、皇帝であるサラサが上座で、スレス親子は下座で控えなければならないのだが、サラサの提案により卓上での会見となった。あくまでも対等な立場で交渉すべきと言ったツエンの精神を図らずもサラサが体現してくれた。その席でサラサとアルベルトはツエンの死を聞かされた。


 「この馬鹿野郎が!」


 ツエンの訃報を知ったアルベルトは、机を叩いて立ち上がると、今にも掴みかからん勢いでスレス達に噛み付いた。


 「貴様らが無能であるためにツエンが死んだのだ!」


 温厚とまではいかないが、人前で怒ったところを見せたことがないアルベルトがここまで激怒したのはおそろく初めてであった。後にサラサも、アルベルトがここまで激昂したのを見たことがない、と語っている。


 「貴様らなどに比べればツエンは明らかに天下にとって必要な男だったのだ!それを使いこなすこともできず死なせてしまうとは、それこそ万死に値する!くそっ!あの時無理にでも俺の手元に置いておくべきだった!」


 「うるさいぞ!馬鹿!」


 サラサは卓上にあったコップを手に取り、アルベルトに水をぶっ掛けた。


 「出ていけ!頭冷やして来い!」


 アルベルトは急に大人しくなって、肩を落としながら部屋を出て行った。スレスと老公は驚いたことだろう。見た目はまだまだ少女であるサラサが凄い剣幕で怒り狂うアルベルトを黙らせたのである。彼らは皇帝の権威というのを目の当たりにしていた。


 「許してやってくれ。ご存知だろうが、あいつはツエン・ガーランドとは刎頚の仲と言っても過言ではないからな」


 「いえ、我らとしてもガーランドの死は悲しむことであり、痛手です」


 スレスが言うと、サラサは不快そうに顔をしかめた。


 「だが、スレス殿。本心としては私もアルベルトと同じだ。ツエン・ガーランドは天下にとって有用の人だった。その有用な家臣を死なせたのは主君の罪科だ」


 サラサに言われ、スレスは身をすくめた。老公も一言も言い返せずにいた。


 「私は生前のガーランド殿と一夜だけだったが、語り合ったことがある。彼の才知はナガレンツにだけ留めておくには勿体無く、天下万民に為に活かしてこその人物だ。私はこの戦いが終わったらガーランド殿を召抱えるつもりでいた。それこそ無理やりにでもだ。マノー家を許す代わりに帝国の政治に参与せよとでも言うつもりだったよ。我が国務卿と力を合わせれば、これほど帝国にとって心強いことはないからな」


 「陛下にそこまで仰っていただければ、ガーランドも浮かばれましょう」


 そう言えたのは老公だからこそであった。もし他の誰かが言ったならばサラサは辛らつな言葉で相手を面罵しただろう。


 「さて、ナガレンツ領とマノー家の処遇だが、マノー家は本領を安堵した上で没収したジェノイバ領の一部を加増する。飛び地になるが、代官でも派遣してよく治めてくれ」


 南部十領の中で加増されたのはマノー家だけであった。正統帝国の領主達が本領を安堵されたわけであるから、正統帝国に属さなかったマノー家に同等の処分では釣り合いが取れないというサラサの判断であった。


 「しかし、この加増はツエン・ガーランドと彼のものとでナガレンツを守りぬいた勇者達の功績によるものだ。そのことを忘れぬことだな」


 これで以上だ、とサラサが言った瞬間、帝国はサラサ・ビーロスのもとで再統一され、ナガレンツ戦争も終結した。




 スレス達との会見を終えたサラサは、アルベルトを伴ってツエン宅を訪ねた。すでにツエンの亡骸は荼毘に付されていた。


 ツエンの遺骨が納められた箱に手を合わせたサラサは、ツエンの両親と妻であるクノと対面した。主に受け答えをしたのはツエン亡き後、一時的にガーランド家の当主に戻ったイニグスであった。老年の彼からすれば、少女であるサラサが地上最大の権力者であることがしっくりと来ていない様子で、時折敬語を忘れて慌てて訂正する有様であった。


 一方でクノは終始落ち着き払っていた。サラサとしてはツエンにしてこの妻あり、と好感を持った。だから、クノの体内にツエンとの子がいると聞かされた時、身を乗り出すようにして提案した。


 「どうでありましょう、クノ殿。そのお子さんが成長したあかつきには帝都にお預けになりませんか?私や国師が責任をもって養育いたします」


 これは破格の厚遇であった。単に養うということではなく、帝国での将来が約束されたようなものである。その子供の働き次第では将軍や卿、領主にもなることができるのだ。しかし、クノは首を振った。


 「ありがたい話ですが、私はあの人の遺言を尊重したいと思います。この子の行く先はこの子自身に決めさせます」


 クノは気丈であった。権力者に媚びることなく、夫の意思を貫くというのはよほどの精神が必要であろう。サラサはそのことに満足した。


 「これは失礼した。私の失言だ。許していただきたい。クノ殿がお育てになればきっと立派なお子さんになるだろう」


 サラサの言葉は的中した。クノが生んだ子は男児であり、アニスと名づけられた。父であるツエンほどのあくの強さはなかったが、頭脳聡明で温厚な性格に育った。自らの意思で官吏を志して勉強に励み、官吏に登用されて早々に頭角を現した。特に経済については父以上に才能を発揮し、地方の監理官などを歴任し、きめの細かい経済政策を実施しナガレンツ領の発展に寄与した。その後長く家老を務め、晩年にはナガレンツ領に居ながらにして帝国の経済顧問となった。アニスは後世、こう語っている。


 『私の現在があるのは父のおかげだ。私は父の顔を一度も見たことがなかったが、父ほど影響を受けた人物はいない』


 アニスはいつも父のことを話す時は、いつも居住まいを正した。


 『ナガレンツでの父の評価は分かれている。英傑とするものもいれば、ナガレンツを無用な戦争に巻き込んだ悪人とする者もいる。その評価に正誤はないと思っているが、私にとっては畏れ多いことながら光祖よりも偉大な英傑であると思っている』


 確かにツエンの評価は分かれている。しかし、同時代の人間からは軒並み大きな評価を得ていた。その最大の評価者は親友のアルベルトであったが、彼はツエンの墓碑にこう刻んだ。




 『我が最愛の友にして、ナガレンツ唯一無二の英傑ツエン・ガーランド、ここに眠る』

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