外伝Ⅰ 朝霧の記~その36~
ジェノイバ領を制圧したという報せを受けて、サラサ・ビーロスは第二軍をつれて帝都を出た。戦後処理を行うためである。
本来であるならば、戦後処理はアルベルトに任せてあるので、サラサは帝都にて送られてくる報告書に印璽を押せばそれで終わるのだが、当のアルベルトがサラサの出馬を求めてきたのだ。
『これにてサラサ陛下が帝国を掌握されたのです。そのことを天下に喧伝すべきです』
サラサとしてはそのような芝居じみた行いは好きでないのだが、確かにその様なことも必要であろうし、何よりも帝都でじっとしているのも性分に合わなかったのでアルベルトの進言に従うことにしたのだった。
戦後処理に関しては、アルベルト達が出発する前から国務卿などを交え協議しており、すでに骨格は出来上がっていた。正統帝国に参加したジェノイバ領を除く各領主については、本領を安堵させた。彼らの多くはジェノイバ領という強大な力を背景にしたグランゴーに半ば脅されて正統帝国に参加しており、サラサとしては寛容に接するしかなかった。
これに各領主が喜ばないはずはなかった。彼らはもろ手を挙げてサラサの陣営に訪れ、その礼を述べた。
彼らと一通り会見を終えたサラサは、いかにもうんざりとした顔でため息をついた。
「お疲れ様です、サラサ様」
ミラがお茶をもってきてくれた。サラサは、礼を言いながら一口飲んだ。
「いつものことですが、サラサ様のご寛容に甘えて節操もなく変節する連中というのは、どうにも好きになれませんね」
「そう言ってやるな、ミラ。政治的な信念なんてろくなもんじゃないぞ。逆に強固な信念ばかりに固執して民衆に迷惑をかける方が性質が悪い」
「それはそうですが……」
「いや、ミラの気持ちも分かるよ。早々に私と供に歩んできた者達からすれば面白くはないだろう。特にベリックハイムなどはな」
サラサが言うと、ミラはくすっと笑った。
「だけど、そういうことも許していかないと、天下は治められないんだと思うんだよ。ジギアス帝な政治が苛烈であったなら、私の政治は寛容であるべきなんだ」
しかし、ジェノイバ家に関しては寛容ではなかった。ジェノイバ領に到着したサラサの前に引き出されたグランゴーは憔悴していた。すべてを諦めきったような表情で、サラサのことを見ようともせず俯いていた。
「そんな顔をするな。別にお前を処刑するつもりはない」
サラサがそう言ってやると、わずかばかりグランゴーの顔色が戻った。
「処分を言い渡す。ジェノイバ領は現在の四分の一とし、グランゴーは領主の座を退き、数日中に新しい領主を立てること。以上だ」
処分を読み上げたのはアルベルトであった。読み終わるとグランゴーは肩を落とした。あるいは寛容な処分が下ると思ったのだろうが、サラサもそこまで寛容にはなれなかった。
『サラサ様の政治がご寛容であることはいいことです。しかし、サラサ様のご寛容に甘えて、よからぬことを企てても罰がないと思われるのはよろしくないと考えます』
これはアルベルトだけではなく、軍務卿ジロンや国務卿テナルも同意見だった。サラサとしても頷ける意見であった。それがジェノイバ領への処分となった。
「火遊びが過ぎたな。これからの人生、猛省するといい」
サラサが言い放つと、グランゴーは再び肩を落とした。
その二日後、探索していたレスナンとフェドリー帝を発見したという報せが届けられた。両名はアルベルト達がジェノイバ領を占拠した時点で姿をくらましていた。アルベルトは徹底的に捜させ、ジェノイバ領の領都に潜んでいるのを発見したのであった。
グランゴーと同じようにサラサに引きずり出されたレスナンもまた憔悴としていた。しかし、グランゴーと違って挑むような目を終始サラサに向けていた。
「こうして会うのは初めてだな、レスナン・バルトボーン。言いたいことがあるのなら言ってみろ」
「私の失敗はサラサ・ビーロスを奉戴できなかったことだな……」
「ふん。その言い方だとお前は私のことを御し得ると思っているようだが、それが大きな間違いだな。私がお前などを臣下に持つわけないだろう」
「……」
レスナンは黙り込んだ。図星であると思ったのだろう。
「さて処分だ。私は元来、戦場の外で血を見るのを好まない。しかし、お前は別だ。私に歯向かうならそれでいい。しかし、そのためにその気のない他者を巻き込んだ。私はそれが許せない」
レスナンだけは極刑もやむを得ない。それは今回の争乱が始まった時から決めていたことであった。レスナンは自らの政治的野心の為に幼子と南部の領主達を巻き込んだ。グランゴーも多少野心めいた存在ではあったが、レスナンとフェドリーが飛び込んでこなければ争乱を起こすようなまねはしなかったかもしれない。その点ではグランゴーも幼いフェドリーも被害者であるといえた。レスナンという男は、他者を負の方向に巻き込むことしかできないのだ。謂わば社会にとっては薬にもならぬ毒であり、処分せねばまだ別の誰かがその毒を喰らってしまうかもしれなかった。サラサはレスナンに刑死を言い渡した。
翌日、レスナンは処刑された。その執行は秘密裏に行われ、遺体が晒されることもなかった。サラサが見せたせめてもの寛容さであった。
余談ながらフェドリーについての処遇についても触れねばなるない。この幼くして皇帝にされた少年については、各領主から助命嘆願が出されていた。サラサとしても勿論命を奪うようなことをするつもりはなかった。
「自分の意思で物事も決めれぬ幼子の命を奪うほど私が非道じゃないよ。元の生活に戻してやれ」
サラサはそう命じてフォドロー家の親元に帰されたのだった。
後のフェドリーについても触れておく。この少年は後に士官学校へと入り、帝国軍の士官となった。ある者はサラサ帝を倒すために帝国軍に入ったのかと冗談半分で尋ねたが、フェドリーは真剣に首を横に振った。
『私はサラサ帝にこの命を助けていただいたのだ。今度は私が命を懸けて陛下をお守りする番だ』
フェドリーはそう言って周囲を黙らされた。しかし、フェドリーの人生は長くはなかった。士官となって数年後、病にかかってこの世を去った。サラサはこの数奇な人生を辿った青年の死を悼み、異例の事ながらすべての帝国民に一日喪に服するように指示したのであった。
以上は余談である。レスナンの処刑を済ませたサラサであったが、まだひとつ懸案があった。中立を守ってきたナガレンツ領の処遇である。
「私が参りましょう。私とツエンで話し合えば、すぐに落着します」
アルベルトはそう提案したが、サラサは頷かなかった。
「私も行こう。どうせ帰り道だし、ナガレンツにも行ってみたいからな」
サラサは、ツエン・ガーランドという男にもう一度会ってみたくなったのだった。
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