外伝Ⅰ 朝霧の記~その35~

 ナガレンツ領で激戦が繰り広げられている頃、主戦となる新帝国軍と正統帝国軍の間でも動きがあった。正統帝国軍の陣営からナガレンツ領方面に向って千名近い兵が動いたという知らせを受けた新帝国軍が動き出したのだ。


 『ツエンが助けてくれている』


 アルベルトはそう思った。勿論ツエン自身は、新帝国を助けるつもりなど毛頭なかったが、結果的には新帝国を助けることとなっていた。


 『いくらツエンでも大軍を相手ではそう持つまい。そろそろこっちが助けてやらんと』


 アルベルトがそう考えていた矢先、大将軍のバーンズが訪ねてきた。


 「国師。敵がナガレンツ方面に増援を出しております。攻めるべき好機かと思います」


 バーンズの進言はアルベルトの意を得ていた。


 「俺もそう考えていた。で、どうする?」


 「まずリーザの第四軍を一気にジェノイバ領に向かって進発させます。無視された敵軍は大いに焦るでしょう。第四軍を追おうとしたところでジンの第一軍をもって攻撃します。機を見て反転してきた第四軍と呼吸を合わせれば理想的な包囲戦ができます」


 「それは大将軍がサラサ陛下にしてやられた時の戦術だな」


 アルベルトが言うと、バーンズは照れ臭そうに、左様ですと答えた。


 「大将軍の戦術に異論はない。良きようにしてくれ。こんな戦争さっさと終わらせてしまおう」


 「承知しました」


 去りゆく大将軍の姿を見て、この不毛な戦争の終結も近いことを確信していた。


 『戦後処理でナガレンツに行くこともあろう。その時はまだツエンと酒を飲みたいものだ』


 出征中、一滴の酒も断ってきたアルベルトは、一日も早くナガレンツ領の上手い醸造酒を友人と飲み交わしたかった。




 大将軍からの命令を受けた第四軍のリーザはすぐさま動いた。疾風のような速さで南下していった。


 「一気に敵の領都に突っ込むぞ!私は早く帝都に帰りたいんだ!」


 リーザ軍は近くに敵がいることを知らないかのように猛然と進み、ジェノイバ領を目指した。当然ながら正統帝国軍のグランゴーは混乱し動揺した。


 『敵には我らが見えていないのか?』


 そんなはずはあるまい、とグランゴーは自らの疑問に答えた。お互いの位置は遠めであっても視認できるだけの距離で対陣しているのである。気がつかないはずがなかった。


 普通であれば、快哉を叫んで猛進するリーザ軍の後背なり脇腹なりを突き崩せばいいのだが、リーザ軍の進軍速度があまりにも速いので、追撃態勢を整えた時にはリーザ軍は地平線の彼方に消えていた。ここにきてグランゴーはようやく敵の意図を悟った。


 『敵は我が領を奪うつもりか!』


 新帝国軍の方が数が多いのだから、そのような戦術に出ても不思議ではなかった。グランゴーは大いに焦った。幼きフェドリー帝を奪われては出師した大義名分を失うし、何よりもジェノイバ領を占拠されてはグランゴーは帰る場所を失うのだ。すぐさまリーザ軍の追撃を命じた。


 勿論、新帝国軍は黙っていなかった。当初の計画どおり、待機していたジンの第一軍が正統帝国軍の背後を襲い掛かった。


 「休まず攻めろ!リーザに手柄を取らしてやる必要はない」


 ジン・ジョワンはサラサを決起当時から支えてきた勇将である。長くサラサの戦術を傍で眺めていただけに戦場における呼吸は心得ていた。サラサも彼女を支えてきた四人の将のことを、


 『攻勢ならリーザ。守勢ならクーガ。ネグサスはやや攻勢に偏重していて、ジンは最も攻守の均衡が取れている』


 と評している。ジンは自ら剣を抜き、馬を駆って敵陣に突撃した。正統帝国軍は恐慌状態に陥った。そこへ追い討ちをかけるようにリーザ軍が反転して混乱状態の正統帝国軍に殺到した。


 両軍の会戦は実にあっけなく終わった。時間にして一日も経っておらず、当然ながら新帝国軍の圧勝であった。グランゴー自身、単騎で逃げ帰るのがやっとで正統帝国軍は軍集団として消滅。数日もしないうちに新帝国軍はジェノイバ領に到達。これを制圧した。


 『これでツエンも楽になるだろう』


 アルベルトは戦後処理の為にしばらくジェノイバ領に滞在しなければならないが、それが終わればナガレンツ領へ行こうと思った。

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