外伝Ⅰ 朝霧の記~その21~
時代は球体が坂を転げるようにして加速度をつけて変化していった。
サラサ・ビーロスを首魁とする反乱軍に敗れたジギアスは、国務卿レスナン・バルトボーンに謀殺された。そしてレスナンに擁立されたフェドリー・フォドローと、イーライ・ベニールの二人が皇帝を僭称し、二帝が並立することになった。
しかし、それも束の間で、大軍をもって帝都を目指したサラサ・ビーロスに敵うはずもなく、帝位はサラサ・ビーロスの手元に落ち着くことになった。
この間、天空に浮かんでいた天使達の住処が落下してきて、天帝と天使の存在価値も大きく揺らいだが、現実の政治を見ているツエンからすれば、新たなるビーロス王朝の誕生の方に関心を寄せていた。
この時点でツエンは、『次席』の文字が取れ正式な家老となっていた。これには多少事情がある。
皇帝ジギアスと反乱軍の戦闘に参加し戦死したウイニ・スチルスの父で、ことある毎にツエンに痛烈な批判を加えてきたノイエンが家老を引退したからである。息子の死後、ノイエンは家老としての職務が全うできぬほど気落ちし、塞ぎこんでしまった。ついには体を悪くし、隠居を願い出たのであった。その際、空席となる家老職にツエンを推薦したのであった。
『私はガーランドと度々意見を衝突させてきたし、今でも彼の政策には賛同しかねる部分が多い。しかし、どう見てもこの新しい時代を導いていけるのはツエン・ガーランドしかいない』
覇気を喪失したかつての権勢家は、そうスレスに言い残したらしい。スレスよりそのことを聞かされたツエンは、後になっても感想らしい言葉を漏らさなかった。
ともあれ、残りの二人の家老は、能力的にも意欲的にも欠けているところがあるので、もはやツエンが事実上、ナガレンツ領の政治を総攬する立場に立った。スレスは早速にツエンを召し、今後のことについて意見を交わした。
「すでに新帝が誕生して一ヶ月が経つ。しかし、未だ我らは新王朝に帰属していない。また新帝の方からもまだ何も言ってきていない。どうすべきであろうか?」
スレスは、率直に訊いた。
サラサ・ビーロスを皇帝とした新王朝は誕生したが、そこに帰属しているのはかつて諸侯同盟に参加していた領主達のみで、ナガレンツ領を含む南部の十領主は未だ旗幟を鮮明にしていなかった。そしてサラサ帝も、この南部十領に対して帰属の呼びかけをしておらず、謂わば各領が独立国として存在しているような状態であった。
「新王朝は誕生したばかりで体制を整えるのに忙しいのでありましょう。そこへ諸侯同盟に参加していない異分子をまだ入れるわけにはいかないのでしょう」
「異分子な……」
その表現にスレスは不満そうであった。帝室に対して忠誠を尽くしてきたマノー家からすれば、異分子はサラサ・ビーロスの方であると言いたいのだろう。
「また他に旗幟を鮮明にしていない南部の領主達の動向も気にせねばなりませんが、ここは我らとしては泰然として内政を充実させることです」
この時期、ツエンにはある構想があった。その構想は人が聞けば嘲笑するかもしれないが、ツエンは大真面目であり、実際彼はその方向へとナガレンツ領を導いていくのであった。しかし、今はそれを口にはしなかった。
「内政の充実は分かる。現にお前のおかげでナガレンツ領は、近隣に比べれば随分と経済的にはよくなっている」
ツエンが早々に経済対策に乗り出したおかげで、近隣の領が戦争による不景気で経済的に苦しくなってきているのに対し、ナガレンツ領は比較的豊かであった。資金の内部留保も増え、軍事装備の一新も進んでいる。
「畏れ入ります。しかし、まだまだでございます」
「それは分かっている。だが、内政を充実させてなんとする?領民の生活のためであることは勿論だが、外交的にはいずれ新王朝に対して旗幟を鮮明にせねばならんのだ。それをどうするかだ」
「新王朝に帰属する、帰属しないと言う判断ならば、帰属すべきでしょう」
ツエンははっきりと言ってのけた。スレスはまた不快そうに眉を顰めた。
「すでに新王朝は帝国の半分以上を支配しております。如何なることがあっても、新王朝が覆ることはまずありますまい。そうなれば、我らとしては新王朝の帰属するしか道はないのです」
「そうかもしれん。しかし、マノー家としては長年、ガイラス王朝よりご恩を受けてきた。一朝一夕にその恩を忘れて、新王朝に尻尾を振るというのはどうにもやりきれん」
スレスは若き領主らしい純粋さを顕にした。政治にとって必要悪である汚濁を一切許さない純粋さ。ツエンは、主君がそのような純粋さを持ち合わせること自体は嬉しく思った。ツエンとしても、その考え方自体を真っ向から否定するつもりはなかった。
「左様です。だからこその内政充実なのです。将来的に新王朝に帰属するにしろ、独自の道を行くにしろ、しっかりとした政治、経済、軍備。それらを整えておくことこそ肝要なのです。そうしておけば、我らは誰からも侮られず、しっかりとした立場を標榜できるのです」
「なるほどな。力あってこそ、物が言えるというわけか。ガーランドの考え方を是としよう。だが、新王朝と南部勢力の動向は注視しておかないとな」
「勿論です。すでに目端が利く者たちを方々に派遣しております。情報は常に迅速にお耳に入るようにしております」
スレスは深く頷いた。ともかくも、今は時間をかけて内政を整えるしかなかった。
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