外伝Ⅰ 朝霧の記~その20~
ウイニ・スチルスは領主代理として二百の兵を率いてナガレンツ領を出発した。この時すでに皇帝ジギアスは軍を二つに割り、一方をバーンズ・ドワイト大将軍に率いらせていた。ウイニの軍は皇帝軍に所属された。
『皇帝側なら兵も精強で安心であろう』
ウイニはそう判断し、スレスにも軍を進めるように連絡をした。確かに皇帝軍は精強であった。皇帝直轄軍だけではなく、皇帝に対する忠誠心ではマノー家に引けを取らないフランネル家の軍もおり、士官学校首席であったマートイヤ・ルグスもいる。帝国でこれほど精強な陣容はあるまいとウイニは思っていた。
『それに対して反乱軍の将は出自も怪しい連中ばかりだ。一度皇帝陛下に勝ったのも偶然だろう』
聡明なウイニなら、実際の皇帝軍の陣容を見れば、統一感のない危うさに気がついただろう。しかし、身分意識がウイニの目を曇らせていた。
皇帝軍は予定よりもやや遅れながらも、敵地であるエストヘブン領に侵入した。ウイニ軍はちょうど皇帝軍の中ほどを行軍していた。
「隊列が長すぎるな……」
ウイニは自らの馬を進めながらそれを気にしていた。前方にも後方にも皇帝軍の長大な陣が続いている。この横腹を突かれたら、大軍とはいえ危機に陥りかねない。
『それだけではない。これだけ長すぎると、先陣が戦闘に入っても駆けつけたり、陣を整えることができない』
ウイニはここに至って皇帝軍に危うさを感じた。すでにジギアスには領主スレスも参陣すると告げてあるが、それは思い止まった方がいいかもしれない。ウイニはスレスに軍を止めて様子を見るようにと使者を送った。
ウイニの予感は的中した。皇帝軍の先陣は反乱軍に包囲され、猛攻に晒された。不幸にも先陣には皇帝本人がいた。
『皇帝陛下の危機ぞ!』
この時、ウイニには逃走するという選択もあった。しかし、ウイニは理性的な判断よりも、武人としての本能に従った。
「皇帝陛下の危機ぞ!ナガレンツの勇名を轟かせるのは今ぞ!」
ウイニは馬を戦場の方に走らせた。
様々な記録ではこの戦争でのナガレンツ勢の活躍はあまり描かれていない。ウイニを含めたほとんどの者が故郷に帰らなかったことを考えれば、勇戦したのは間違いなかったが、皇帝軍が大敗しては語り草にもならなかった。
皇帝軍の大敗とウイニの戦死は、途中まで軍を進めていたスレスによってナガレンツ領にもたらされた。領民達は若き才能ある若者の死を悼んだ。それはツエンも同じであった。
「まずはナガレンツの勇者ウイニ殿の一献」
ウイニが率いていた部隊の敗残兵をまとめてスレスが帰還して以来、ツエンはその後処理に追われていた。それが一段楽した晩、サダランを自宅に招き慰労の杯を交わした。
「才能のある若者が亡くなるというのは、どうにも辛いな」
「私も何度か顔を合わせましたが……残念です」
サダランも肩を落としていた。サダランの方がやや年長になるが、次代のナガレンツ領を担う世代の一人として、やはりウイニに期待するところが大きかったのだろう。
「しかし、あれほど戦が強い皇帝陛下が二度も敗れるとは……」
「驚くことではない。皇帝陛下より戦が上手い奴が現れればそうなるさ」
それがサラサ・ビーロスではあることにはツエンも驚いていた。確かに彼女は聡明で、とても十四歳の少女であるとは思えなかったが、まさか反乱軍の首魁となり、戦争指導も行うとは想像もできなかった。
「聞けばサラサ・ビーロスなる少女は、あのゼナルド・ビーロスの娘。ということは、皇統に連なっているということです。これは畏れ多くも、まさかの事態ということもありえるのではないでしょうか?」
サダランは明言しないが、要するに至尊の地位が交代するということだろう。
「あり得ないことではないな。帝国が誕生して千年余り。その間、一度帝位を簒奪されているわけだからな。そもそもガイラス家もレオンナルド帝の直系ではないし、血の権威が永遠と続くものだと保障されているわけではない」
「義兄上が言う乱世の到来ですか?」
「さてどうかな……」
と言いつつも、乱世は到来する。いや、すでに乱世であるに相違なかった。それがいかなる方向に向うか。ツエンは予測できずにいた。
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