外伝Ⅰ 朝霧の記~その19~
出兵要請の使者がナオカに到着したその晩、スレスはツエンと三家老を呼び出した。その場には老公もおり、スレスがこの問題についていかに悩んでいるかを思い知らされた。
最後にやってきたツエンが訝しくと思ったのは、ノイエンの隣にウイニがいたことであった。元来なら家老級の会議の場にいてはならない存在であったが、誰も何も言わないので暗黙の了解があるのだろう。ツエンも何も言わず、席に座った。
「揃ったな。言わずとも理解していると思うが、皇帝陛下より出兵の要請が来た。神託戦争、教会との騒動、そして今回の件。度重なる出兵に領民も疲弊している。いかにすべきか、諸君らの意見を聞きたい」
教会との争乱の時は、重臣すべてを集めたスレスであったが、今回は家老職のみであった。重臣達全員と諮れば、意見が百出して収拾がつかなくなる。それほど難しい問題であり、スレス自身も悩んでいてる証左であった。
「言うまでもなく、ご領主様は皇帝陛下の臣であります。他家はいざ知らず、代々帝室に対して忠義を尽くしてきたマノー家としては、ぜひ参戦すべきです!」
まず最初に口を開いたのはノイエンであった。忠義というおよそ現実的とは言えないもののみで語られては、いかなる意見ともかみ合わなくなってしまう。ツエンはやりにくさを感じながらも、座して黙するわけにはいかなかった。
「畏れながら、慎重に判断すべきです。先の神託戦争では皇帝陛下の要請に従い出兵しましたが、恩賞も貰えず、ただ兵と金を損失するだけで終わりました。我が領はろくな戦闘も行いませんでしたから、その処置には納得せざるを得ませんが、活躍した他の領も同じような感じでございます。ましてやこの度は皇帝陛下は一度負け、勢いは相手にあります。徒に死地に飛び込むようなまねになる可能性も否定できません」
ツエンは言葉を選んで、婉曲に表現した。要するに皇帝が負ける可能性があるから、出兵は控えるようにと言いたいのだ。
「ガーランド!負けるかもしれないから戦に出ぬとはなんたることか!それは卑怯者の言!貴様それでもナガレンツの武人か!」
当然ながらノイエンが噛み付いてきた。
『確かにそうだ……』
ツエンもナガレンツ領の武人である。武人の矜持としては、ノイエンの意見は至極正論であった。しかも、卑怯という言葉は武人にとっては侮辱の言葉であり、議論を封じるものでしかなかった。
「やめねえか、スチルス。卑怯という言葉で相手の言を封殺しては議論にならねえ」
口を開いてノイエンを嗜めたのは老公であった。ノイエンは困惑の表情を浮かべた。
「しかし……」
「いや、武人としてはお前の言うとおりだ。マノー家としても皇帝陛下からの勅命は謹んで受けるべきだ。スレスもそんなこと百も承知だ。承知の上でお前らの意見を聞きたいって召集したんだ。そのことを察しろ」
「義父上の言うとおりだ。私は養子であるが、マノー家に入った以上、マノー家の家風に従うつもりだ。だがその反面、ナガレンツの領民の生活を守らねばならない。その二つが活かせる道がないのか?それを問いたいのだ」
「これは失礼しましたが。スレス様がそこまでお考えでいましたとは……」
今度はノイエンの言論が封殺される番であった。ノイエンとしても、公然と領民を犠牲にしてまで出兵すべきだと言えなかった。
「誰か他に意見はないか?」
スレスが一同を見渡した。まだ意見を言っていないマシューは俯き、イギルはしきりにツエンに視線を送っていた。
「畏れながら申し上げます」
しばらくの沈黙の後、声を上げたのはウイニであった。
「申してみよ」
「ご両名の意見、若輩者の身にはどちらも正論に聞こえます。そこでいかがでありましょう。折衷案を採用してみては?」
「折衷案?」
ノイエンが我が子のことを見て言った。
「左様です。積極的に兵は出せないが、出さぬわけにもいかない。そこでまず私は二百名の兵を率いて皇帝陛下の陣に参加いたします。スレス様は、後詰を率いて合流されるということにすればよいのです。皇帝陛下が勝てばそのまま進めばよし、負ければ私と一緒に引けばよいのです。二百程度の小勢なら、前回同様大した場所には配置されないでしょうから、兵を損ずることもないでしょう」
折衷案といえば聞こえがいいが、要するに日和見的な対応である。ツエンとノイエンの意見が衝突して以上、有効な意見かもしれないが、危うさも感じていた。
『皇帝陛下が勝てばいい。しかし、勝てなかった時、はたしてそう上手くいくか……』
だが、これに対して有効な反論を思いつかなかったし、これ以上至当な意見も持ち合わせていなかった。ツエンは黙することで賛同するしかなかった。
「他に意見がないようなら、ウイニの意見を採用しよう。速やかに準備するように」
「はっ!」
と答えるウイニの声が若者らしく小気味良いものであった。
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