外伝Ⅰ 朝霧の記~その16

 その晩、ツエンはアルベルトを尋ねた。アルベルトは上機嫌でツエンを迎えてくれた。


 「こうしてまた会えるとはな。嬉しいぜ」


 公的な対面はそこそこに、アルベルトはツエンを自らの天幕に招きいれ、杯を交わした。


 「陣中だ。ろくな酒も肴もないが、まぁ我慢してくれ」


 木の椀には白濁とした酒が注がれ、皿には炒った豆が乗せられているだけであった。


 「いや、懐かしいな。俺達が先生のところで学んでいた時はこんなものだろう」


 「もうちょっとマシだっただろう」


 ツエンは笑いながら豆を摘んで口に入れた。香ばしく懐かしい味であった。


 「しかし、驚いたぞ。ナガレンツが来るのは分かっていたが、お前が来るとはな」


 「そうかね」


 「神託戦争に反対したお前だ。教会との戦争も反対すると思っていたぞ」


 「確実に勝てる戦なら乗るべきだ。そう考えただけだ」


 「おいおい、俺には本心を語れよ。勝ち馬に乗るのはいいが、恩賞なんて当てにはできねえぜ」


 アルベルトもツエンと同じように考えているようだ。


 「そのことだがな、アル。他の領地の者どもは色めきだっているぞ」


 ツエンはすでに他の領地の主将達数人と会い、意見を交換していた。ツエンが今回の神託戦争に参加した個人的な目的は、他の領地の幹部級の人物と交わることであった。このことについては、他のナガレンツ領の士官達にも推奨し、積極的に他領の士と交流させていた。


 「懲りない連中だな。神託戦争に教訓が何も活かされていない。そもそも教会の領地なんてエメランスを除けば三つしかない。その三つを全部取り上げるわけにもいかないとなると、恩賞なんぞ期待できないぜ」


 「教会を支持している民心のこともある。戦争で勝てても、皇帝陛下には何の実りのない戦争になるだろう」


 「ツエン。そこまで分かっていてどうしてわざわざ出てきた?」


 「大げさなことじゃないぜ。俺は単に乱世が始まる空気をいうものを肌身で感じておきたかったんだ。俺だけじゃない。スレス様から一兵卒に至るまでその空気に触れてナガレンツに持ち帰りたい。その空気がなければ、乱世に向けての挙国体制を整えるのが難しい」


 アルベルトは感心したように何度か頷いた。


 「やはり俺の畏友というべき男だ。今の世でそこまで考えている男はおるまい」


 アルベルトは杯を置き、何事か考えるように目を閉じた。すぐに目を開けたかと思うと、瞼にうっすらと涙を溜めていた。


 「ツエン。俺の所へ来い。お前という逸材をナガレンツに埋もれたままにしておくのはやはり惜しい。天下国家の損失でもある」


 ツエンはアルベルトの涙の理由をありがたく思った。これほど自分の才能と生命を高く評価してくれるのは、やはり親友であるアルベルトしかいなかった。だが、それでもツエンはマノー家に仕える武人として生きる道を選択した。


 「もうそのことを言ってくれるな、アル。ナガレンツの武人でなければ、俺は俺でなくなる」


 「……。そうだな、馬鹿なことを言った。忘れてくれ」


 アルベルトは自分の思いと決別するように杯を干した。ツエンも未練を断ち切るかのよう杯の中の酒を飲み干した。


 「そうだ。ぜひお前に会わせたい人物がいるんだ」


 珍客だ、とアルベルトは悪戯小僧のように笑った。


 「ほう。ぜひともお会いしたいものだ」


 「もう寝ているかもしれんが、誰か!」


 アルベルトが外にいた伝令兵を呼んだ。何事か耳打ちすると伝令兵は天幕を飛び出していった。


 しばらくして伝令兵に連れられて珍客が姿を現した。珍客は二人いた。


 一人は少女であった。きりっとした目鼻の整った美少女で、背格好の割には妙に大人びて見えた。もう一人は銀髪の老人で、老人であるが、体躯は引き締まっており、只者ではないことが察せられた。


 「あれ?少年は?」


 本来はもうひとり珍客はいたらしい。アルベルトが不思議そうに尋ねると少女は無愛想に答えた。


 「シードは完全に寝ていたから残してきた」


 「大分とお疲れの様子だったからな。寝かしておいてやろう」


 「で、こんな夜更けに呼ばれた理由は?」


 少女はアルベルトに対してまったく物怖じしていなかった。それどころか口の利き方も長年の知己のようであった。ツエンは興味を持った。


 「紹介しよう。俺の畏友であるツエン・ガーランドだ。ナガレンツ領で家老をしている」


 アルベルトに紹介されツエンは会釈した。


 「こちらはサラサ・ビーロス嬢だ」


 「サラサ・ビーロス……。あのゼナルド・ビーロスのご息女か?」


 アルベルトは頷いた。確かに珍客であった。神託戦争の折、反皇帝派の一人として活躍したゼナルド・ビーロスの娘だという。


 「その後にいる爺さんはジロン・リンドブルムだ。説明の必要はなかろう?」


 「『雷神」か……」


 ジロン・リンドブルムは言うまでもなく神託戦争の英雄である。常に戦場の先頭に立ち、多くの敵をなぎ倒していった逸話は数限りなくあった。


 「まぁご両人も座ってくれ。今日は無礼講といこう」


 アルベルトにそう言われ、サラサとジロンは着座した。


 「驚いただろう?」


 「当たり前だ。一体どういうことなんだ」


 「ふむ、長くなるが手短に言うとだな……」


 アルベルトが語るところに寄ると、この二人は旅の途中で出会い、しかも現在進行中の教会との騒動に巻き込まれたらしい。命からがら総本山エメランスを脱出し、今はアルベルトに元に身を寄せているのだった。


 「事情は分かったが、シュベール家はどうやら厄介事を抱え込み家柄らしいな」


 「ふん。お前だけに言われたくないぜ」


 ツエンの言葉にアルベルトは笑って言い返した。

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