外伝Ⅰ 朝霧の記~その17~

 「厄介と言うが、この男も相当厄介な男でな。神託戦争で出兵するのに反対し、謹慎を食らっていたんだ」


 アルベルトはツエンのことをそう紹介した。事実なだけにツエンは反論できず、黙って酒を飲んだ。


 「ふうん。ナガレンツのマノー家といえば、帝室への忠心が高いことで知られている。そこで反対するなんて大した度胸だ。しかし、素晴らしい慧眼だ」


 サラサ・ビーロスは関心しきりに頷いた。ツエンはすでにサラサ・ビーロスという少女に只ならぬ雰囲気を感じていた。。


 『これは只者ではない』


 その言葉の片鱗から感じさせる知性の高さと落ち着き払った態度は、単なる十四歳の少女のものではなかった。『雷神』ジロン・リンドブルムとアルベルトがこの少女に魅了されている理由が分かったような気がした。


 実のところ、サラサもツエンという異才に興味を持っていた。その後のツエンの事績を知るに及んで後にこう漏らしている。


 『もしツエン・ガーランドが私の傍にいれば、テナルと両輪になって帝国の政治と経済を助けてくれただろう。つくづく残念でならない』


 またアルベルトも、


 『俺はあの時、意地になってもツエンを俺の手元に置いておくべきであった。そうなればサラサ陛下をどれほど助けられただろう。またそれがあいつの為であった』


 と友のために悔しがったという。


 その意味ではこの一晩の会合は、歴史的光景であった。サラサは後に皇帝となり、ジロンとアルベルトはそれを支える名臣となった。そしてツエンは、別の意味で歴史に鮮烈な虹彩を残すのだが、それは後の話としたい。




 夜は更けていく。当初は眠そうにしていたサラサもツエンと会話を重ねるにつれ、目を輝かせてその話に傾聴した。とりわけサラサが関心を示したのは、ナガレンツ領での話であった。


 「なるほど。ナガレンツには随分と物産が多い。しかし、それが商業としてなりたっていないというのは残念だな」


 「私が民政局長になって振興させているがまだまだの状況だ。頭の固い御家老衆は、武人に工人や商人の真似事をさせるなと五月蝿くてね」


 「武人の誇りは素晴らしいが、それだけでは飯は食えないからな」


 「だが、いずれ武人本来の仕事が必要となる世が来る。それまでは雌伏の時として銭を稼いでおきたい」


 「乱世が来る……と?」


 ジロンが挑むような視線をツエンに投げかけた。


 「来るでしょうな。皇帝陛下と教会の戦い。戦争自体はすぐに決着するだろうが、帝国の政治体制には歪みが入ってしまった。それは容易には修復できますまい」


 「その乱世になって、あなたはナガレンツをどのようにしたいのだ?」


 サラサの目が一段ときらりと光った。ツエンは面を食らった。実のところそこがツエンの悩みであった。


 「そこが難しい。領内を富ませ、軍備を揃える。政論で領内が割れないように挙国体制を作り上げる。ここまでは言うまでもないが、その方向性が見えてこない。実際、天下の趨勢がどうなるかも見えてこないし、それを最終的に決めるのはスレス様だからな」


 主君の為に最良の政治基盤を整える。それこそが臣下の役目であるとツエンは考えている。


 「まぁ、乱世が来るとも限らんからな。案外、このまま平穏な世の中になるかも知れんからな」


 アルベルトが言うと実に説得力がないのだが、その可能性もなくもないのだ。


 「そうなれば、またこうして我らで膝を突き合わせて飲むこともできるな。その頃はサラサ嬢も酒を飲めているだろう」


 アルベルトは果実水を飲んでいるサラサを見た。サラサは微笑を見せた。


 「そうありたいものだな」


 しかし、そのような機会は訪れることなく、畏友であったアルベルトもツエンの姿を見たのがこれが最後となった。




 皇帝と教会の戦争は実にあっけなく終了した。大軍を擁した皇帝軍が鎧袖一触で教会の軍勢を破ったのだ。


 この戦闘でナガレンツ領の兵士が活躍することはなかった。後方の警戒任務を任されたのだが、敵は後方を襲うほどの兵力も持ち合わせていなかったので、ナガレンツ領の兵士達は戦場に立つだけで終わってしまった。


 「我らは剣を抜くこともなかったが、まだ戦闘は続くだろう」


 スレスはツエンにそう漏らした。ツエンも同じように考えていたが、事態は急転した。皇帝と教会が和解したのである。少なくとも総本山エメランスを攻め落とすだろうと戦場に立つ誰しもが思っていたのでこれは意外であった。


 『アルの奴だな……』


 ツエンは、この急転直下の和解劇にアルベルトが噛んでいると推測した。そのような曲芸の如き振舞いができるのはアルベルト以外にいないであろう。これはある意味事実であったが、その裏にサラサがいたことまではツエンには分からなかった。


 『しかし、これは双方にとっても賢明な判断だ』


 教会としてはこれ以上勝ち目がないのだから和解に持ち込むのは賢明であった。皇帝としても教会と戦争を続けるのは得策ではなかった。


 『民衆の中には教会への信仰が強い者も多い。これ以上教会に過酷なまねをすれば、それらも皇帝陛下の敵になりかねない』


 漏れ聞こえてきた和解内容は、教会幹部の処分と僧兵の縮小が主であり、教会領の削減にまで及ばなかった。ツエンが事前に予測どおりとなった。


 「これでは恩賞も得られんだろうが、まぁ我らは何もしていないしな。仕方あるまい。しかし、個人的には得るものは多かった」


 ナガレンツ領へと戻る道中、スレスが言ってくれただけでもツエンとしては満足せねばならなかった。

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