外伝Ⅰ 朝霧の記~その15~

 帝暦一二二四年、天臨の月。ナガレンツ領領主スレス・マノーは二百名の兵を引き連れ出立した。これにツエンは参謀という立場で付き従うことになった。


 すでに皇帝ジギアスは教会の総本山エメランスへと軍を進めており、その道中に合流することになった。ジギアスは到着早々にスレスとの謁見を許可してくれた。


 「マノー家の者が来てくれたというのは心強い」


 ジギアスは上機嫌であった。すでに相当数の兵力が皇帝の下に集まっており、その中の二百名というのは小勢であった。しかし、ジギアスにとって重要なのは多くの領主が皇帝を慕って集まってきたということであり、とりわけ兵が精強として知られているナガレンツ領の参加は戦力としても心強かった。だからこそジギアスの機嫌はよく、その証拠にジギアスからすれば陪臣でしかないツエンの同席も許可してくれた。これは破格の対応であった。


 「畏れ入ります。陛下の温情とご威光を蔑ろにする不心得者に鉄槌を下したいと思っております」


 「勇ましい言葉だ。老公ジビルが見込んだ男児である。他の領主は家臣を代理に寄越すものもいるが、領主自ら来るというのも流石はマノー家である」


 「畏れ入ります」


 「しかも家老を参謀として連れてくるとは。マノー家の忠心、ありがたく思うぞ」


 「ありがたき幸せ」


 と答えたのはスレスである。陪臣であるツエンはジギアスとの直答ができなかった。


 この時、ツエンは次席家老という役職についていた。これは三家老の下に設けられた臨時の家老職であり、民政の長である民政局長が軍事参謀というのもおかしかろう、という理屈で就任したのであった。要するに名誉職のようなものであり、実質的には民政長官のままであった。


 ジギアスはそのような実情を知らない。ましてや平伏しているこの男が、神託戦争を猛烈に批判し反対したとは夢にも思っていないだろう。


 『これが皇帝か……』


 ツエンとしても、皇帝の尊顔を拝することになろうとは夢にも思っていなかった。平伏しながらも上目遣いにわずかに見えるジギアスの顔は、どこでもいる血気盛んな若者とそれほど変わらぬような気がした。


 『案外、威厳がないものだ』


 もっと威圧されるものだと思っていたが、老公の方がよほど威圧的で威厳があった。あるいはアルベルトの方が王者の風格があるような気がした。


 ジギアスとの謁見はすぐに終わった。まだジギアスには謁見せねばならぬ相手がおり、これからの戦術も決めねばならない。ツエンとスレスは追い出されるようにしてジギアスの本陣を後にした。




 自陣へと帰る道中、ツエン達はシュベール家の野営地の前を通った。スレスはしばらく馬を止め、じっと野営地を眺めていた。


 「いかがなさいました?」


 「見ろ、ガーランド。シュベール家の兵達を。雑兵に至るまですべての兵が鋼の鎧を身に着けている。それに引き換え我が兵で鋼を纏っているのは一部士官だけで、ほとんどがなめし革の鎧だ」


 「左様で。クワンガ領では武具はすべて支給されております。ですから、同じ装備が行き渡るのです」


 ツエンはスレスの着眼点に感服した。スレスはやはり凡庸な領主ではなかった。


 「なるほどな。ガーランドの言っていた乱世の空気とはまさにこれのことだな。準備をすべき者達はちゃんと準備を始めている。その点、我らは遅れているのだな」


 「ご明察のことと思います」


 「ナガレンツに戻ったら早速に軍備を整えさせよう。ガーランド、お前が裁量せよ」


 「はっ」


 「それに士官階級の者にもこの姿を見せよ。意識を高めないとな」


 スレスは馬を進め、ツエンも続いた。


 「ところでガーランドは、シュベール家のアルベルト殿と親友だと聞くが?」


 「はい。そのためおかしな流言が流行りましたが……」


 そうだったな、とスレスが苦笑した。


 「お会いになりますか?」


 ツエンが訊くと、スレスはしばらく考えた後に応えた。


 「やめておこう。ナガレンツの武人として、やはり皇帝陛下に弓引いた家の者と会うわけにはいかない」


 その言葉にはスレス個人として感情ではなく、ナガレンツ領の領主としての建前が表れていた。ツエンはそのことを残念にも嬉しくも思った。


 「しかし、前を通って挨拶もないとなると礼を失することになろう。夜にでも私の代わりに行ってくれるか?」


 「主命とあらば」


 ツエンはそう言いながらも、スレスの心遣いに感謝した。

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