外伝Ⅰ 朝霧の記~その3~
神託戦争の結果は、ほぼツエンの言うとおりになった。
皇帝派とアドリアン派の争いは戦場では決着がつかず、双方ともがジリ貧となった状況で教会の仲裁によって終結を迎えた。一応勝者の立場に立てたジギアスではあったが、彼にできたことはアドリアン派の一部幹部を処罰するに留まり、領地没収はコーラルヘブン領などの一部に限られる結果となった。ツエンが予期したとおり、ジギアス派に属した領主達は満足な恩賞を得ることができなかった。
「それはもう上から下への大騒ぎですよ!」
夜遅く、領都での様子を伝えに来たサダランは興奮のあまり顔を真っ赤にしていた。
「もう少し明確に言え」
ツエンは具体性に乏しい報告をした義弟を軽く叱責した。
「神託戦争が終わって一ヶ月経ちますが、未だ恩賞の沙汰が無く、家臣団はやきもきしておりましたが、ようやく沙汰がありました。それが皇帝陛下からの感状一枚!ただそれのみですよ!」
サダランは板張りの床を拳で叩いた。
「よせよせ。この小屋は建て付けが悪い。そのように叩いては壊れてしまう」
「義兄上は悔しくはないのですか!我らナガレンツの武人は命をかけて戦って参りました。それは主家に多大な恩賞が入り、発展することを期待してのことです。なのに……わずか感状一枚とは……」
ツエンはやや意外に感じがした。サダランはツエンの主張を全面的に支持していたから、もう少し冷徹にこの事態を見ているものと思っていたが、彼も根はナガレンツの武人であるらしい。それはそれでツエンとしても愉快であった。
「私の悲憤などかわいいものです。中には自害して、その血をもって皇帝陛下をお恨み申しあげる誓文を認めると息巻いている者もおります」
「馬鹿な話さ」
「まったくです。我らもコケにされたものです。いくら相手が皇帝陛下でも……」
「そうではない。このような事態になって騒いでいることが馬鹿な話だと言っているのだ。このような事態になることは俺がちゃんと警鐘を鳴らしてきたんだぜ。それを今更騒ぐなということだ」
「そうでありましょうが……。やはり武人としてのこの仕打ちはあまりといえばあまり……」
それが情だ、とツエンは諭すように言った。
「情でもって導き出された政治的課題の帰結を情で吠えても仕方ないぜ。寧ろ帝室に忠誠心を持つ身からすれば、感状一つで大喜びすべきなのだ。家宝にして毎日拝めばいい」
「義兄上、それは皮肉ですか」
「皮肉さ。政治への最大の批判は皮肉にあるんだぜ」
皮肉だが事実でもある、とツエンは続けた。
「帝室への忠誠心という意味ならば、本当に感状一つで充分のはずだ。そこに利潤を求めようとするのは打算、冷徹な理の発想だ」
「それはそうですが……」
「利を求めるのなら最初から打算的に行動すればよかったのだ。まぁ、正直なところその判断が難しく、上手く立ち居振舞うのも難事なのだがな。三家老の御歴々では無理だろう」
俺ならば上手くやれた、という自尊心がツエンにあった。
「それですよ、義兄上。私達などが運動しなくても、実際に領都では義兄上を呼び戻すべきだといく気運が生まれております。何しろ、この事態を予期できたのは義兄上だけだったのですから。老公も三家老も無下にはできますまい」
「どうだろうな」
その点についてはツエンは楽観していなかった。ツエンの意見が現実味を帯びてきたからこそ、三家老達はツエンを遠ざけるだろう。己の無能を認めるようなものであり、地位を守るためにもツエンを呼び戻すとは考えないだろう。
『だが、老公はどうだろう』
そこが不確定な要素であった。老公からは度々勘気をこうむってきたが、三家老ほど思考が固陋ではない。老公がツエンを認めれば、あるいは早々に復帰が叶うかもしれない。
「義兄上。神託戦争は終わりましたが、これでまた平和な世の中が来るとは限らないでしょう」
「確かにそうだ。皇帝陛下は開けてはならぬ扉を開けてしまったのだ」
神託戦争を上手く収束できなかった上、参加した領主に対して不満の種を蒔いてしまった。明らかな失政であった。世の中は乱れるであろうが、どの方向に進むかはツエンも予測しかねた。
「ならばますます、義兄上の出番です。ナガレンツの行く末を導けるのは義兄上だけなのですから」
「そうなればよいが、まぁ、今は待つべき時だ」
あるいは、世の中など乱れない方がよいかもしれない。その方がナガレンツ領に住む人民達に幸せであるかもしれないのだ。
『俺など所詮毒薬だ。病を劇的に治すには良いかもしれんが、本来は秘されている方がいい』
乱世では有用の人、平時では無用の人。ツエンは、自分のことをそう評してくれた友人の顔が浮かんできた。
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