終章

終章①

 帝暦一二二四年雪花の月十日。この日の天気は冬らしい澄み切った晴天であった。


 「良い天気ですな。晴れの舞台にふさわしい。まさに好日好日」


 ジロンは嬉しそうに窓を開けた、冷たい風が容赦なく入ってきた。


 「寒いぞ、爺さん。閉めてくれ」


 暖炉の前で蹲っているサラサの声がすぐさま飛んできた。サラサが本当に寒いのか小刻みに震えていて、両手を広げて暖炉の火に当たっていた。


 「サラサ様、お言葉遣いが……」


 ミラが嗜めると、サラサは煩わしそうに口を曲げた。


 「あ~嫌だ嫌だ。皇帝なんぞになると、お言葉も上品にしないといけないようですわね」


 「サラサ様……」


 「そんな顔するな、戯言だ。とにかく窓は閉めてくれ、こいつは意外に生地が薄いんだ」


 サラサは赤を基調とした衣装の袖を掴んで見せた。この日のために新調したものだが、日にちが浅かったため、生地質まで選んでいる暇がなかったのだ。


 「左様ですな。戴冠式の日に風邪を引いたのでは目も当てられませんからな」


 ジロンは窓をばたんと閉めた。彼の出で立ちも軍務卿に相応しい、威厳に満ちた衣装を身に着けていた。




 幼帝フェドリーを擁するレスナン軍を追い払ったサラサは、すぐさま帝都に入り、治安の維持と民心の動揺を収めることに務めた。幸いにして落下しつつあったラピュラスは上昇して北方に消えていき、民心の動揺は最低限に止めることができた。これもサラサ・ビーロスの神通力だと噂されたが、これについてはサラサは一言も語らなかった。


 その翌日、アルベルトら北部諸侯連合の領主達からの嘆願があった。サラサに皇帝への即位を薦めるものであった。サラサはこれを固辞した。一度固辞するというのは、レオンナルド帝の故事に倣うものであり、煩わしい小芝居であるが、通過儀礼だと思い、サラサはその芝居に応じた。


 翌日、再びアルベルト達が嘆願に来たので、サラサは皇帝の即位を表明した。


 この間、同時進行で幼帝フェドリーと国務卿レスナンの探索が行われた。実はこの二人、サラサ軍が帝都を占領する前に逃走しており、行方が掴めていなかった。帝都より南方では、未だに旗幟を鮮明にしていない領主が多い。レスナンがそれらを頼り、反抗してくる可能性は高かった。だが、サラサはすぐに探索を打ち切らせた。


 『もしレスナンに再起する気があるなら、遠からず出没するだろう。わざわざ我らの時間を無駄にする必要はないだろう』


 もはやサラサの天下は揺るぎようがなかった。仮にレスナンが何事か策動しようとも、彼に天下を動かすだけの謀略の才能などないだろうとサラサは思っていた。もしあったとするなら、もう少しサラサは帝都に至るまでに苦戦したであろう。サラサはすでにレスナンのことなど眼中になかった。


 『ともかくも戴冠式などさっさと終わらして内政の充実させないとな』


 神託戦争以来疲弊している政治と経済の再建。それこそがサラサの主眼であった。




 戴冠式は帝都の宮城のうち、南宮で行われることとなった。様々な式典が行われる場所であり、当然ながらサラサははじめて足を踏み入れた。


 大講堂の真ん中に赤い絨毯が敷かれ、その両脇には各領主、大臣、官僚達が居並ぶ。大きな扉が開かれると、サラサはその赤い絨毯を踏みしめ、一歩一歩正面にある玉座へと歩みを進める。


 玉座に近づくに連れ、見知った顔が見えてくる。サラサの戦を支えてきたジン、ネグサス、クーガ、リーザの各軍団長。新しく国務卿内定しているテナル。彼の隣には初期の段階からサラサの支持してきたアルベルトと引き続き大将軍の任につくバーンズがいた。


 彼らと向かい合うようにして立っているのは、サイラス教会領の領主となったレンと、同じくサイラス教会領の僧兵長となったガレッド。レンはにこやかな笑顔を向けているが、ガレッドは緊張で顔を引きつらせていた。まるでガレッドが皇帝にでもなるかのようであった。


 そして玉座に一番近いところには軍務卿のジロン、親衛隊長のミラがいた。


 『ミラには苦労かけたな。今までありがとう』


 戴冠式が始まる前、サラサはミラにそう言葉をかけた。ミラは一瞬きょとんとしたが、すぐにはらはらと涙を流した。


 『そのような……勿体無いお言葉です』


 この中で一番苦労と迷惑をかけたのは、間違いなくミラであろう。その労に報いるために親衛隊長という地位を与えたのだが、それだけではサラサは満足できなかった。


 『どうだ?そろそろいい男でも紹介してやろうか?今なら天下のいい男が選びたい放題だぞ』


 サラサは割りと本気で言ったのだが、ミラは冗談と受け取ったのか、涙を止めて笑った。


 『私よりもサラサ様の方ですよ。いずれお世継ぎをお生みにならなければならないのですから』


 ミラも冗談で言ったのかもしれない。しかし、サラサを黙らせるには充分な冗談であった。


 その二人の横を通り、玉座の前で一度止まった。玉座は数段高いところにあり、玉座の隣には天使エシリアがいた。ある意味で彼女がこれから一番困難な道を歩むかもしれなかった。


 北方へと消えたラピュラスは、ワグナーツ山脈の向こう側、人間達に『魔界』と呼ばれていた地帯で発見された。そのことを知ったエシリアは、数日かけてシードとエルマの姿を捜したが、結局見つからなかった。


 残念なことにエシリアはいつまでもシード達を捜している時間などなかった。今回の一連の争乱で多くの天使が生命を失い、気がつけばエシリアが生き残った天使達を糾合しなければならない立場になっていた。ひとまずエシリアは生き残った天使達の居住をかつて魔界と呼ばれていた地帯に定めたが、問題はこの先であった。天使と悪魔と人間。この関係をどう築いていくか。非常に難しい命題であった。


 しかし、今日のエシリアはそのようなことなど微塵も感じさせない微笑を湛えエシリアを待っていた。サラサはエシリアの前に跪いた。


 「よく来ました。サラサ・ビーロス。天使エシリアの名をもってサラサ・ビーロスを皇帝と認めます」


 エシリアは玉座に置かれていた冠を手にし、サラサの頭に被せた。この日の為に新調されたもので、サラサの頭にぴったりとはまった。


 おおお、という歓声があがった。照れ臭かったが、群衆の方へ振り替えし愛想よくてをあげた。


 「サラサ陛下万歳!」


 アルベルトの声であった。それを潮に万歳の声が広がる。サラサは顔を引きつらせながら、玉座に座った。


 『やれやれ……私の人生もとんでもないことになったもんだ』


 泉下の父はどう思っているだろう。一瞬その様なことを考えたがすぐに打ち消した。今は死者に問い掛けるよりも、生者のために思案し行動すべきだろう。


 『だからお前らも戻って来いよ。シード、エルマ姉さん』


 あの二人は確実に生きている。きっと遠くない未来、ふらりと帝都にやって来るだろう。サラサはそう信じていた。




 余談ながら後のことについて触れておく。


 皇帝としてのサラサの治世は三十年近くに及んだ。彼女が四十七歳の時に長男であるナイトハルトに帝位を譲った。ナイトハルトは後に『光の皇帝』といわれ、ビーロス王朝黄金期の礎を築いた名君として名を残すことになった。

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