矜持②

 皇帝ジギアスは、絶望という暗闇の只中にいた。


 これまで彼は戦で勝つことによって己の地位を確固たるものとし、勝利こそ存在意義でもあった。しかしエイリー川の戦いでは、弁解のしようがない大敗北を喫してしまった。


 神託戦争においてもジギアスは局地的に敗北はしていた。それでも最終的には勝利し、敗北の汚名を返上することができた。だが、今回の敗北を取り返すためには、一体どれほどの勝利を重ねなければならないのか、想像もできなかった。


 勝ち負けのことだけではない。今回の敗北では生命の危機すら感じたのだ。ジギアス自身、単騎で逃走し、彼の戦陣での象徴である黄金の鎧すら脱ぎ捨て、命からがら帝都に逃げ帰ってきたのである。汚れたい服のまま誰とも言葉を交わさず自室に閉じこもり、崩れ落ちそうな矜持を必死で保とうとしていた。


 そこに一筋の光が指し込んできた。ジギアスが眩しさのあまり目を薄っすらと開けると、そこにひとりの天使が立っていた。


 「俺もついにおかしくなったな……。大嫌いな天使を夢で見るなんて」


 ジギアスは笑いたくなった。あれほど嫌悪していた天使が今更自分に慈悲でも垂れてくれるのだろうか。


 「何者だ!」


 「私はガルサノ。お前が大嫌いな天使だ」


 「その天使が何用だ?俺の憂さを晴らすために殺されにもできたか?」


 ジギアスは壁に立てかけてあった剣を手にした。


 「そう殺気立つな、皇帝よ。私はお前を助けに来たのだ」


 「ふん。天使が俺を助けるだと?」


 「そうだ。我らが力を貸そうと言うことだ」


 ガルサノなる天使が鼻で笑ったようにジギアスには思えた。


 「力を貸す?」


 「サラサ・ビーロスに大敗したであろう。彼女に勝つために力を貸そうと言っているのだ」


 大敗。その言葉がジギアスの体内を熱くした。鋭くガルサノを睨みつけるが、彼は動じる様子なく言葉を続けた。


 「残念ながらお前が相手にしているサラサ・ビーロスなる少女は不世出の天才だ。何度戦おうとお前は勝てない。だから天使の魔力によってサラサ・ビーロスの軍勢を葬り去ってやろう。どうだ?悪い話ではないだろう?」


 ガルサノという天使はどこまでも上から目線であった。地上での最高権力者である皇帝に対する敬意など微塵もなく、慈悲深さすらも感じられなかった。


 「ふざけるな!」


 ジギアスは抜刀し、ガルサノに切り付けた。ガルサノはさっと身を引いたが、翼の羽根が数枚ひらひらと床に落ちた。


 「俺が小娘に戦争で勝てないだと!俺は皇帝だぞ!天使ごときの力を借りないと勝てないなど、そんな馬鹿な話があるか!」


 ガルサノは表情ひとつ崩さず冷徹にジギアスを見つめている。ジギアスの語る言葉を待っているかのようであった。


 「確かに先の戦いでは負けた!しかし、次は勝つ!俺の力で勝ってやる!」


 それこそが皇帝としての矜持であった。天使の力を借りずとも、次こそは勝利をもぎ取ってみせる。沈みかけていた精神が燃え上がる闘争心に変わっていった。


 「後悔するぞ」


 「後悔などするか!俺が勝つのだからな」


 「ならば好きにすればいい」


 ガルサノはそう言い残し、すっとジギアスの眼前から消えていった。


 しばらくして夢から覚めたジギアスは、体力も回復し、精神状態もすっかりと元に戻っていた。あの天使とのやりとりが、逆にジギアスに闘争心と自信を取り戻させてくれた。


 「クソ忌々しい天使であったが、一応感謝しておいてやるか。夢の中のことだがな」


 ジギアスは意気揚々と部屋を出た。彼が床に落ちていた天使の羽根に気がつくことはなかった。

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