魔界④

 「正確に言えば天帝の間にいるあれは、俺の分身といったところだな。俺が思念を送って受け答えさせている。本体はこっちだ」


 マ・ジュドーは悪びれず、さも当然のように続けた。


 「あまり信じたくないことですが、球体さんがここまで詳しいとなると信じるしかないようですね」


 「へへ、信じてくれれば話は早いぜ」


 「球体さん、いえ、スロルゼン様とお呼びすべきでしょうか……」


 「よせやい。今更様付けされても気持ち悪いだけだ。今までのまんまでいいぜ。俺はあくまでもお嬢の使い魔なんだからよ」


 「では、球体さん。それが分からないのです。どうして天帝様のお傍にいるはずのあなたがエルマさんの使い魔をやっているのです?」


 「へへ、確かに説明不足なところはあったな。お嬢には天帝様から分かった力は存在している。しかし、その本体はあくまでも黒き有翼人なんだ」


 しかも最後の生き残りのな、とマ・ジュドーは言った。


 「生き残り?」


 「そうさ。種として黒き有翼人の寿命が短くないと悟った時の王が自らの姫君に結界を張って永久保存したのさ。いずれ天使や人間の境が世界が来た時、再び黒き有翼人の種が栄えるという希望を託してな」


 「それがエルマさんなんですね」


 彼女の中にある魔界の皇女という設定は間違っていないようであった。


 「オーディヌスは、自分の力を分かつ時、その一方の器として唯一生き残った黒き有翼人の姫君を選んだということだ。これ以上相応しい器はなかったであろうし、オーディヌスなりの罪滅ぼしなのかもしれんな」


 「罪滅ぼし……。便利な言葉ですね。天帝様も球体さんも黒き有翼人が死に絶えていくのを座視しておいて、いざという時には利用したというわけですか?」


 「手厳しいな、姉ちゃん。まぁ、そういうことだ。非難されても仕方ねえな。でも、言い訳をさせてもらうと、オーディヌスはあの状態だし、俺も実体がない。知っていても手出しなんてできやしなかったさ」


 だから罪滅ぼしなのさ、とマ・ジュドーは言った。


 「俺は自らの意思でお嬢の所へ向った。お嬢に悪魔としての偽の記憶を植えつけると共に、お嬢をここから出すためだ」


 「何のためです?」


 「いずれお嬢は目を覚ます。その時にこの誰もいない魔界にいて正気を保てるはずがない。そのためさ」


 「なるほどね。だ、そうですよ。エルマさん。納得しましたか?」


 エルマは街並みをぼっと眺めていた。しかし、その目には失われていた光彩が戻り始めていた。


 「すまねえな、お嬢。なんか騙くらかしていたみたいで……」


 マ・ジュドーはふよふよと浮いてエルマに寄り添おうとした。しかし、エルマはマ・ジュドーを片手で掴むと、ぶんぶんと振り回してから思い切り遠くに投げ飛ばした。


 「ぎゃーーーーー。でも、これでこそお嬢だーーーーーー」


 マ・ジュドーは嬉しそうに悲鳴を上げながら、雲厚い空に消えていった。


 「ちょっとエルマさん。仮にも球体さんは天帝様の側近なのですよ」


 知るかよ、とエルマは言った。久しぶりに聞く彼女の声だった。


 「エルマさん……。大丈夫ですよね……?」


 エルマが正気を取り戻したからだろうか、シードも嬉しそうに彼女の肩を抱き、真正面から顔を覗きこんだ。


 「私には記憶があったんだ。魔界の王である親父が私を後継者に定め、兄貴達もそれに賛同した。そして私はそれが嫌で魔界から逃げてきた。そういう記憶がちゃんとあったんだ。でも、今じゃ明確にあったはずの親父の顔も兄貴達の顔も出て来やしないんだ。母や親父の部下共も、繁栄していた魔界の光景も……」


 何も浮かんでこないんだ、とエルマの声は涙で震えていた。そしてそのままシードの胸に顔を埋め嗚咽を漏らし始めた。


 エシリアは複雑な心境であった。少々妬けるのだが、エルマの心情を思えば彼女をシードから引き離すのは偲びながった。ここはしばらくエルマの好きにさせてあげようと思った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る