魔界⑤

 エシリアは戻ってきたマ・ジュドーを引き連れながら、しばらくかつて魔界の都であった廃墟を探索した。


 「球体さん、それで黒き有翼人達はいつ頃まで生存していたのですか?」


 「今からおよそ六百年程前にはもう絶滅していた。人間界で言うレオンナルド帝の御世にはすでに悪魔なんていなかったんだよ」


 「ということは、聖戦より四百年経ってのことですね」


 「魔力を失うことで黒き有翼人も人間同様の短い寿命になっちまった。それを考えれば四百年というのは長いほうだろうな」


 「ですが、人間同様になったのに、どうして人間は今でも種として生存しているのですか?環境のせいもあるのでしょうが、どうして黒き有翼人だけは絶滅してしまったのでしょうか?」


 「希望がなかっただろうな」


 「希望?」


 「ああ。黒き有翼人は劣悪な環境に追いやられ、魔力も奪われた。しかも頭上には圧倒的な力を持つオーディヌスがいつも睨みを効かせている。いつの日か光の当たる場所にでる気力など早々に失ってしまったのだろう」


 罪なことをしたものだ、とマ・ジュドーは本当に悔いているように苦しげな声を出した。


 「罪なことをしたと思っているなら、今すぐにでもこの事実を公表すべきなのではないのでしょうか?」


 「それはすぐにはできねえな。天使達だけに影響を及ぼすならいいが、人間達に対する影響も大だ」


 「ですよね……」


 エシリアは深いため息をついた。これからどうすべきなのだろうか。エシリアは一介の天使でしかない。それなのにとんでもない―天界人間界を大きく震わす―事態に巻き込まれ、その中心に限りなく近い位置にいるのであった。


 「すまねえな、姉ちゃん。とんでもないことに巻き込まれちまって……」


 「そうですよ。まぁ、おかげでユグランテスに再会できましたから、よしとしましょう」


 そればかりはエシリアにとっての救いであった。


 「そいつはよかったが、姉ちゃん、気がついているか?」


 「ええ、気がついていますよ」


 エシリアは胸の前で小さな光球を作り出すと、振り向きざまに廃墟の一角に投げつけた。崩壊しかけていた土壁が崩れ落ち、立ち上がる砂埃の中から人影が現われた。


 「流石ですね、気配はずっと消していましたのに」


 「ソフィスアース……」


 それはソフィスアースであった。ずっと付けられていたらしい。


 「気がついたのはついさっきです。そうですか……悪魔を閉じ込めるために張られている結界というのも存在していなかったのですね」


 まぁそういうことだ、とマ・ジュドーは言った。


 「ガルサノ様に命じられてお前達の後をつけてきたのだが、まさか魔界がこのようなことになっているとは、ガルサノ様にご報告しなければ」


 「ガルサノに知らせてどうするつもりなのです?」


 「そう敵意剥き出しにしないでください。私達はまだあなた方と事を構えるつもりはありません。天帝様に等しい力を持っている少年がいる以上、私達も迂闊には手を出せない」


 シードの存在は露見しているらしい。しかし、シードの力が天帝そのものであることや、その力の一部がエルマに受け継がれていることは知らないようだ。


 「あなたとガルサノは何をしようとしているのです?」


 「それを知りたければ我々の陣営に来るのです。あの少年と一緒に」


 「なんですって!」


 「直に人間界では大きな戦乱が起こる。その時に我々が与える影響は大きい。新しい世の中ができた時、より良き地位にいるためにも、我々の陣営にいた方が賢明だと思いますが……」


 「傲慢な言い方ですね。そういう言い方は嫌いです」


 それは拒否するということですね、とソフィスアースが言ったのでエシリアは無言で頷いた。


 「後悔しますよ」


 「こんな事態に巻き込まれてしまっては、もう後悔することなんてありませんよ」


 エシリアが自嘲気味に言うと、ソフィスアースは顔をわずかに引きつらせ、そのまま飛び立っていった。エシリアはそれを追いかけようとは思わなかった。


 「人間界に大きな戦乱……」


 ソフィスアースのことよりも、その言葉の方が気になった。今すぐに人間界に戻り、サラサ達に報告すべきだろう。


 『本当に気苦労が多いこと……』


 エシリアはそう思いながらも、悪い気はしなかった。

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