来るべき決戦③
帝暦一二二四年朱夏の月九日。真夏の日差しが降り注ぐこの日、皇帝ジギアスはエストヘブン領に向けて出陣した。動員した兵数は二万名に及んだ。これは今年、ジギアスが動員した最大の兵力である。それほど事態を重く見ており、敵を侮っていないということであるが、政治的思惑もあった。
『これほどの兵力が動員できると分かれば、反乱などという馬鹿なことを考える輩も減るだろう』
要するに数で脅そうと思ったのである。エストヘブン領近隣の領主も、この大兵力を見れば頭を垂れて参陣するだろうと高を括っていた。
だが、その期待は見事に裏切られた。エストヘブン領南部に位置する三つの領地、シラン領、テーリンズ領、スフォード領の領主達は、いずれもわずかな兵糧を拠出しただけで、出兵してこなかったのだ。
その中でエストヘブン領への通り道になるシラン領では、家老が使者としてジギアスの陣営を訪れていた。皇帝征旅に祝賀を述べると共に、兵糧を献上してきたのだが、軍勢は姿を見せなかった。
「これはどういうことか!貴様の領主は皇帝を愚弄するのか!」
ジギアスは引見したシラン領の使者に怒鳴り散らした。使者は青ざめながらも、気丈に顔を上げて抗弁した。
「我が領主は決して皇帝陛下を愚弄しているわけではありません。我が領では度重なる重税の為に動員できる兵隊がおりませぬ。それだけでございます」
さらに怒鳴ってやろうと思っていたジギアスは、言葉を詰まらせた。重税を課しているのは他ならぬジギアスであった。
「ならばこう伝えよ。参陣すれば、反乱軍駆逐した後、エストヘブン領の半分をやろう。悪い話ではなかろう」
ジギアスは得意満面に言ったが、使者は顔色ひとつ変えず、お伝えしますと小声で答えた。しかし、幾日過ぎても参陣する領主は現われなかった。
これはサラサの書状の効果があったというわけだが、それ以外にも先の教会との戦争におけるジギアスの戦後処理にも問題があったからであった。
教会との戦争において、ジギアスは多くの領主に協力させたのだが、その恩賞が滞っていた。それも当然の話で、教会との和約の際、教会自体を罰しないとしたため、賠償金も領土も得ることができなかったのだ。恩賞など与えることができるはずもなかった。
しかしジギアスは領主を動員するにあたり、恩賞を約束していた。但し、証文などなく、すべてが口約束であった。その口約束が果たされていないため、ジギアスの言に対する不信感が領主達の間にあったのだった。
『ふん!屑どもの援助などいるか!俺の軍勢だけで蹴散らしてやる!』
その後に反抗的な領主共も蹂躙すればいい。ジギアスは不愉快になりながらも鼻息を荒くした。
さらに不愉快な事態が発生した。捕虜になり、後に解放されたルーティエがジギアスの陣に現われて目通りを願い出てきたのであった。
「ルーティエ・ノーブル?誰だそれは?」
ジギアスは当然ながらその名を覚えていた。だが、一刻も早く脳にある名簿から消し去りたい名前であったので、わざと惚けてみせた。
「先のエストヘブン領の代官でありますが……」
従卒兵がその様に言った。諧謔や嫌味を解さない従卒らしい。
「ああ、そんな奴がいたな。要塞に引き篭もり、大将軍を見殺しにした毒婦のことだな」
「如何しましょう……」
「会わん。俺は卑怯者ほど嫌いな者はない。何処ぞかへ失せろ。そして二度と俺の前に現われるなと伝えろ!」
引き下がらなければ殺してしまえ、とジギアスは付け加えた。飛んで走っていく従卒兵の背中を見送りながら、ジギアスはさらに不愉快さを募らせた。
『この鬱憤、戦場で晴らすまでだ!』
すでにジギアスの頭脳には敵軍を華麗に撃ち破る戦術が出来上がっていた。後はそれを実行するのみであった。
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